蛍の光 第3回 旧岩手教育会館

2018-03-27

旧「岩手教育会館」(盛岡市)

1965年 竣工。(菊竹清訓建築設計事務所)
2015年 建て替えのため解体。


一部がせり出していてかっこいいです。


ゆる〜く湾曲しています。


定礎までいい。

2012年6月、本のイベントのために来盛した私は、以前から雑誌等で知っていたこの建物を実際に見てみたくなり、訪れました。スッとすました顔で街なかにデ〜ン!と鎮座するその迫力に驚き、これは広角レンズじゃないと上手く撮れないぞ、だが私は広角レンズを持ってない!などと、じりじりしながら向かい側の芝生に寝転び、グラビアアイドルを追っかける熱心なファンのおじさんよろしく鼻息を荒くして下から舐めるように撮りました。すぐそばの盛岡城跡公園(岩手公園)から撮ったほうが効果的だということを後に知りましたが当時はなんの予備知識もなかったため、あくまでも接近戦。ファインダーにおさまりきれない被写体を抑えきれない衝動だけで撮りました。この日は中に人がたくさんいたので内部の撮影は遠慮したのですが、翌年改めて内部を撮影したものが…えーと、あるにはあるのですが、友人とふざけて撮った写真しかなく、まさかそのあと建て替えのために解体されるとは思わなかったので完全に失敗です。こういうとこツメが甘いです。中も素敵だったんですよ。


くるりんとしたフォントも可愛い「カフェテラス 白鳥」 (2013年5月撮影)

 

建て替えの理由をざっくり書くと、公園から岩手山を眺められるように4階建ての建物にしよう!ということらしいです。つまり、本来は盛岡城跡公園(岩手公園)から岩手山が見渡せるのですが、この7階建ての建物が邪魔になっていたようです。公園側に立つ人にとっては邪魔かもしれないけれど、この建物内の人たちには城跡公園も岩手山も見れてさぞかし絶景だったことでしょう。
実際、公式ホームページの概要には

広大な庭園「盛岡城跡公園」。その四季折々の景観は、当会館からの眺めに勝るところはないのではと自負しています。

という一文があります。そしてまた、私にとってはこの建物こそが絶景だったわけなんですけどね。でもまあ、見晴らしのいい公園から山を眺めたいっていう人が大多数なんでしょうね。うん、わかりますよ、山が見えたらうれしいですよね。

 

竣工から50年経って(建って)いたわけですから耐震基準の問題も含め、「お役目を終えた」という納得のしかたもあるのかもしれません。

いい動画を見つけました。ありし日の、活気ある岩手教育会館の姿です。

 

おや、蛍の光が流れてきましたね。そろそろおいとましましょうか。
なお、新しい岩手教育会館は、まもなく開館ということです。
(2018年3月27日現在 ヌーヨーク調べ)

 

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西新宿のこと

2018-03-21

どこに出すわけでもないのに「西新宿」というタイトルで書きかけていた一年前の文章をデータ断捨離中に見つけたので貼り付けてみます。

『サブカル・スーパースター鬱伝』という吉田豪さんの本を読んでいたら、P119のみうらじゅんさんのページに、ポール牧さんがサイン色紙によく綴っていたという「ドーランの下に涙の喜劇人」という言葉が出てきて、ふーんと思いながら「そういえばポール牧さんて西新宿に住んでたよなあ」と思い出した。私が二十歳ぐらいの時、西新宿にあった友人のアパートへ遊びに行く途中「ここにポール牧が住んでるんだよ」と教えられたマンションがあった。のちにポールさんは自宅マンションから飛び降りて亡くなってしまうのだが、飛び降りたのはそのマンションだったのだろうか。

などと考えていたら急に西新宿の街を見たくなり、ストリートビューで見ることにした。
しかしもう20年ほど前の記憶である。街だってずいぶん変わっているはずで、「なつかしい」などと思うことができるだろうか。

交差点に面したところに昔ながらのタバコ屋があったよなあ…と思って探してみた。

ここだここだ!


