日記

2020-04-30

昨夜、映画『パターソン』がアマプラに入っているのを発見し、鑑賞。当時、見よう見ようと思いながらついにタイミングが合わず、見れないままになっていたジム・ジャームッシュ監督作品だ。

結論から言うと、これ、アダム・ドライバーを愛でるためだけの映画じゃん!でした。正直、通でオシャレな人たちが騒ぐほどの映画じゃなくない?と思ってしまった。私は本来、何も起こらない小説や映画は大好きなんだけど、これが、日常のじんわりほっこりいい話、みたいに扱われるのはなんか違うと思うんだけど私がおかしいのかな? 心地よさが売りっぽいんだけど、私は終始居心地が悪かった。アダム・ドライバーの顔や雰囲気が好きだから見れたけど。

だってさ、夫婦間のズレすごくない!?主に夫の方が気つかって我慢してやり過ごしてる感じするけど、そもそも妻に無関心な感じがして、毎日の弁当とか料理にも喜んでる感じが見えない。夫がいない間に妻がどんどん身の回りを白と黒に模様替えしてしまう感じとか狂気でしかないし、とにかく不穏なムードしか漂ってなくて、最後どうなってしまうんだろうってハラハラしながら見てたんですけどね。それを超えた愛なんですかね。似ていない者同士が違いを認め合っている、ということなのでしょうか。ほんとにそれだけなのかなあ? 夫の詩作、妻のカントリー歌手の夢など、いまいち突き抜けない素人感も見ていてつらかったなあ。いや、プロとか有名にならなくても好きな人と暮らしてわずかな楽しみがあって、犬が可愛くて、ほそぼそと続けられる「趣味」があったらいいよね、って話なのこれ?だったら文句はないけど…。最後の、日本人俳優登場に至っては、あぁジャームッシュだからな!とは思ったけどちょっと椅子からひっくり返りそうになったし、あのシーン正直しんどかったです。「いる!?」って思った。(ヒー!ファンの人ごめん!)なんだか急に映画の色が変わってしまったように感じて、観客(私)置き去りって感じ。ぽかーん。

アダム・ドライバーと映像はよかったですけどね。あと犬。とBAR。バスを運転するところや街の風景もよかった。あれあれ、いいところもたくさんあるな。

しかしねえ。ただのほっこり映画とは私には思えなかったんですよ。これは私の闇がそうさせているのかもしれないけど。似たような感想持った人いないかなあ。いたら文通したいです。

まあ、また気持ちが変わったら感想追記しときます。見る人のメンタルによって作品が違って見えてしまうと思うので。

さて今日の左手書き文字です。

例によって特に意味はありません。思いつきです。ルビがむずかしいね。小さく書くのがうまくいかない。

今日は眠いから早く寝るぞ!

日記

2020-04-29

昨夜は日記を書かずに寝てしまったので29日朝である。待ちに待った祝日。

と一行書いたあとで、焼きウインナーとレタス、パプリカを挟んだサンドウィッチを作って食べ(またしてもハバネロソースを使う)、優雅にコーヒーを飲みながらなんとなくYouTubeを開いて、おすすめに上がっていた動画を一本見る。名前だけ見たことはあるがどういう人かよく知らないユーチューバーの動画だった。

鬱の人や頭で考えすぎてしまう人は、利き手と違う手を使って暮らしてみればいい。というような内容だった。慣れないことをすると「今」に集中できるから、過去や未来のことをぐちゃぐちゃ考えなくて済むのだと。なるほど、面白い。

私は右利きなので文字を左手で書いてみたり、マウスを左手で動かしてみる。おお、うまくいかない。なんだろう、この不便さで逆に頭が冴えてきたような…。利き手と逆の手でブラシを持って歯磨きするといい、みたいなことを聞いたこともある。脳のマッサージ的な、右脳と左脳をバランスよく使えるという意味でもいいのかもしれない。

それでなんとなく、毎日左手で文字を書いて、コロナがおさまるまでにある程度左手でも文字を書けるようになったら面白いかも、と考える。私は右手でもいろんな文字が書けるんだけど、どうしても上手っぽくなってしまうので、右手とは違った味わいのある文字が左手で書けたらいいよね。

毎日最後にのせようかしら。左手書き文字。ぱっと思いついてさっと書いた言葉。

日記

2020-04-27

ふつうに毎日出勤しているので家にずっと居られる人がうらやましい(とか言ったら不謹慎ですかね)。むしろ家でやりたいことが色々ある。「あつまれ どうぶつの森」というのが流行っていて、わかる…超わかるよ…と思いながら私は手を出さないだろう、この先も。こういうものに手を出すと、現実を放棄してゲームの世界に住んでしまうことが自分でわかっているからだ。(前科がある)

