こんなこと

2022-03-24

絵の教室へ通っていた頃、私よりもずいぶん長くそこに通っていた女性が「もうこんなことをしていられないから」と言ってやめていったことがあった。最後の日に喫茶店でささやかなお別れ会を開いたのだが、彼女の心はもうこの場にないような感じで、さっさと帰りたそうだった。なによりも気になったのは、私たちをうっすら蔑むような気配だった。

「もうこんなことをしていられないから」の「こんなこと」に楽しく興じたり目標達成のために努力している人たちを前に「こんなこと」と言ってしまえる感覚に冷え冷えとしたものを感じたし、これほど長く在籍して先生からの信頼も厚く、人一倍頑張ってきただろう彼女が、長い悪夢から覚めたかのように古巣を足蹴にして飛び出して行ったのはどういう気持ちだったのだろうか。

彼女が出ていってしばらくして、先生がぽつりと「あの子にはかわいそうなことをした」とこぼしたことがあった。もっと上の技術を教え込み、育てた上で巣立たせることができなかった、というニュアンスだった。果たして彼女は画家を目指していたのだろうか? 「先生に」「画家にしてもらいたかった」だけじゃないのか。

役に立つ資格を取って、よりよい会社に転職できただろうか。長年打ち込んできた絵を切り捨てた先にどんな景色が見えたのだろう。

ぼくの好きな先生

2021-11-16

昔お世話になった担当医の顔が見たくなって名前で検索してみた。今は老人施設の診療所にいるようだ。施設のブログの中に診察中の写真を見つけた。相変わらず優しい笑顔で患者と向き合っていた。私はこの人に育て直してもらったようなものだなあと思う。

毎回、赤ん坊のように泣いた。涙は枯れることがないことを知った。それでも、一番つらいこと、決定的なことは先生にも話せなかった。消えて忘れてしまわないように、言わなかったのかもしれない。

ダウンロードした先生の写真はお守りのようにデスクトップ上に置かれている。開くといつも優しく笑っている。それを見て私は泣いてしまうのだ。

お見合い記念日

2021-02-25

「カコミエール」というアプリで時々自分の過去を眺めている。どんなアプリかというと、例えば今日は2月25日なんだけど、過去の2月25日に自分がしたツイートや撮った写真を表示してくれるというもの。ほかで代用できそうな気もするけど、手軽なんだよね。

3年前の今日は、とある洋食屋でピザを食べたことが写真からわかるし、

5年前は、当時担当していた地方紙のある小さなコーナーのイラストのラフを書いていたらしいことがわかる。

(ちなみに完成形がこれ)

7年前は大好きな犬をなでていた(今はもういない)。

そして、さかのぼること9年前。

私は知らない人とお見合いをしていた。

 

その数ヶ月前、叔父の葬儀が執り行われた典礼会館。帰り支度をしていた私めがけて上品そうなご婦人が近づいてくるなり「あなた素敵ねえ!」と声をかけてきた。当時の私はまだ痩せていて、細身のパンツスーツ(喪服)にショートカットといういでたち。素敵に見えたなら嬉しいが、その時は嬉しいと思える状況でもなく、ご婦人の強引さに面食らっていた。どうやら叔父の方の遠い親戚らしかったがまったくの初見。叔母から説明を受けてもピンと来ず、愛想笑いを浮かべていたら「ねえ、あなた独身?」と聞かれた。ずいぶん踏み込んでくる人だなと思いながら「まあ、はい」と答えると「あなたにちょうどいい人がいるのよ!」とおっしゃる。うへぇ、このテの話かぁ(うぜえ)と思いつつ「実はあまり…興味がないもので、ははは」とお断りのニュアンスたっぷりに困り笑いで返すも、「一度会ってみるだけいいじゃない、ね! 取り持ってあげるから!」とかなんとか、とにかく物凄いスピード感と威圧感で丸め込まれてしまった。私の母や叔母もその場におり、最初はだいぶ気圧されていたが「まあ、いいんじゃない? 会ってみるだけ」みたいな態度でやんわり加勢してきて、私はもうお手上げだった。

