カロリーに泣く

2021-01-30

痩せたい痩せたいと言いながら、明日から明日からと思ってきた結果のこのボディ、いやバディ。(どっちでもええわ)タイトなジーンズにねじこめる日まで一体どれだけかかるのやら…

とか思うのも、もーやめだ、やめだ!

さっさと痩せればいいんでしょ痩せれば!!と誰に怒っているんだか。自分にです。さっさと痩せようね!!

エクササイズや筋トレは今週から本気モードに突入。ま、食べる量はそれほどでもないからざっと見て「少し」減らせばいいや、と思ってたんですね。だって、痩せていた若い頃は今の1.5〜2倍は食べてましたから。

でもふと、自分の今の摂取カロリーってどんくらいなんだろうな?って気になってきて。

今は便利ですねぇ〜。食べたもの入れたら自動で計算してくれるよ。やってみました。

…もうさ、入力して数値が表示されるたびに「え、うそ」「まじ」ってなって、その日の昼までに食べたものを入力し終えた時点でもう1300kcalぐらい行っちゃってたんですね。ふつうの成人女性に許された摂取カロリーは1800〜2000kcalです。残り500kcalぐらいしかないやん。夕飯どうすんの。

500kcal 献立 で画像検索してみると、

じゃーん。こういうのが出てくるわけです。そ、そうか…。

あじの開きが焼鮭に変わったり小鉢が冷奴になったり、という小さな変化はあれど、500kcalとはだいたいこのようなものらしいのです。

私、粗食は大好きなんです。本来こういうごはんで十分と思っている。なんなら、ゆかりやごま塩をまぜたご飯軽く一杯にお新香、少しの魚か肉、お味噌汁でいんじゃね?という究極の考えも持っている。と言いつつ、ここ十年ぐらいはけっこう食べちゃってたなーということを思い知りました。

「今日ちょっと少なめかな」という日でもこれを軽く超えていたよね。実家暮らしなもので、自分では「これでいい」と思うものを少しだけ食べようとしても、母が後からあれやこれや出してくるわけですね。これからは、それもうまく断っていかなければいけませんね。

カロリー計算してみてわかったのは、三食以外のものが足を引っ張っているということでした。私はコーヒーを一日4〜5杯飲むのですが、昔ほどではないにしろ砂糖もミルクもいれる派です。そのカロリーがバカにならない。あとは帰宅して「は〜疲れた〜」という時に何かおやつを食べちゃうんですね。今は気にしているのでスープ春雨などでごまかしてますけど、以前はがっつりドーナツとか食べちゃってました。はいダメ〜〜。

結構くせ者なのが、職場の差し入れですね。営業さんや取引先の方が持ってきてくださるのは大変ありがたいのですが、本当にもう二度とおいしそうなものを持ってこないでください!!!泣

でもなんかいいね、カロリー計算。意識できるようになったことは大きな一歩だ。昼までに食べた分のカロリーを集計して、その後の夕食や飲酒量を調整するといいかも。ん〜、あたたかくなる頃までにどれだけ絞れるかな〜〜。

いよいよ新しいカメラを買う気持ちも高まってきました(やっとだよ)。夜間撮影もサクサクできるやつを買って、まだ寒いけれどしっかり防寒して夜の撮影に出かけるのもいいなと思ってます。

やっぱり思ったんです、鏡見て。私に「デブ」は似合わないって!(いい人そうには見えるけど!)体も動かしづらいし、結構マジな感じで健康が心配になってきまして。若くないのでね、気をつけていかないと。やっぱり死ぬまでなるべく元気がいいよ。健康な自分を育てよう。

日記

2021-01-18

君たちの仲間だよ、っておどけた顔ですり寄ってくる人には安易になびかないほうがいいよ、中身はただの悪魔だから。

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日記

2021-01-14

なにでなにをどう撮っても、それなりにちゃんと「写ってしまう」この時代にあって、私は逆に「写らない写真」のほうに興味が出てきてしまった。当然の成り行きって感じもするけどね。ちゃんと写らない、ブレる、ピントが合わない、暗所に弱い、白飛びもひどく、色もなんかおかしい。とかね。そういう、リサイクルショップで500円で買えるようなカメラを通して世界を見たらどんな感じかなって。若い人がラジカセ新鮮〜!フィルムカメラ新鮮〜!っていうのとは訳が違うんだけど、足りなさって愛しいよな…などと思ったりもして。

