愛はトーストのように 珈琲店「愛養」(築地)

2018-08-30

暑い日。

長野陽一さんの写真や、いろんな方々のインスタ写真などを見ては、いつか行ってみたいと思っていた場所、築地の「愛養」へ。世界の貝のメンバー、品口回と行きました。


ちょうどいい席が空いていてよかった。
アイスミルクコーヒー。

マスターに甘さをどうするか聞かれるので「甘めで」と答える。大理石っぽいカウンターの模様と響き合い、とても美しい。写真で見た「AIYO」というロゴ入りのグラスじゃなくてちょっと残念ではありますが(ロゴ入りグラスは数が少なくなり、貴重らしいです)一口のむ。ああ、おいしいなあ。甘さがちょうど私の好みにぴったりです。
もうわかってしまう。ここが名店だと。


トースト。


品口回がファンに話しかけられている間、料理写真の苦手な私はここぞとばかりに何枚もトースト写真を撮りました。使えるかなあ、と思えたのはこれ。下手な鉄砲は数撃たなきゃね。いや、まあ写真のことはいいんですよ。

このトースト、なんで?っていうぐらいおいしいんです! 焼きぐあい、バター、ジャムが天才的なあんばい。ちょっと冷めてきてもずっとおいしい。丁寧であたりまえに何年も続けてきた仕事が、びっくりするぐらいおいしいものを生み出すことがあるんですよね。私はそういう、地味だけれどひと味ちがうものが好きだし、それをそっと提供してくれるお店が大好きです。


マスターがまたいいんですよね。たたずまいがいい。仕事のリズムや美しさは、浅草「アロマ」のマスターにも通じるものがあるなあと思いました。そういえば、どちらもトーストとコーヒーのおいしい店。


とても居心地がよくて、「(いいなあ)(いいなあ)(いいなあ)」と心の中で言うだけでは足りず、つい「いいなあ」とたびたび声が出ちゃう。

そんないい場所が、10月上旬、なくなってしまいます。

豊洲移転後は天ぷら屋さんとなり、喫茶店はもうおしまい、とのこと。マスターに「えっ、こんなにおいしいのに、喫茶店やめちゃうんですか!?」と前のめりで聞くと、「だって54年もやったもん、もう十分でしょ」と軽やかな笑顔で引退を匂わされてしまいました。期待と可能性を残しつつ、お疲れさまでした。来れてよかったです。

「また来てよ」
うぅ〜〜、閉まる前にもう一度行きたい!!

 

珈琲店「愛養」
築地市場内 6号館
日・祝・休市日 定休
3:30〜14:00(L.O.13:30)

親戚、つらい、猫かわいい

2018-08-15

母の生家には今も高齢の伯父夫婦が住んでいて、盆と正月には顔を出してお互いの生存を確かめている。

40を過ぎた私に向かっていまだに「おがったねえ(大きくなったねえ)」と目を細める伯父夫婦。毎回言われる「お婿さんもらったんだべ」に対する「あはは、まだですよー」という定型の返答もなんだか今年は一層むなしく感じた。長年通っていてもお互いのことは何も知らないし、調子よく話しかけているようでいて何も話していないような母、その母が離席してしまうと残された父・私・伯父夫婦では会話が尽き、黙ってテレビを見るしかなくなってしまうこと、掃除の行き届かない古い台所、壁にべたべた貼られた注意書きや薬袋、日めくりカレンダーの日付が「明日」になっていたこと、何度も母の名前で呼ばれたこと、出されたスイカが腐りかけていたこと、この時間は一体なんだろう、血のつながりとは、関わりとは何なのだろう…などと考えていたら、どうにもつらくなってきて、私はたまらず外に出てしまった。窓から見えた猫を追いかけるふりをして。

長年、汗水たらして畑仕事をしてきた伯父夫婦。私は小さい頃、ここへ来るのがいやだった。古くて汚くてダサかった。文化がなかった。しゃれた家のしゃれた親戚じゃないことがいやだった。でもそう思うことが悪であると知っていたから、私はここでずっと作り笑いをしながら、出されたものを「無邪気に」おいしいおいしいと言って食べた。