言葉は悪いが「おせっかいばばあ」がいまだ健在であることの感慨に耽りつつ、まあ結局はあの場だけの話ということで、パッと立ち消えになることを密かに期待していた。母には「もし連絡がきたら断っておいて〜」と伝えてあったし、なにしろ私にはその気がまるでなかった。顔も知らない向こうの男性だって、おせっかいばばあからよく知りもしない私のことを知らされたところで乗り気になんてならないだろう。

どうやら何度か母とおせっかいばばあとでやりとりがあったらしいが、私は頑なに「お断りで!」の姿勢を崩さなかった。しかし、ばばあは強く、母は弱かった。

2月25日、○時にどこどこの「○×」という店で。

というメモを見た時「はあぁ!?!?!」と声が出た。

決定事項だった。向こうの見知らぬ男性も「まあ一度会ってお食事ぐらいなら」ということらしかった。でもその感じ、ノリノリではないよね、私にはわかる。ノリノリではなくタジタジである。向こうもおせっかいばばあの被害者なのだと思った。

2月25日。その日は来た。お見合いという体だがかしこまったものではなく、場所はちょっといい感じの居酒屋。立会人もなし。私は愛用のデジタル一眼を持ち、登山靴にリュック、時計はG-SHOCK(BABY-Gですらない)。服はなんだったかな忘れたな、とにかく「お見合い」という格好でなかったことだけは確か。色気もへったくれもない、普段の街歩きスタイルだった。

どちらが先に店に着いたのかも覚えていないが、とにかく初対面!となった。相手は、見た感じとても普通の人だった。悪い人ではなさそう。中肉中背、どちらかといえば華奢な方だったと思う。白いオックスフォードのボタンダウンシャツを着ていた。清潔感があり、ベーシックアイテムながらオシャレには気を使っていそうな感じ。私の持ち物を点検するような視線の動きを感じて、この人の関心事はまだファッションなんだな、と思ったのを覚えている。「まだ」と思ったのには理由がある。私にはかつて、人をファッションだけで判断していた時代があった。そのせいで、この人はまだファッションで人を判断しているのだなと感じたのだ。まあ、それしか判断材料がなかったとも言えそうだけど。

最初はお互い「ははは(なんか強引に)、ね〜(セッティングされちゃいましたねえ)」という不本意感丸出しだったが、とはいえこの場をどうにかしないといけないので、普通に、何食べます?とか嫌いなものあります?とかお酒はけっこういけますか?などのやりとりを経て、出てきたのがこれなんだけどさ…

これは…前菜かな? お通し?黒いのは石炭じゃないよね。

正直なにを食べたのか全く覚えてないんだよねえ。何を話したのかはうっすら覚えてる。確か私より2〜3歳年下で、家の商売を手伝っていて、ゆくゆくは後を継ぐらしかった。それから趣味のカメラの話と(撮る写真は明らかに違うジャンル)、東京の話。関わっているというイベントの話や山の話。アウトドアウェアの話。

これってお見合いなのかな。

一応体裁として彼氏彼女いるんですか的なことも聞いた気がするけど、お互い「いないっすね」と言ったきり特に何もなく。なんかもう見た瞬間「別に(恋人)いらない人じゃん!」って思ってしまったんだよな。向こうも多分そう思っただろうし。話を聞いていると、男友達とワイワイ遊ぶのがとにかく楽しい!自由最高!独身謳歌!っていうのが見えてきて、私も実際そんな感じだったし、お互いの世界でそれぞれ自由を満喫しましょうね!というトーンに終始した。