ただの逃避かもしれないけど。

まあ早くカメラ買えよって話なんだけど。

でも、ちゃんと写るってことに力点置きすぎてたかもと思う。自分が撮りたいものが撮りたいように写ってたらいいわけだからさ。いや、自分でも意図しなかった瞬間が撮れるのも写真の醍醐味だよなあ。

むーん。

なんかほんと写真のことばかり考えてていやんなっちゃうな。だから時々本読んだりすると気持ちがいいんだよね。写真以外の言葉で満たされる感じがして。

さっさとカメラ買おうね。

穏やか

2021-01-08

偶然が偶然じゃないことばかりで「はー、やっぱりそうなんだな」ということの連続。

今すごく大変だよね、世の中。わかる。でもなぜか私は気持ちがとても穏やかで、いやもちろん仕事中イラッとすることがないわけじゃないんだけど、私の中心に「穏やか」がどっしりと居座っていて、てこでも動かないって感じで笑ってるんだよね。なにこれ。なにこれって思ってたら、たまたまおすすめに上がってきたYouTube動画に「今、なんだかわかんないけど穏やかな気持ちになってる人、あなたは大丈夫です」って言われて、へぇ〜っとなったりして。

チョコレートってふだん食べないんですよ。嫌いってわけじゃないし、むしろ東京時代、銀座のピエール・マルコリーニまで行って並んでチョコ買うような人間だったんですけど、ある時期からまったく食べなくなって。でも最近ふと「チョコレート食べたい気がする」って思って。板チョコみたいなシンプルなやつ。そしたら今日お手紙くれた人が六花亭のちいさな板チョコみたいなやつ同封してくれてたんです!すごくないですか。

すごく嬉しくて。

そういうことが本当にぽこぽこ起こる。ぜんぜん不自然じゃない感じで、するするっと自然に起こっていて、私もそのたびに小さく驚いてみるんだけど、なんかあまりにも自然すぎるから「ほわっ」て感じなんだよね。昔みたいに「奇跡だー!」とか叫ばなくなったよね、全然。奇跡ってちょいちょい起こってるもん。

特別安心なことがあるわけじゃないし、すごくいいことがあったわけでもないし、自分が大きく変わったわけでもない。コロナは大変だし行動は制限されるしマスクつらいし国はガッタガタだし。でもなんか、暗いニュースにも本気になれないっていうか、怒りもするけど「ま、そうだよね」って感じで、もともと誰にも期待していなかったんだし、ま、そうだよねって。どんどん、どんどん、心が穏やかになっていって、不安や心配がないわけじゃないはずなのに、どっしりと穏やかなんだよね。

でね、それを否定しないんです。だって、いいじゃん。なんだかわかんないけど穏やかで、悪くない気分なんだから。そうして存分に「穏やか」を味わってる。

最近わかったことは、私たちがいかに「意識」に踊らされてるかってこと。振り回されているというか、支配されているといってもいい。ただ身を委ねていればいい時でも自分の意識が邪魔をする。言い換えれば、「自分の意識しか邪魔しない」んですよ! 誰にもあなたの人生の邪魔はできない。

あなたを否定できるのはあなただけだし、でもそれが一番つらくてバッドだからやめたほうがよくて、「ある」ものは「ある」んだから、いいんだよ付き合っていけば。だーれも否定してない。いいとか悪いっていう話でもない。ただそうあるだけだから。それも実は自分で選んでそうなってるだけだから。

意識の邪魔者が出てきたら追い払えばいい。案外簡単に追い払える。(自分だから)シッシッ。悪魔がいるとしたらそれは自分自身だ、と私は思う。逆もしかり。神がいるとしたら、それは自分だよ。