大人になってからは明るく声をかけたり笑顔で接することができるようになった。いつまでたっても私を子供のように扱う彼らの笑顔に癒されてもきた。毎回同じ話だろうが、それでもよかった。

でも今年はなぜか、その全てがつらくなってしまった。

伯父さん夫婦は何も変わっていないのだから、私の感じ方が変わったのだろう。こちらが都合よく「いい」と判断したところだけを良しとして完結させしまうのは、ただの思考停止のような気がした。

ごはんなどのお世話は、近所にいるお嫁さんがしてくれているようだ。たまにデイサービスへ行く以外は、ほとんど二人きりで寝て起きて食べてテレビを見る生活というのは、どんなものだろう。長い人生、真面目に働くだけでなく脱線したり寄り道して視点や所属を増やし、趣味や楽しみ、茶飲み友達を持っておかないと厳しいかもしれないと思った。でもみんながみんな、そんな風にうまくやりくりできるだろうか、という気もする。

東京で暮らす孫たちから誕生日に送られてきたというメッセージが壁に貼られている。以前はそれを良きものとして眺めていたが、今年はなぜか「ね? じーちゃんばーちゃん孝行の、いい孫でしょう」というポーズにしか見えなくて、しらじらしく感じてしまった。遠く離れていれば、作り物のような優しさを持つことができる。私は東京にいた時、自分の親にそういう気持ちを持っていた。都合のいい親像を勝手に作り上げ、プレゼントを贈って「いい子供をやっている」ことに酔い、安心する。受け取る側が喜ぶならそれで十分かもしれないが、本物の愛情ではなかったと今ならわかる。

こんなことを思う私が歪んでいるだけならよいのだが、これも一つの現実なのだ。みんな本当のことは知りたくないし向き合いたくない。私はきっと、目が覚めつつある。だから世界がちがって見えてきたのだと思う。それがいいのか悪いのかはわからない。幻想から目覚めてしまうと、もう前には戻れないことも知っている。本気で関わるつもりがないなら蓋をして、ただニコニコしていた方がいいのかもしれない。人とどう接していけばよいのだろう。わからないまま、眠りにつく。

と、ここまで書いて、いったんアップしたのですが、終戦の日の今日、見よう見ようと思いながら見ないでいた『この世界の片隅に』(映画)を観て、泣いて、ぼーっとして、

もうやめよう、これで最後にしようと思いました。
もう自分の生まれや環境を恨むのはやめよう。
「無い」ことで、わたしはここまで生きてこれたんじゃないか。それでいいじゃないか。

私は明らかに先祖の中の誰にも似ていない。突然変異種のようなものかもしれない。そのおかしさをずっと隠して、うわべだけ「ふつう」になろうとしてきたけれど、それももう終わりにしたい。私は私でいい。だってそれ以外にありえないから。

なつきちゃんのこと

2018-08-03

なぜか突然なつきちゃんのことを思い出したので書きます。

なつきちゃんは小学4年ごろに私が通うド田舎小学校に転校してきました。親の仕事の都合とかだったと思います。青森市から姉妹で転校してきました。

なつきちゃんは、少女漫画みたいに大きくてキラキラした目をしており、その上にはどっしりと太い眉毛が鎮座、頰にたっぷりのそばかす、美形成分より面白みの方がまさってしまったような愛嬌のある顔(今思えばふつうに可愛いと思う)をしていました。そこに黒々としてクセのある剛毛が乗っかり、背格好は小柄で中肉。もっとも特徴的だったのは、ガラガラ・キンキンしたその声。

勉強や運動は苦手、片付けたりするのも不得意なようで、机の中はいつもぐちゃぐちゃ。ドジだったり、言うことが天然だったりして、男子にはよくからかわれていました。なつきちゃんのお姉ちゃんは、なつきちゃんをひっくり返したように正反対でオール5の才色兼備。なにかの行事の時に姉妹で話しているのを見たことがあるのですが、まるで女王様と召使いのようでした。ツンとプライドの高そうな美しいお姉ちゃんに対し、引け目を感じているのか猫背になって困ったような表情でおどけるなつきちゃんの顔を覚えています。私はなんだか胸が痛くなって「なつきちゃんのほうが100万倍いいよ」と思いました。