また何かあったら連絡を、って一応メールアドレスは交換したけど、帰宅後に社交辞令的な「今日は楽しかったです☆」メールを送ったのかどうだったのか、それさえ思い出せない。数ヶ月経った頃、ふいに「おひさしぶりです」とメールが来たけれど、その内容は、自分が手伝っていたイベントが近々開催されます、ゲストも豪華なのでよかったらぜひ。みたいな。イベントのリンクが貼ってある宣伝っぽいメールだった。私はそれに返信したのだろうか?「行けたら行きます」ぐらいは返したのかな。覚えてないや。

カメラ持ってきたし一応…と思って、居酒屋で相手の顔を撮らせてもらっていた。だけど写真の整理をするたび目に入るとなんとなく気まずくて、そのうちその写真だけ削除してしまった。決して悪い人ではないのだけれど。そんなこんなで残ったのがこの、なんだかわからない前菜風の写真というわけ。

顔も名前も見事に忘れてしまったけれど、私のお見合い相手さん、どうかどこかでお元気で。

写真展『セーブポイント』後記と近況

2019-12-31

大変ごぶさたしておりました。改めまして、ヌーヨークことNumariです。(誰もヌーヨークさんって呼ばないし呼ばせてもいないので、もはや「ヌーヨークタイムズ」ではなく「ぬまちゃんタイムズ」だよなあと自覚はしています)

2019年6月1日〜30日の一ヶ月間、「新宿ベルク」の壁をお借りして、現代写真研究所の迫川ゼミで一年間学んだ成果として『セーブポイント』という写真展をやらせていただきました。

足をお運びいただき、また偶然ごらんくださった方々、ほんとうにありがとうございました。

写真展はどうにかこうにかご好評をいただきまして…というか、なんたって場所があの新宿の名店・ベルクですよ! とにかく人気店で集客力がすごいので、朝7時から夜11時まで、そりゃあもう大勢の人たちが私の写真が貼られた壁の前で入れ替わり立ち替わりおいしいビールを飲んだりホットドッグにかぶりついたりポークアスピックに舌鼓をうったり、楽しく飲んだり食べたりしゃべったり気持ちを整えたりぼーっとしたりするわけです。その中でどれほどの人が写真に気づいたかはわかりません。多くの人が「あるな」ぐらいの認識だったと思います。だって主役はベルクのうまいものたちですからね。写真は黙って壁にへばりついているしかありません。

にもかかわらず、関東に住む親戚、友人知人や元同僚たちが駆けつけてくれ、中には何度も足を運んでくださった方がいたようですし、お会いしたことのないSNSのフォロワーさんも見ましたよーと連絡くださったりして。うれしいね。ベルクに来たことなかった人たちの誘導に一役買えたような気もして、それもよかったね。さらに、ほぼ毎日見るともなく見ていたであろうベルクのスタッフさんや常連の方々に見守っていただけた感じもうれしかったです。行けなかったよ〜という人も、情報を拡散してくれたり気にしてくれたり、気持ちは伝わってますのでね!

みなさん、ほんとう〜に、ありがとうございました〜!!

 

少しですが展示の様子を

2月の超寒い日の夜、つがる市木造を歩いて撮った写真群です。
セーブポイントみがあります。
蒸し暑い6月の東京に本気の「ひんやり」を演出できたかなあと思います。


ベルクにはウルトラマンがいるよ


よく食べたベーコンドッグ。何度食べても「ん〜〜うまい!」とつい声が出ちゃう。バランスが最高。コーヒーもしっかりおいしい。


写真に写しきれていませんが喫煙カウンターにもずらずらずら〜と並べました。
同じゼミのほかの生徒さんたちも前月、前々月に展示をしていて、その写真も何点か据え置きで展示されていたり、私と同会期でほかのゼミ生の写真も展示されていたので、この時のベルクはまさに写真カフェといった様相でした。


隠しアイテム的にスピーカーの底や足元、こんな隙間にも写真を貼りました。

 

展示写真の一部をご紹介。

 