本が面白くて、あれもこれも読みたくて4~5冊並行読みしてしまっていて我ながらひどい。さらに今日『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る』が届いてしまった。今すぐ読みたい。家にいるのが退屈だからとパチンコ店の列に並んでしまう人の気持ちが全くわからない。まあ依存症なんだろうね。そもそもそういう(暇をつぶせない)(趣味がない)(お金はふやしたい)人がパチンコに行くんだろうけど。そういえば私、パチンコ好きな人と付き合ったことないや。

父が散歩中に山うどを採ってきた。母が天ぷらにしてくれる。塩だけでいただく。うまい。山菜大好き。山菜だけで生きていけるんじゃないかと毎年思っている。思ってはいるが、主に山菜以外のものを食べて暮らしている。

スナップ写真の人たち、どうしてるのかな。まあ家の周りぐらいは散歩して写真撮ってるだろうけど。好きな写真集見たり、写真の整理なんかもはかどるよね、きっと。写真で食べている人たちは出張撮影(野外で)とか遠隔撮影とか色々やってるっぽいのをネットで見た。

若きSNS写真家のフォローをはずしたことで健康が戻ってきた気がしている。添加物もりもりの写真は、私には毒だったのだと改めて気づいた。そういうのも新しい流れとして否定はしないけどね。最初に感じた違和感を払拭することは私にはできなかったよ。

人を変えようとする人は替えを欲しがっているのだ、ということに風呂掃除をしながら気がついてしまった。「変えたい」は「替えたい」なのだ。私を変えようとする人は私に飽きている。

「チェンジ!」

日記

2020-04-26

毎日5時間ぐらいしか寝ないので睡眠負債がたまっている感じが常にあり、本当は自分がどれくらいの睡眠時間を欲しているのか知るために、週末はカーテンを閉め切って目覚ましもかけず好きなだけ寝てよいということにしている。にもかかわらず、いつも起きている時間にぱちっと目が覚めてしまい、なんだかなあと思っていた。

今日も7時間半ほどで目が覚めた。そんなもんでいいのか。本当は午後2時頃に起きて「やっべ、12時間寝ちった、は〜、こんなに疲れてたんだな〜、ウケる〜」というのがやりたいのに。

ピザトーストを作って食べ(ハバネロソースを使いたいのだ)、こまごまとした断捨離の続きをしながら映画を選んで見る。映画には失礼だが作業の片手間に見たいので字幕を追わなくてよい日本映画を選んだ。なぜそれ?と思うのだが、アマプラに大島渚監督のATG作品がいくつかあることに今ごろ気づき、当時の東京の風景も見れるし…ということで『東京戦争戦後秘話』をチョイス。いわゆる風景論映画らしいが、そんなことより素人役者の棒読みセリフが気になってしまう(大島監督はそれをよしとしていた)。そして、たびたび主人公に「薄汚ぇ風景だ」とディスられる平凡な日常風景が私の目には「よいもの」として映ってしまうのだった。内容に関しては「は?」と思うことが多いのだが、武満徹の音楽と大島渚の映像センスはただただ素晴らしい。これ、写真の勉強になるんだよね。

映画をふつうに見てしまったので断捨離はほとんど進まなかった。

お昼は母が作ったスープでラーメン。私が子供の頃、土曜の夜はラーメンと決まっていた。中華麺を販売店から買ってきて(買いに行くのは私の役目。内気だったので「ごめんください」を大きな声で言えず、店の人に気づかれないまま数分間突っ立っていたこともある)、スープは母が作っていた。変なアレンジを加えたりして味がブレることが多々あり、生意気にも「今日のはおいしいね」とか言っていた気がする。それでも土曜の夜はいつも待ち遠しかったんだよね。

ほぼ毎週楽しみに聴いているラジオ「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」(通称サンドリ)。今日の放送はスタジオが使えないとかで生放送は無し、録音もしていないということで過去回が再放送されることになった。がっかりしながら聴いてみると、昨年末のキャラまつりの回だった。キャラまつりか〜と思ったが、聴いているとやはり面白い。有吉さんがコウメ太夫になってしまうところで呼吸が苦しくなるほど笑った。

断捨離しきれていないが部屋はわりと落ち着いてきた。作業するときはラジオに限るな。(なんで映画を見てしまったんや)

日記

2020-04-24

いろんなバトンが飛び交っているが、いかなるバトンも私には回ってこない。小学校の頃リレーの選手だったけど、次の人にうまく渡せなかったからそれきり回ってこないのかもしれない。