なつかしい。


見えにくいけど青い装飾テントに松葉商事と書いてある。松葉文具店も隣接していたんだな。大体いつも夜に通っていたので店は閉まっていることが多く、タバコは自販機で買っていたような記憶がある。


都庁こんなに近かったんだ。

松葉商事の名前でなんとなく検索してみたら、閉店を知らせる記事が出てきた。
コラムで紹介されたばかりの松葉商事「西新宿6丁目計画」のために取り壊しへ

「紹介された」というコラムが気になり読んでみた。雨宮まみさんが書いたものだ。
都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」
浮かび上がるまでの10年間、しっかりともがいた雨宮さんの愛しさとせつなさと心強さにグッときてしまった。良い文章。ブラジル館ってまだあるのかな、行ってみたい。

私は当時、東京の八幡山というところで一人暮らしをしながら代々木にある学校へ通っていた。そこから歩いていける距離に同じ学校の友人が住むアパートがあって、授業が終わってからよく遊びに行ったものだった。都庁や新宿中央公園、高層ビル群をくぐり抜け、コンビニや牛丼チェーン店、コインランドリー、銭湯などを過ぎ、あらゆる喧騒から逃げ切った辺りにそのアパートはあった。堂々たる近代都市風な街の隙間に、小さな昭和の住宅や昔ながらの商店がポコポコはまっている様子は風情があって好きだった。神田川へ続く遊歩道には素朴な遊具が備え付けられ、日中は子供たちが遊んでいたり、おばちゃんたちが井戸端会議をしていて、絵に描いたようなのどかさだった。

つづく!?

残念ながらここで途絶えてしまっています。一年前の私に続きを書かせたい。それは無理なので一年後の私ががんばって続きを書きます。(以下、過去のテキストに文体を合わせます)

友人宅は、お姫様っぽくて恥ずかしい名前のアパートの2階だった。「ここらへんのアパート仕切ってんのって893らしいんだよね、だからなのかわかんないけど、水商売風の人とか外国人労働者が多い気がする」と友人は言った。6畳ワンルーム、ユニットバス。キッチンは申し訳程度しかなく、部屋のほとんどがベッドとテーブルに占領されていた。その上さらにスニーカーやらフィギュアやら自作の絵だか作りかけの洋服なんかであふれていて、「あ、どうも」知らない人までいたりした。学校に近いこともあって常に誰かが遊びに来ている状態。お香やタバコの煙が充満する中でNirvanaをかけながらゲームをしたり漫画を読んだりデザイン画を描いたり、アイデアを出し合って何か作ったりもした。当時、テレビ東京で放映開始したばかりのエヴァンゲリオンを見た誰かが「このアニメ、超やばいんだよ!!!!!」と騒ぎ出し、「え〜?マジで?」と半信半疑で見た連中みんなでハマってしまい、夜通しエヴァ論を繰り広げたりもした。

結局その友人とは後に仲違いしてしまって今ではどこでどうしているか知る由もない。時々ふと思い出して名前を検索にかけてみるけれど、2時間ドラマの犯人の名前と一致するだけだった。本名で何かやるような人ではなかったから何も出てこなくても不思議はない。もう会うこともないだろうけれど、元気でいてくれればと思う。

私が田舎から部屋探しのために上京した朝、地下鉄サリン事件が起きた。浜松町のバスターミナルに着き、身支度や部屋探しの手はずを整えたあと公衆電話から相模原のおばさんに着いたよ〜と連絡すると「地下鉄に乗っちゃだめよ!大変なことになってる。近くにテレビがあるなら見て」と言われた。待合室のテレビを見ても何がなんだかわからなかった。私の東京暮らしは「地下鉄サリン以後」ということになる。田舎から出てきたばかりの私には、よくわからないオウムやサリンよりも「新宿」という街の方がよっぽど危険なイメージだった。けれど、その後12年間続いた東京暮らしの中で危険な目に遭ったことは特になかったし、一番思い入れがあってなぜか安心できて好きな街といえばやはり新宿なのだった。それも東(も好きだが)ではなく西。なにしろ西新宿にはでっかい「LOVE」がある。

東の賑わいとは違う、ビジネス街の整理整頓された雰囲気、足早に歩くサラリーマンたち、壮観な高層ビル群、通好みのレストラン、コンランショップ、下町風情のなつかしい街並み、新宿中央公園とホームレス、どれもが爽やかな朝の風のにおいを伴ってまぶたの裏によみがえってくる。

友人宅でワイワイやって朝帰りということも珍しくなかった。平日朝の西新宿を、これから仕事へ向かうサラリーマンと逆方向に新宿駅までぶらぶら歩くのがたまらなく好きだった。その途中、みんなでなんとなく高層ビルのそばに置かれた背もたれのない平らなベンチに座る。ビルと対面する格好で数人が横並びに座り、そのまま「あ〜」っと仰向けに上体を倒してみる。空が青い。眼下に広がる高層ビルが世界の果てまで続いていて、先端まで歩いていけそうな気がする。みんなで足をバタバタさせて「気持ちいいー!」