これがキービジュアルになった一枚。

夜の五所川原市某所です。

 

ニャア〜


これは夜の上野公園でたまたま見かけた猫。私はいつも全くセッティングをせず完全なる偶然に頼って撮影しているので、これも特別なライティングを施したわけではなく、しかも手持ちです。のっそりおっとりとした猫で助かりました。生きている猫なのに剥製か作り物のようにも見え、不思議な感じになっているかと思います。この猫は、長いこと私の自宅PCのデスクトップにも鎮座していました。

 

気に入ったので表紙にしました。

田舎のおばちゃん特有のサービス精神というかなんというか、お土産用に無料配布のZINEを用意しようなんて考えちゃったもんだからさあ大変。しなくてもいい苦労をたくさんしました。まー、今思えばそれも楽しかったです。

(印刷された一枚の紙を手で折って切って綴じているのですが、会期終盤、さすがにめんどくさくなって放置したままの紙がいくらか残っているので、もし欲しい方がいらっしゃいましたらメールをください。送料はかかりますが)


これが「ポークアスピック」だ!ベルクに来たら絶対にこれを食べるべし!
(これは大人数用の盛り方です)

 

感想ボックスにもたくさんのメッセージをありがとうございました!

(雑な写真、雑なメモ帳で恥ずかしいですが)
これいいでしょ、NO WARボックス!少し前にどこかの街のガード下に貼られていたビラを写真に撮って、それを箱に貼り付けたものなのです。しかも時間がなくて、展示の設営日の前の晩にコンビニで出力して新宿の安宿で作りました。笑

個別にお返事できていなくて申し訳ないのですが、一通一通うれしく読ませていただきました。ありがとうございます!

いわゆる芳名帳ではなく投票箱のようなボックスなので、中に紙くずとかカミソリが入っていたりとか「しね」とか「うんこ」とか悪いことが書かれていたらどうしようと不安もありましたが笑、うれしい感想ばかりで、みんなええ人や…となぜか関西弁になりました。おおきに。

 

でも、でもね!

これは展示した人あるあるだと思うのですが、

やりたいと思っていたことの6割ぐらいしかできませんでした〜。

あれもこれももっともっとやりたかったし、本当はこうしたかったのにな〜、こうすればよかったな〜という反省もたくさんあります。そういうものなんだな、ってこともわかってよかったです。

 

ゼミも修了、展示も終了、家のリフォームでバタバタ…を経てホッとしたら腑抜けのようになってしまい、さらになんだか体調もイマイチな感じで

……

 

えーと、この文章もここまで下書きしたの9月11日なんです実は。時は過ぎ、もう11月。

ゼミや展示が終わっても続けなければならない、っていうのはよくわかってるんだけど、写真はめちゃめちゃ撮ってるし撮り続けていくんだけど、なんだろうな、一回区切られてしまったっていうか、失われてしまったっていうか、なんかまだ言葉にもちゃんとできない感じなんですけど、「ぽっかり」しちゃったんですよねえ、ぽっかり。

あと最近気づいたんですけど、私は過去の楽しい思い出を振り返るのがむずかしいようで、当時の写真とかなんか見れないんですよね。すごく楽しかったのに。まあさっさとやらずに時間が経ってしまったのも一因としてあるとは思うけど。

とかなんとか言ってても一向進まないので、またやっていきます。ぼちぼち。

 

 

ついしん!!