毎日毎日写真を何枚も何枚も現像して何枚も何枚も何かしらに上げているが、正直何の意味があるのか…という気持ちになりつつある。そもそもフォロワーも多いわけじゃないし、特に交流もしないし。私が見てほしい人にほとんど届いていないのだと思う。リアル知人や数少ないフォロワーさんに「いいね」負担をかけるのも悪い気がするし、どこか遠くの知らない街に住む、まだ見ぬ同志のような存在を欲している自分に気づく。小6の時もこんな気持ちになり、そこから全国の女の子たちとの文通が始まったのだった。

…ってまあ思い出話の続きは書きませんけど。

なんか新しいこと考えないとですねえ。頭をひねって。人を楽しませられるようなことを。

家にいると片付けぐらいしかやることがない人が多いのだろう、スーパーの衣類回収ボックスからあふれた古着がいくつも山を作っていた。断捨離が大流行。私も先日から終わらない断捨離を続けている。以前だいぶ捨てたつもりだったが、くだらないものがどんどん出てくる。コラージュのネタ用に買った古雑誌などが地味〜に私の気持ちと場所を圧迫している。という話を友人にしたら「たまにやればいいじゃない(コラージュを)」と一笑された。確かにね。

情け容赦なくSNSも断捨離したいところ。一回逃亡してリセットしたくなりますよね。ね。あるいはドカンとフォロワーを増やして、一人一人を気にならなくしたい。

なんか新しいことを考えなければいけないことはわかっているんだけど、その前に身軽になりたいのよね。軽くなるには、自分や現状を見つめなきゃいけない。過去から引き継いできたストレス、けっこう溜まってるのかもしれないなあ。

急に思い立ってNirvanaを聴く。死ぬほど懐かしい『Nevermind』。「Smells Like Teen Spirit」は私が当時好きだった某パンクバンドがライブ前のSEに使っていた曲なので、開演前のドキドキ感まで思い出す。

タバコ臭い八幡山の1Kアパートでもよく聴いた。その当時の私は写真を見るのは好きだったが、撮ることに興味は全くなかった。むしろ、たまにポラロイドカメラや「写ルンです」で撮った写真を見せると友達に「ヘッタクソだね〜!」といじられていた方だった。事実、下手だった。いじられても悔しいとも思わずヘラヘラしていた。うまくなりたいなんてちっとも思わなかった。撮ることに全く興味がなかったのだと思う。

当時、誰の写真が好きだったかというと…いや、誰っていう選び方ではなかった気がする。いいものはいい、好きなものが好き。誰が撮っていたかは、あとになって知ることが多かった。高校の頃から洋雑誌が好きで、中でも『i-D』と『THE FACE』をよく買っていた。その中の広告写真やファッション写真で気に入ったものを眺めたり部屋に貼ったりしていた。だいぶ後になってわかったのは、私がそうやって愛おしげに眺めていた多くの写真が、ヴォルフガング・ティルマンスによるものだったということだ。

(ティルマンスのサイトでいくつかの写真集のpdfをダウンロードすることができます)

セバスチャン・サルガドなどシリアスな報道写真も好きだった。演出され、作り込まれたものより、瞬間をとらえたスナップやドキュメンタリー写真を好み、“決定的瞬間”のカルティエブレッソンのことは、名前からではなく写真から存在を知った。ロバートフランクは写真自体はそこまででもないなと思いつつ(失礼!)連続写真とか写真の上にひっかき文字で何か書いたりするのが面白かった。

他にも色々あるが、これらは全て、何の予備知識もない状態で書店(ABCやPBC)へ行って、自分の感覚だけをたよりに選んだものだ。もちろんその手の書店に売られているものなので、どれを選んでもちゃんと有名人だったわけだけど、自分の見る目の確かさみたいなものは当時から備わっていたんだなあと思う。(ナマ言ってすいません)

今でも私は自分の「見る目」だけには自信がある。というかそれしか自信ないかもなー。あっ、でもこれ、自分には通用しないやつなんで、自分の作品については全くわかりません。いいのか悪いのかわからん!お前の作品はつまらん!ほぼ悪い!としか思えません。致命的!