西新宿の平日朝の光景は、今思い出しても気分がすーっとする。あれからみんな、何かになれただろうか。何にもなれなかった私は、世界の先端に立つこともなく舞い戻ってきた田舎でこんな文章を書きながら、まだ足をバタつかせている。

(文中のスナップ写真は2011年に西新宿で撮影したものです)

パイタンの養生

2018-03-15

💖愛する人と夜景🌃の見える雰囲気のいいお店でおいしい料理🍖とお酒🍸をいただきながら洒落た会話を楽しむ💏…なんて最高ですよね。そんな時間が持てたら、日々の疲れなどいっぺんに吹き飛んでしまいますよね✨

 

ははは

 


見てください、ここだってほら、窓の外はこんなに素敵な夜景!(駐車場)

 

私が一番ほっとして最高だと思える外食は、ありきたりなショッピングモールのありきたりなフードコートで食べるありきたりなチェーン店のこういうやつです。

🍜鶏白湯らーめん🍥

明るいハロゲンランプに照らされて白湯スープの油分が真珠のように輝いています。白夜に浮かぶ青菜の筏、夜をパトロールする半熟卵のサーチライト、芳しい炙り鶏はやわらかく私の肩を抱き、ねぎと柚子が見晴らしのよい公園で軽やかにステップを踏む。画面を引き締めるのは焼きバラ海苔のクレッセント!

いいえ、空しくなんかありません。
平坦な戦場でしょぼくれた私のために70点のラーメンは頑張って夢を見させてくれました。ラ・ラ・ラーメン。

非日常の特別感ではなく日常の「特別じゃない感」を演出するの、悪くないと思います。どんどん肯定していきたい。もちろん普段は家で地味なご飯を食べます。たまに外でおいしいものを食べます。時々ちょっとぜいたくもします。その隙間のなんでもない平日の夜に一人、白飛びした空間で気楽さと若干の心細さを感じながらなんでもない料理を食べる。この透明感が最高なんですよ。カッカしたりトゲトゲしたり、もやもやとした先の見えない不安に押しつぶされそうになっても、こうしてなんでもない時を過ごして平べったい気持ちに戻っていく。「明日からまた頑張ろう!」なんて前向きになったりしない。ただ「よいしょ」と言って立ち上がり、食器を返却口に戻してごちそうさま。これが私の養生法なのかなあと思います。

 


愛読書。これがどういう本でどこが面白いのか人に説明できたら最高なんだけど、それはとてもむずかしい。これまで何度も読み、毎回なぜだかわんわん泣いてしまう。人間の存在や世界が丸ごと愛おしくなるやさしい本です。

水族館へ行ったときの写真です。

2018-03-08


ここるちゃんです。(かわいい)


わたしのお友達をご紹介しましょう。オオカミウオさんです。
「あ、ども」


バレンタイン&ホワイトデー水槽だそうです。素晴らしいセンス。


ギョギョーッ


そういうテーマで撮っていたわけではないのですが、個性的な顔のお魚多めです。


合成写真みたいね。


目線いただきました。


イルカショーをみました。


「怖い」以外のキャプションが見つかりません。


イヌ&ソフ


この下でイルカが二頭すいすい泳ぎ回っていました。

水族館、いいですよね。
動物園の次に好きです。

 

青森市「浅虫水族館」
年中無休。

蛍の光 第2回 陽のあたる「東部食品市場」

2018-03-03

「東部食品市場」(青森市浪打銀座通り)


2011年6月5日(日)撮影。

 

2016年11月27日、火災のため全焼。(火事によるけが人なし)
検索すると火災を伝える悲しいニュースや画像がたくさん上がってくるので、せめて私はこの休日の夕方にやさしく陽があたっている東部食品市場の写真を残しておこうと思います。
どうかみなさんこの写真を目に焼き付けていってください。

友人のブログをリンクしておきます。
『280円の贅沢 !レトロな東部食品市場で買う焼きたて「やきそばたこやきセット」』
おいしそうだね。

 

おや、蛍の光が流れてきました。そろそろ、おいとましましょうか。

 