先日、むつ市のパワースポット『とびない旅館』にて恒例の「いもすりもちまつり」が行われ、写真を展示させていただきました。うれしいことに、飛内さんのご厚意でしばらく展示させてもらえることになったので、これから下北半島への旅行を検討中で普通じゃない体験をしたい方にはぜひ、むつ市にある『とびない旅館』へご宿泊いただき、飛内さんのマシンガントークを浴び、コレクションに目を白黒させ、妖怪ハウスに恐れおののき、12号室に設置した「セーブポイント」で私の暗い写真を見てくつろいでもらえたらと思います。(宿へ行く際は必ず電話予約してくださいね⭐︎)

この一筋縄ではいかないけれど、行くとなぜだかパワーがもらえる宿のようすや攻略法は、こちらのブログを参考にしてください。

 

●青森大好き「ねこぜ」さんの超人気ブログより
恐山に次ぐ、青森県むつ市のディープスポット「とびない旅館」攻略まとめ

●私が初めて「とびない旅館」に泊まった時のことを変なテンションで書いたブログ
女子3人でシモキタの「とびない旅館」に泊まってきましたぁ〜! #1
女子3人でシモキタの「とびない旅館」に泊まってきましたぁ〜! #2

 

……と、ここまでを読み返しているのが現在12月31日午前3時の私です。
実に半年間もこの場所を放置してしまっていました。ようやく重い腰を上げたのが大晦日ということになります。今年の心残りは今年のうちに。いや、まだまだ心残りがたっぷりあるぞ。しかしそれらはこの正月休みにやっつけさせていただこう。

ついでに私事なのですが、母が病気になり現在も入院中でして、私は仕事をしながら毎日病院に行き、家のこと全般をやっております。ようやく人並みに「生活」の大変さを思い知ることとなりました。仕事して子育てして家事して親の世話もしている人ハンパねぇな、超人だな!と思います。それでさらに自分の趣味も続け、ものづくりして何か売ったりしている主婦さんとかマジどうなってるんだ!?と思います。表彰されるべきです。

母の不在によって母の存在が浮かび上がるというか、この家やこの家の人間関係はどれもこれも母によって成り立っていたんだなあ、すっかり依存していたなあと思い至りました。不運とも思える一人の病が、私を含め沢山の人たちを動かし、よい変化をもたらしていて、この病気がギフトにさえ思える。そんなことを言ったら本人は「えぇ〜…病気なんかになりたくなかった〜」ってブーブー言うんだろうけど。

以前のように自由気ままというわけにはいかないかもしれないけど、慣れてしまえば何とかなるもんで、「こういうものだ」と思えています。自分でも「あれ、私けっこう出来んじゃん」とちょっとした自信にもなっていて。

頻度は減りましたが相変わらず写真は撮っているし、逆に今までほとんど読めていなかった本を1日一冊ペースで読んだりしていて(入院中の母にすすめるためでもある)悪くない状況です。正直、少し前は頭がいっぱいでそれどころじゃなかったんですけどね。

母は、自分のことは二の次で、とにかく人のために頑張っちゃう人で、多分それしか出来ないし、それこそが喜びだし、自分のために何かできない人なんだろうと思うのです。でも本当にそれでいいの?母の人生はこれでいいのだろうか?とふと思うことが以前からありました。

母が入院したことで、いままでボサーっとしていた私がすっくと立ち上がり(これには自分でも驚いた)できることを自主的にどんどんしている中、「自分以外のために生きることは大変そうでいてけっこう楽なことでもあるな」と気づいたんです。これをやっていれば感謝されることはあっても恨まれることはないし、役に立っているという充実感もある。でも…

 

自分のこともやらなきゃダメだなあ

 

こういう私の現状を知りつつも、「自分のこともやめないでね」とせっついてくれた友人に最初は抵抗してしまったけれど、確かにそうだ、誰かのために自分を犠牲にして酔ってしまったらおしまいだ、と気づきました。自分の人生も進めなくちゃ。

母はずっと誰かのために生きてきてしまったわけで、もう今さら「自分の人生を歩んでね」なんて私には言えないです。「世のため人のため」が「自分のため」になってしまった。それはもう立派にその人の人生だよね。病気をきっかけにして何か新しいことを始めよう!という気持ちもないみたいだし、なにしろちょうど一年前につぶやいた抱負が「何事もなく平穏無事でありますように」だったような人なので。