明日から三連休。夜ちょっとお酒飲んじゃおっと。

日記

2021-01-07

私なんか別にコロナの影響なくほのぼの生きてるつもりだったけど実はけっこう参ってるんだなって。時々些細なきっかけで泣き出したりしてしまうんだよ。顕在意識にのぼってこないけど大きな不安があるんだろうな。私でさえそうなんだから、もっと大変な人たくさんいるわけで、そういう時に頼りにならない国ってなんなのって話でさ。

KID FRESINOの新譜いいですね。

年賀状、お手紙、メールありがとうございます。うれしいうれしいうれしい。私は何を返せるのかな。もうちょっと待ってくださいね。

メルカリ

2021-01-06

ずっと探している写真集があり、時々メルカリをのぞく。べらぼうに高い値がつけられたものが一冊。これはいくらなんでもないわーと思いつつ出品者の「その他の出品」を見てみる。名だたる面々の貴重な写真集を安くない価格で出品して、しかも売れている。それでいて、貧乏くさいニットや綾小路きみまろのDVDなんかも出品している。

メルカリってさ、その人が手放した人生の輪郭が浮かび上がってきて、見ててちょっと辛くなってくるんだよね。。

以前も、デザインの良書の数々を出品している人の「その他」をのぞいたら、育児本とかベビー服なんかがあって、ああ、結婚出産を機にデザインの仕事をやめたのだろうな、と想像できたり。ま、わかんないけどね。

なんか、悲しいんだよね、メルカリ。やろうやろうと思って私はまったくやれてないんだけど。もしやったら、自分が手放した「自分」が見えてきて悲しくなるのかもしれない。(案外、不用品がお金になった!って喜ぶだけかもしれないけどね)

日記

2021-01-04

オリンピックが東京に決まらなかった世界を生きたかったな。

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ほどほどに

2021-01-03

新年あけましておめでとうございます。

いかがお過ごしですか。

ぼーっとTwitterを流し見ていたら、誰かがリツイートしたややバズりツイートが回ってきた。子供が書いた無邪気な詩に選者評がつく、という新聞記事を装っている。7歳の子供が書いたとされる詩の言い回しからすでに違和感。選者がSMクラブ経営者っていう時点でありえないし編集部注もわざとらしい。もちろん出典も明記されていない。明らかに創作であるのに、そのツイートにぶら下がっているリプライや引用リツイートは、それが「事実」だという前提で展開されており、吐き気がした。

危ないと思うよ。こんな人ばかりじゃ。

その詩のタイトルや選者の名前でググればすぐに出どころがわかるというのに、おかしいと思って調べる人もいないのだろうか。小説家を目指して(?)ネットに細々と創作物をアップしている素人が2012年に創作したものだとすぐにわかった。この画像だけが一人歩きし、あらゆる場所にペーストされたのだろう。

「それがなにか」を確かめようともしない、「それがなに」であるかどうでもいい無邪気な人たちが多いということなのか。新年早々がっかりしてしまう。いや、昨年までなら、なんかまあそういう人たちもいるんだな、ずいぶん素直な人たちだなと思って終わったのだろうけど、なんかもうそういうの嫌だなと思えるようになったし、嫌だなと今年は言っていきたい。

これじゃあデマに踊らされるわけだよ。影響力のある人や自分が信じている人の言うことを疑いもしない。自分の頭で考えずに誰かの考えの影に隠れているのはさぞかし楽だろうね。

昨日の「逃げ恥」、私は制作者や演者たちの心意気を感じたし、社会問題盛り込みすぎの感はあるにせよ、今これをちゃんと言わないと!という強い意志を感じた。でありながら楽しく、ほろりとさせる仕上がりになっているのはすごいと思ったのだったが、インフルエンサーの某爪さんが難色を示し、自分のオンラインサロン(一ヶ月500円で入会しなければならない)に逃げ恥評をアップしていて、なんじゃそりゃと思ってしまった。普通に書けよ、、あんたのサロンに金払いたくないんだけど、、というわけで読みません。

あーあ、Twitterなんか見ない方がいいですね笑

結論それになっちゃった。

うん、今年の目標一個思いついたぞ。

「食べすぎない」

食べ物もそうだけど、Twitterでもなんでも、食べすぎないということ。ほどほど。一つのことはほどほどに。バランスよく。

というわけで今年もよろしくお願いいたします!!