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楽団ひとりぼっち

2018-03-02


ほんとは寂しいくせに、どうして時々「一人になりたい」なんて思ってしまうんだろうね。

平日17時すぎ、某所の巨大駐車場にはぽつりぽつりと車が集まってきては停まります。それぞれがお互いを意識する必要のない一定の距離を保って。誰も降りようとはしません。まっすぐ家に帰りたくない人たちは車の中でしばし一人の時間に浸るのです。私がそうであるように、きっと彼らもそうなのです。みんなせいぜいスマホをいじるくらいで何をしているというわけでもなさそうです。少なくともリコーダーを吹いているのは「帰りたくない族」の中で私一人だけでしょう。

好きな曲に合わせて、キーもテンポも変えずに淡々とリコーダーを吹く。文字通りこれが私の「息抜き」なんだなって思います。最近の練習曲は、先日このブログでも紹介したテンテンコさんの「なんとなくあぶない」(とてもむずかしい)、伊藤ゴローさんの「November」これは以前からずっと好きで吹いていて、今はいかにきれいな音色で吹けるかが課題です。あとはニコの「Chelsea Girls」。昔、母がフルート教室に通うと言い出してビギナー用とはいえ十数万円するフルートを買ったもののうまくいかず放置していたものをもらい受け、酸欠になるほどよく練習した思い出の曲なのです。原曲キーを変えなくてもソプラノリコーダーの音域でカバーできるのでちょうどいい。明るい曲ではないけれど、いい感じに酔えます。歌い上げるような間奏部が奇跡的に決まると極上のカタルシスが得られたりして。

一人になりたいから車にこもってリコーダーを吹いていたはずなのに「合奏したいな…」という気持ちが芽生えてきてしまって困ります。小学生時代「ピアノを習っているから」という理由だけで、音楽発表会のために寄せ集めで結成される音楽部に駆り出されてキーボードを担当していたことがありました。素直な子供じゃなかった私は“仕方なくやらされています”という微動だにしない仏頂面スタイルで演奏。その様子が後輩たちには「クール!」に見えたようでしたが、私は内心口笛を吹きながらノリノリで「音楽チョー楽しい〜!」という気持ちでやっていました。

演奏した曲は、スターウォーズのテーマ、喜多郎のシルクロード、宇宙戦艦ヤマトのテーマ、ドヴォルザークの新世界より、瀬戸内少年野球団のテーマ(イン・ザ・ムード)など。キーボードの合間をぬってビブラフォンとかマリンバとかパーカッションとかなんでもやった気がします。

 

弾いていたキーボードはおそらくこれ。

その当時の最新機種で高かったのよと先生が言っていたこと、メーカーはローランドで間違いないこと、ジュピターという名前に見覚えがあること、オレンジ色がポイントカラーだったこと、かなり大きくて重かったこと、これらの記憶から考えて間違いないと思う。
余談ですが、キャスター付きのアンプに乗っかってシャーっと遊んでたら思いっきり倒しちゃって修理屋さん呼んで直してもらったことがありましたねぇ、何度も。

合奏の醍醐味はやっぱりそれぞれのパートで練習したものを初めて合わせる瞬間ですよね。私は今それがとてもしたい!

 

何年か前に十和田市現代美術館前の広場に「あまちゃん」でノリノリの大友良英さんが来てオーケストラ(大友さんの指揮に合わせて好きな鳴り物をジャンジャガ鳴らす)したり「あまちゃん」のテーマをみんなで合奏したんですよ、動画ありました、これです。

楽しかったなあ〜。よく見るとノリノリでマラカスを振る奈良美智さんも見えますね笑

 

翌年にも大友さんや奈良さんが来て盆踊りやったんですよ。

私は十和田市民じゃないのに津軽地区を代表して(?)市民オーケストラに参加しちゃいました。
事前に楽譜をもらって自主練し、ピアニカ持って当日一人で十和田に乗り込んだのです。
ちょっと寂しかったけど始まってしまえばものすごく楽しかったです。やっぱり合奏はいいな。

そんなに規模大きくなくていいから、また合奏したいよ〜、誰かやりませんか、下手でいいです私も下手なので! むずかしくない曲をガチャガチャやる感じの合奏がいいです。メンバー足りてないとこありませんか〜、楽団ひとりぼっち、行きますよ〜、鍵盤のついたものとリコーダーできます、打楽器もやってみたいし近所迷惑な声量で歌も歌えますよ、ぜひぜひ〜よろしくお願いします〜〜。