本人的には、何事もなくなかった!ちっとも平穏無事じゃない!という気持ちだろうけど、私は初めて母という人を身近に感じているし、思いのほか中身が無いなあとか本当に自分を捨ててきたんだなあとか同じ昔話何回すんねんとか痛みや不具合につくづく弱いなあとか笑、母の足りなさを人間らしく思えるし、逆に今まで頑張ってきたことについては素直にすごいなあと思えるし。この親にしてこの子あり、私もかなり足りない人間だなあと思い知るに至ったり。

 

 

そんなわけで、教訓。
人間ドック行こう!自分の人生を進めよう!です。

あ、これそのまま来年の目標にしよう。

 

ここまでお読みくださった方、お疲れさまでした、ありがとうございます。お茶どうぞ🍵🍡
みなさんにとって来年も平穏無事な一年でありますように。

それではよいお年をお迎えください〜!

by the way…

2019-05-25

むかしむかし、地方の高感度少女たちは文通をしていた。

外部に趣味の合う友達を見つけて情報交換する手立てがそれぐらいしかなかったのだ。
(そういう意味では今はいい時代だよ、ほんとに)

手紙に書く内容は、リアルはんぶん、フェイクはんぶん。100%リアルの子もいたとは思うけど、私は半々だった。遠方の相手がわざわざ私に会いに来るわけがないと思っているので、はんぶん嘘の自己像に酔いながら書くことができた。まあ、若干のむなしさはあるんだけど、夢を見たかったのだ。手紙の内容はさておいて、そのうち体裁に凝り出すようになっていった。既製のレターセットなどは使わず、趣向をこらして実験的なことを色々やった。当時はメールアートという言葉を知らなかったが、それに近いことをやりたくてやっていたような気がする。
お互いに「この子、センスがいい…」と思えばすぐにライバル同士になり、刺激し合いながら“作品”(すでに手紙の域を超えている)を向上させていき、どんどんエスカレートしていった。しかしそんな関係も受験 、進学、共通の話題だったバンドの解散等で消滅。

知り合いではないけれど面白いなと思ってフォローしている人がいて、たまたまさっきインスタを開いたらその人のpostが一番上に来ていた。なんとなくそのpostについたコメントの送り主の名前が目に止まった。同じ名前の文通相手がいたことを思い出す。特徴的な名前なのだ。

テレビ番組の「あいつ今何してる?」ではないが、中学時代に文通していた女の子の名前を検索してみることにした。あれ…漢字どんなんだったかな…思い出せないので氏名をローマ字にして検索してみる…

一人、ヒット。

facebookがあったけど私はfacebookをやっていないので見ることができない。
pinterestが出てきた。pinterestというのは、ネット上の画像でいいなと思ったものに「ピン」をして収集し、分類できるサービス。

見てみる…
この人で間違いないことがわかる。

なぜなら、
私が中学時代にハマって彼女に教えたミュージシャンの画像がたくさんピンされていたから。
ほかにも私が当時作っていたオブジェや、文通中の手紙に施したコラージュなどの影響と思われる画像がたくさんピンされている。

私の影響を受けた人っているんだな…
ごめんなさい、と思った。

最初のきっかけは私かもしれないけど、それ自体の魅力で彼女はそのミュージシャンやオブジェを好きになったのだ、というのはもちろんわかる。けれど、私の影響で引っぱってごめん、という気持ちにもなるのだ。彼女はもともとはこういう趣味ではなかった。あっけらかんと明るくポップなものが好きだったはずで、そのまま素直に育てばよかったものを、私のせいで彼女を間違った方向に向かわせてしまったのではないか、などと。

それこそが傲慢だという気もする。私ごときの影響で彼女の人生が狂ったとか狂わなかったとか、そこまでの影響力はないはずだし、私だって誰かの影響の寄せ集めでできている。わかってる。知ってる。だけど、見ちゃうとさあ、なんかやっぱり「ごめんなさい」なんだよな…