わーわー言うとります、寝るお時間です、さようなら。

日記

2020-04-24

岡江久美子さんの訃報に驚いて小さな悲鳴をあげてしまった。

乳がん手術後、抗がん剤治療(※放射線治療でした)をしていたそうだ。免疫の落ちた状態でコロナにかかり、発熱後の様子見から急変、治療の甲斐なく帰らぬ人になってしまった。ぐっと身近に感じて恐ろしくなる。母にうつさないように私は一歩も外に出ず家にいるしかないのではないか。あるいは別居。私一人暮らす分にはどうにでもなるが、結局実家に様子を見に行ったり買い物を届けたりするなら同じことだ。

望遠ズームレンズを使って車の中から風景を撮ったり、その日の海や空、部屋の物などを撮ったりしている。別に望遠ズームでなくとも良いのだが、ちょっと普通じゃない画角で日常を撮るっていうのも面白い気がしたのだ。まあ気まぐれなのでこの感じで続けるかどうかは微妙だが。

続く限りはtwitterに4枚ずつ上げていくつもりなので良かったら。

日記

2020-04-22

注文していたおしゃれな布マスクが届いていた。なかなかよさそうだ。てっきり「ほっこり系」の人たちが作っているのだと思ってtwitterを見てみたら、思想強めというか話が全く合わなそうな人たちだったので、苦笑してしまう。信じているものが真逆というか。でもまあアパレル業界あるあるって感じがして懐かしくもあった。美容業界もそうで、危うい人たちがけっこういる。…かもしれません。いえ、一部ですよもちろん(と言ってごまかす)。でもマスクは思想と関係なくおしゃれだし、きちんとしたものです。ありがとうございました。

アベノマスクはどうしようかねえ。ほんとにカビとか虫とか髪の毛付きだったら嫌だねえ。不要な人はホームレスの支援団体に送ろうという流れもあるけれど、鼻を隠せば口が出て、口を隠せば鼻が出てしまうような小さなマスクで、しかも清潔じゃないかもしれないとくれば、ホームレスの人だって迷惑じゃないだろうか。そもそも洗って乾かして使うだろうか。それを助けてくれる人はいるんだろうか。などと考え込み、行き場のない二枚の布マスクは私の目の前でヒラヒラと行ったり来たりしている。(まだ届いてはいない)誰か、二枚の布マスクでシュヴァンクマイエルみたいなアニメーション作ってくれないかな。

YouTubeで何かの動画をぼーっと見ていたら、おすすめにkZmのPVが上がってきて、おお!えっ!フィーチャリング Tohji!?と思って再生したらもー最高で、すっかりブチ上がってしまった。(おばちゃんが無理して書いてます)

数年前、「VICE」の動画を集中的に見ていた時期があり、「団地発!東京のアングラ ヒップホップ」という動画には、ドカンと売れる前のKOHHが出ていた。

そこに同じ団地育ちの友人としてMonyHorseが登場。彼の話し声を聞いた時、KOHHよりもむしろラップ向きのいい声だ!などと思い、彼のラップが聴きたくて動画をあさってみたりした。Monyは後々、HIPHOP集団「YENTOWN」に属するMONYPETZJNKMNへとつながっていく。Mony以外のメンバー二人、PetzとJnkmnが私と同じ青森県出身ということもあり、いつも気にして音源を聴いたりPVを見たり、親戚のおばちゃんよろしく追いかけてきたわけなんです。…こういう話するの初めてですよね、なんか恥ずかしいんだけど。

MONYPETZJNKMNといえば、まずはやっぱりこれでしょうね。

で、追ってるうちに、MONYPETZJNKMN以外にもYENTOWNという集団の奥深さとか面白さがわかってきて、あんまり誰にも言わずに(なぜだ)AwichやkZmを「いいなあ」と思いながらコソコソ聴いたりしてきました。

AwichとkZmといえばこんなのもある。青森県民は要チェック!(ラストにあの店のオヤジも出てくる)
これもすごいから見て!

一方、Abema TVでやっていた「ラップスタア誕生」という勝ち抜き番組に出ていた当時のTohjiは、麻布高校中退→武蔵美というなかなかのエリートでありながら、若干自分をこじらせて暗く燻っている感じだった。何か持っていそうな雰囲気を漂わせながらも、見た目はいまいち垢抜けず、ラップもうまいとは言えなかった。

それが!あれよあれよという間にどんどん加速していって、本当にラップスタアになってしまった。

YENTOWNの若き才能kZmと、ラップスタアTohjiが一緒にやるっていうのは、おばちゃん的に「マジか」案件なわけですよ。この二人、どんどん殻破ってくるなあって。すごくおもしろい。おばちゃんも見習わなきゃいけない。Chakiさんのプロデュースも相変わらずパネェっすわ!

そして、「TEENAGE VIBE」が収録されているkZmの新しいアルバム『DISTORTION』も超超超やばいです。バラエティ豊かでお得感がすごい。しかもApple Musicのアルバムランキングで1位になってる、、すご!

