日記

2020-04-18

ハバネロソースのことを書いた昨日の今日、母が夕飯にスパゲッティナポリタンを作ってくれていた。こんなの、ハバネロソースの出番でしかない。しかも母はナポリタンなんてめっっっっっっっったに作らない。年に一回あるかないかだ。ハバネロソースを買ったことを話したわけでも存在を見せつけたわけでもないのに、この嗅覚。ちょっとどうかしている。

特に驚かないのは、こういうことが一度や二度ではないからだ。twitterの古参フォロワーさんなら知っているはず。私が何気なく昼すぎに「○○食べたい」とつぶやけば、夕飯にそれが出てくる、という親子間テレパシーのような現象が幾度となく起こり、そのうち母が「エスパー魔々」と呼ばれるようになったことを。

べたべたで甘ったるい正統派ナポリタンにチーズを振り、ハバネロソースをちょんちょんとかけて食べた。合うよ〜、合う合う。

まだ10万円も支給されていないのに、どの写真集を買うかばかりを気にしている(本音をいえば100万円分ぐらい買いたい)。実はもうぼちぼち買い始めている。目につくのが全て日本の写真家(しかもほとんど故人)のモノクロスナップだというのが面白い。

少し前まで、私はよからぬ方向を気にしていた。プロの仕事ではないけれどそれっぽい写真をいいカメラで撮る若手“SNS写真家”たちの台頭である。台頭といっても、今思えばtwitterの写真クラスタの一部でしかなかったのだが、そんな風に見えた(見せられていた)のである。彼らの派手なスナップ(レタッチ)写真に頭を抱えながらも、それなりに驚かされもし、意識もしていたと思う。でもその写真は、私が好きな写真家のものとは何かが(何もかも)違っていた。すごくうまいし、うまく見えるのに、実体がない。高層ビルから見える美しい夜景が、実は大きなポスターだった、みたいな。よく出来たセット、きれいな色の甘いお菓子。疲れている時なら魅了されてしまうだろう。そのことがわかるまでに少し時間がかかった。観察のためにフォローしていたアカウントはリムーブした。

もっと見るべきものはたくさんあったのだ。それを知るために彼らの写真があったのだとしたら感謝したい。そして私は自分と他人を比べて落ち込んだりせず、自分の興味の向くこと、自分が撮りたいものだけをただ真面目に執念深く撮っていけばいいのだとわかった。

というわけで安倍さん、100万円ください。いやこの際、50万でいいよ。もっといいカメラやレンズ、写真集を買わせてください。すぐ使って経済回すよ〜。

日記

2020-04-18

スーパーで半額になっていたハバネロソース(中辛)を家に迎え入れてしまったことを今ごろ後悔している。私は辛いものが苦手だ。にもかかわらず買ってしまったのには訳がある。夜のファミレスに行きたいという理由だけで行ったファミレスの救いようのない味のピザがハバネロソースによって「食べ物」に変わった、という思い出が私にはあるからだ。(以下参照)

そんな救世主がスーパーの白いワイヤーのワゴンの中で「半額」のラベルを貼られ何本も窮屈そうにしていたら一本ぐらい助けてやろうと誰もが思うだろう。私も思いました。「ああ、あの時の救世主さん!どうぞ我が家へいらっしゃい。さあさあ、そこの座布団に座って、まずいピザでもいかが?」

とはいうものの、老人と暮らすこの実家に、かけるものなどありゃしない。ピザ買ってくりゃよかったな。まずいピザはどこに売っているんだろう。今から作るのもめんどうだ。買ってもらったおもちゃを帰りの車の中で開けてしまうような子供だった私が、買ってきたばかりのハバネロソースを試したくないわけがない。おーい、何かないのか。

安いおつまみチーズがあった。

ハバネロソースを小皿に出し、そこへチーズをちょんちょんとつけて食べる。

う…まい?うまいけど… あ、辛い…辛い辛い

足りなさがすごい。悪くはないが、おつまみチーズだけでは明らかに「人手不足」な感じがする。やはりもう少しちゃんとした料理にかけないといけない。肉や魚介、油と相性が良いと思うので、やはり無難にパスタやピザか。あれ、餃子もイケそうじゃん?ハバネロソースを使ったタレ。サラダのドレッシングにちょっと混ぜてもいいな。

などと考えると少し楽しいのである。後悔していたはずなのにね。