きっと、私のこと好きだったんだろうな。ありがとね。

私の存在はあなたがどうググっても見つけられないと思う。ぜったいに見つからない場所で、あなたと同じように写真なんか撮ってネットにあげてる。いつかどこかで会っても知らんぷりするから笑、今のうちに謝っとくよ、ごめんね。

P.S.
さっき見たインスタでコメントしてた人、彼女でビンゴかも。共通点は「ロンドン」。こわい。こわいなあ! 私は世界の急速なつながり方がこわい。もう今は、見えない糸どころではなくなっている。糸がどんどん見えてきてこわい。でも私はつなぐ糸、つながない糸を自分で選ぼうと思う。

しあわせのドラゴンフライ

2019-03-29

2008年の雑誌を見ていたら丸の内特集の地図の中に「ドラゴンフライカフェ」の場所が示されているのが見えて、あそこまだあるのかな、と思ったら2009年で閉店となっていた。

私が一度だけそこへ行ったのは東京に住んでいた頃のこと。通りに面した大きな窓と高い天井、開放的で明るく小ざっぱりとした店内。何年ごろだったのか、季節はいつか、何を食べたのかなどは記憶にない。だた一つ忘れられないのは、その店のちょうど真ん中あたりに細野晴臣さんが座っていたことだ。

そこだけ違う色をしていた。

仕事の関係者らしき女性と二人で向き合い、静かに談笑しているだけなのに、大人の余裕があって都会的でほんとうに素敵だった。その光景が一枚の写真みたいに焼き付いている。東京はそこらじゅうに有名人が居すぎて、いちいち誰も騒いだりはしないのだけど、たまに漏れ聞こえてくる細野さんのいい声に聞き耳を立てながら私と友人だけがそわそわしていた。そのせいで何を食べて何を話したのか覚えていないのかもしれない。

 

ドラゴンフライカフェはZUCCaプロデュースのカフェ(隣にショップもあって服も買えたような気がする)で、確か表参道にもあったはず…と思ったらそちらも閉店したもよう。

ああ しあわせの とんぼよ どこへ…

 

(細野さんを登場させておいて長渕さんでしめる)

 

有楽町ビルヂングで逢いましょう

2019-02-24

乗り換えのために有楽町でいったん電車を降りて「有楽町か…」と思い、乗り換えのホームには向かわず私は出口を出てしまいました。
久しぶりに有楽町ビルヂングのタイルと階段を見ようと思ったのです。

健在。いやあ、素晴らしいよね。

 

私がこのビルを知ったきっかけは、雑誌『ELLE DECO』でした。その時たまたまコモエスタ八重樫さんがモダンな建築を紹介する特集「MOD EAST」というのをやっていて、そこに有楽町ビル1Fの喫茶店「ストーン」が載っていたのです。

これが現在のストーン。(なぜかこの一枚だけフィルムで撮ったので、まぎらわしくてすみませんが2019年2月撮影です)
経年劣化により安全性が保証できなくなったとかで、剣持勇デザインによる素敵な椅子は数年前に全て別のものに変わっています。

 

ELLE DECO→AXIS→LIVING DESIGNと場所を変えながら続いた「MOD EAST」は、2004年に書籍化されました。


「BGM for MOD EAST」というCDも付いているのですが、これがまたいいんですよ。


これが当時のストーン。かっこいいですよね。見た時は本当に震えました。


石をふんだんに使った壁。床のタイルの配列にもゆらぎがあってすてき。
この店のために剣持勇がデザインしたのかと思うほど椅子がマッチしています。

東京で暮らしていた頃、ストーンには何度か行きました。実際に行くとモダンでおしゃれな人は一人も座っておらず笑、ほとんどがサラリーマン風のおじさん達でした。同伴っぽいお姉さんとおじさんの二人連れが噛み合わない会話をしていたこともあったな。