 

そんななつきちゃんにも輝く瞬間があったのです。

休み時間中、彼女は教室の真ん中で一人芝居をしていました。彼女の周りを取り囲むように人が集まります。ストーリーは主に不穏な恋愛もの。いつもへらへらしているなつきちゃんも一気にグッと目つきが変わり、役に入り込みます。夫婦仲を切り裂く悪女、火遊びする夫、妻の不貞、激しい言い争い、舅のいじめ、離婚そして再婚、実は兄妹だったり、隠し子がいたり、最後は悪い病気であっさり死んだり…という、びっくり設定でドロドロとした昼ドラのような、おいおいどこで覚えてきたんだよ!?っていう大人の愛憎劇を全て一人で演じるのです。
ストーリーもセリフまわしも全部即興。話のつじつまが合わないぞ、などとツッコミが飛ぶこともあったけれど、それでもみんなけっこう面白がってそれを見ていました。子供が大人の世界を真似たお遊び劇ではあるものの、妙にリアリティもあったりして実際面白かったし、こういう子、すごく珍しかったんですよね。

当時クールなタイプだった私に、なつきちゃんは割となついていました。漫画を描く私の机にかじりついてじーっと見たり、いろいろ質問してきたり、たまに上目遣いでベタベタしてきたりしました。正直ウゼェ…って思うこともあったんですけど、私も結構なつきちゃんのことが好きだったし、一目置いていました。

なつきちゃんはおそらく小6ぐらいまで私たちの町にいて、それからまた青森市へ戻っていったように記憶しています。

 

ウン十数年の月日が流れ…
なんとなくテレビを見ていたら、ある高校の演劇部が取り上げられていました。その舞台の様子が映し出され、中心にいた主役の女の子が大うつしになった時、私は息を呑みました。

「なつきちゃんだ!!」

いえいえ、そんなはずはありません。私はすでにアラフォーなのに、なつきちゃんがまだ16〜17歳なわけがありません。でも、嘘でしょ!?っていうぐらいソックリだったんです。

小学校時代、私たちの輪の中心で熱演していたなつきちゃんにしか見えませんでした。顔も背格好も声の感じもそっくりでした。
きっと、なつきちゃんは自分そっくりのあの子を産んだのだと思います。

もちろん、まったく関係がない可能性もあります。

でも私には「なつきちゃんの子ども」というのが一番しっくり来るのです。あんなにそっくりで、演劇に打ち込んでいて、しかも主役だなんて。勝手に私の中でなつきちゃんと主役の子の顔が重なり、感慨深くなってしまいました。

なつきちゃんの子供。私の中で、そういうことにしておきます。
あの子の目、すごくキラキラしていたなあ。

東京オリンピッ苦な〜

2018-08-02

開催地が決まった時からずっと嫌な予感しかなかった東京オリンピック、私は今でも無しにならないかな〜と思っている。

無しになるチャンスはいくらでもあったのにな〜、今からでも遅くないから無しにならないかな〜、もう遅いのかな〜、最初からおかしかったけど、どんどん変な感じになっていくな〜、どんどん取り返しがつかなくなっていくな〜、こわいな〜、どんどん街が壊れていってるな〜、どんどん無駄遣いしているな〜、どんどんボロが出てくるな〜、茶番だな〜、死人が出そうだな〜、こういうの言えない雰囲気なのもいやだな〜、なんだかな〜。

わたしはただただ恐ろしいのです。その後に待っている悲劇が。(もうすでに悲劇だけど)
だってもう悲劇のフラグ立ちまくりでしょ。

なにごともなかったね、大成功だったね、やってよかったね、って思いたいよ私だって。
いいオリンピックになることをお祈りしています🎋

いろんな問題をクリアして無事に開催にこぎつけたならば、私だってめちゃくちゃ応援するし見ますよ(テレビで)。でもやっぱり後が怖いな〜。

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