日記

2020-04-21

母の病院付き添い。行き帰り運転し、待ち、先生の話も一緒に聞く。母には申し訳ないと思われているようだが、私は仕事が休めるのでうれしい。うれしいと言うのは違うか。ただ仕事の種類が変わった、という感じかもしれない。気持ち的には別に苦でもなんでもない。むしろ同じ机に座ってじっとパソコン作業をしていることの方が私にはつらいのだ。

予約しても毎度のごとく診察までに2時間ほどかかる。紹介状を持って初めてこの病院を訪れた昨年11月の状況に比べれば、さすがに待合席の埋まり具合は減っているが、まあふつうに患者さんいますよね、って感じ。長椅子で、ほかの人となるべく離れて座っていても、向かい側の人がゴホゴホと咳き込んだりすると「oh〜」と思ってしまう。ていうか今気づいたけど、椅子を向かい合わせにしないほうがいいんじゃないかな。バスや劇場の座席みたいに一方向を向くように配置し直したほうがいい。

母の抗がん剤治療の間、私はいったん病院を出て昼食へ出かける。何にしようか考えた末、持ち帰りのできる飲食店を調べ、行くことにした。洋食も選択肢にのぼったが、今日はなんとなくチャーハンな気がして中華屋を選び、注文。パックに入った熱々のチャーハンを受け取り、「あっ、スプーンとかついてます?」聞くとお箸が入っていますと言われる。お箸でチャーハン。まあいいか。

広い無料駐車場に移動し、「よしよし」と車内でパックを開ける。ふわ〜、ええ匂いや…。割り箸でチャーハンをかきこむ。熱々でうまい。いろんな飲食店がテイクアウトメニューを始めていると聞く。となると、食いしん坊OLとしては、いろんな店のお弁当を食べてみた〜い❤️と思ってしまうが、あまり出歩かないようにしたい気持ちとの間にジレンマが生じて胸が苦しい。

食べ終えてホクホクした状態で、まだたっぷり時間があるのでシートを倒して休むことに。変わりやすい天気で、青空が広がったり、みるみる曇って風が強くなったり。スマホでAbema TVのニュース番組を見てみたが案の定コロナの話題ばかりだったので、暇つぶしに持ってきた『小説トリッパー』を読むことにする。たまたま書店で見かけた時、「あー、これかあ、これはずるいなあ」と思った小説トリッパーである。表紙の写真は今をトキメク奥山由之、アートディレクションは大島依提亜(敬称略)ときたもんだ。さらに挿画は網代幸介、さかたきよこ、鈴木いづみ、竹浪音羽、100%ORANGE(敬称略)。ははぁ〜。twitterなどでその存在は知っていて、引きが強ぇなあとは思っていたが、買おうとまでは思わなかった。しかし、実物を目にしてしまうと、「文芸誌なんか買ってどうするんだよ、家に積ん読が山ほどあるのに…」というヌマさん(私)のボヤキが一切聞こえなくなってしまった。ずるい。

ぱらぱらめくって、面白そうなものを読み始める。王谷晶さんの『ベイビー、イッツ・お東京さま』。不勉強で申し訳ないが知らない作家さんだったので何の先入観もなく読む。警備員をしている主人公が初めての現場へ行くところから小説は始まる。うっかり男性かと思って読み進め、途中で女性だとわかる。私の中に「警備員=男性」という思い込みがあったことが恥ずかしい。少しずつ明らかになっていく仕事場の感じや彼女の暮らしぶり、同人活動、ブログ、ハンドルネーム、同性愛、オフ会、セクハラ…

なんかもう、すごく面白いんだけど、同じだけつらさが襲ってくる。つらいと感じるのは、私にも多少覚えのある世界が描かれているからだと思う。この小説を「わかる」か「わからない」かで言うと、私には7割「わかる」のだった。田舎から都会へ出て、人生のうまくいかなさを経験したことのある人なら「わかる」と思います。おすすめ。

病院へ戻る。抗がん剤治療は(もちろん人によるだろうが)母いわく血管痛や手の痺れがひどいらしい。今日はどうだった?と聞くと「痛いよ〜」と苦笑い。片方の腕がずっとビリビリしているらしい。立ち寄ったコンビニで、いちごのフルーツサンドを「食べたい」と言うので買った。胃を3分の2取っているのでそんなに食べられないのだが、食べたいと言われたものはなるべく買うようにしている。本人いわく「そうでもなかった」ようで、半分残していた。

夕飯を作らなくていいように出来合いのものを買って帰る。病院の日は私も疲れてしまうのだ。ごはんの時間まで眠ってしまっていた。