当時は看板娘ならぬ上品な看板おばあさんがせっせとお給仕していて、私はぼーっと彼女が働くのを見ながらコーヒーを飲んで、持っていた海外小説を読むでもなく開いたり閉じたりしていた記憶があります。

この空間に身を浸すのが至福だったんですよね。煙草臭くはあったけど。

 

この本、ほかの場所もとてもいいので少しご紹介。


赤坂プリンスホテル


箱根プリンスホテル


下田プリンスホテル


下田プリンスホテルのナイトスポット「サブマリン」

(なぜかプリンスホテルばかりになってしまった!笑)

 

その他、早稲田理工学部図書館、パレスサイドビル、前川國男邸、ビラビアンカ、中銀カプセルタワーなどなど良い物件ばかりです。ちなみに私の母校の旧校舎も載っています。

写真は伊藤愼一さんによるもの。どれも見事なアングルの美しい写真ばかりです。(私の偏見?ですがTOTO出版の本はお手頃なのに紙や印刷がよくてクオリティが高いと思う)

モダンなビル好き建築好きは当然所有していると思いますが、この『モッドイースト』(TOTO出版)、今見てもおすすめです。中古ですがamazonで定価よりは安く手に入るかと。

 

伊藤愼一さんが夕張を撮った写真集も良いです。欲しいな…
(このあとポチってしまった)

 

 

さて、有楽町ビルに戻りましょう。


地下のトイレのガラスブロック? これもすごいよね。

昔数回行ったベトナム料理店「サイゴン」がまだあって、なつかしかったな。味はあんまり覚えてないけど安かった記憶(なんかすいません)。


こちらは鉄道模型のお店。


万かつサンド…ごくり。


おいしい水…ごくり。

新橋とかもそうだけど、駅前のビルに漂うオッサン臭といまいち垢抜けない感じが私は大好きです。

タイルや階段やガラスブロックが前のまんまで安心しました。
いつどうなるかわからないので、今のうちにしっかりと見ておくのがいいと思います。

あの日の学生

2019-02-20

歌舞伎町にあるタイ国料理「バンタイ」にて学生時代の友人と。

年賀状のやりとりとSNSでつながってはいたけれど、直接会ったのは震災の年以来。その時は私のテンションがおかしくて「何が起こるかわからないから東京の友だちみんなに会わなきゃいけない!」って一日10人ぐらいに会ったりしてすごくバタバタしていたので、こうしてゆっくりご飯食べながら話すのは学生の時以来かも。

私はずっと独身で子供もいないけれど、彼女は年下のだんなさんと結婚して3人の男の子をもつお母さん(🐶🐶も)。住む土地も生活も責任も悩みの種類も違うから、話が合わなかったらどうしようかと思ってたけど、やっぱり同い年って不思議な近しさがあって、長年のブランクをほとんど感じなかったな。彼女の口から語られるほかの同級生のその後。みんな結婚して子供を産んでて、なんだか妙に感心してしまった。まあ私は私で、それを選ばなかったってだけなんだけどさ。だから身軽にどこへでも行けるんだよね。(お金はないけどさ)

ファッションの虜だった20歳の私たちは、思い思いに好きな服を着て学業はそこそこ、事あるごとにタバコ休憩を挟みながら気ままに生きていました。学校帰りは毎日安い店で飲食をしながら何を話したんだったか、あーでもないこーでもないと飽きもせずにしゃべり続けて。文化祭で私がへまをしたことやダサいところも知っているのがこの友人である。というか、当時からつながっているのは彼女ぐらいだなあ。私は卒業後、ファッションを思わせるもの全てから遠ざかった感じで。彼女は面倒見がいいから、たくさんの人と今もちゃんとつながっててえらいな。

 

色々あってもさ、生きてたら会えるんだなーって。生きてたら会えるんだよ、すごいね。
そのことが嬉しかった日のタイ料理です。

がんばろうね。