世界

2022-04-16

あの人にいやなことをされた過去があったから今の私になれた。とか、

あの苦労があったから強くなれた。

などと私が思うのは勝手だが、人から言われたくはないし、私は「あの人」や「あの人のおこない」を決して許すことはない。

だから、私にいやなことをされた人も私を許さなくていい。

どの界隈だろうと性暴力はあってはならない。地球上から性暴力がなくなってほしい。やっと声をあげられるようになったとよく言われるが、被害者はなぜこんなにも怒りや悲しみ、恐怖を抱え込まねばならないのか。傷ついた魂は傷ついていないふりが上手になる。覆い隠して遠くに追いやってしまえば見えなくなって都合がいい。忘れてしまえば平気で生きられる。でもそれはふとした拍子にあらわになる。昨日のことのような鮮烈さをもって暴力は今また私の目の前に迫って来る。あの時「小さな子」を助けられなかったことを悔やんで私は泣く。あの時の小さな子は女を捨てて生きること、決して他人を信用しないことを学んで大きくなった。それはとても悲しいことだ。私は私の世界を変えた暴力を許さない。思い切って打ち明けた時に「よくあること」と返してきた人たちのことも許さない。

いまだに街や人を破壊し、血を流して戦うなんてどんな弱虫のすることだろうか。あきれて涙もでない。私たちが生きている限り、私たちは地球をこわし続けている。誰かのせいにして溜飲を下げる人たちも愚かだ。これは、紛れもなくわたしたちが作り出した世界だ。

日記

2021-03-20

私は私の好きな写真を撮っていくしかないんだという気持ちになっている。私が好きな私の写真はとにかくウケが悪いことも知っている。試しにSNSにあげてみるとまあ見事に反応がない。こんなにきれいに違いが出るのかと思うほど人気がない。(人気がすごいある写真というのもまた無いわけだけれど)(悲しいかな)

でも、自分がいいと思っていることを信じてやり通すしかないんじゃないか、という気がする。それはとても孤独な道だ。だけど、それをすることが私にとって一番幸せなんじゃないのか。

すいません今酔っ払っているので、文章がアレだと思いますけど

ずっと一年ぐらい、写真のことばかり考えてきて、カメラも壊れて、でも新しいものを買う気持ちになれなくて、写真が全く面白くない時期も長く続いて、相変わらずそんなに反応もないし(いつも同じ顔ぶれ。それはそれで安心するし、ありがたいとも思っています)、でも反応とか他者からの評価なんてそんなに大事だろうか? そこを気にして態度を変えるのはおかしくない? もっと自分の気持ちと真摯に向き合った方がよくない? 誰に見向きもされなくたって、私は私の世界を追求すべきじゃない? という思いが今、湧き上がってきた。(mogwaiの新しいアルバムを聴きながら)ずっとくすぶってたんだろうな。

不得意なことを克服したり器用にふるまうことが必要な人はそうすればいいし、やりたいことをやるために技術や機材が必要なら手に入れたらいい、ってだけの話で、私はどこを向いていたんだろうな? 考えたいことややりたいことはもっと別のところにあったのに。自分に対して、なんかごめんという気持ちだ。

有名になってどうすんの? 人に好かれるために自分を捻じ曲げてどうすんの? やりたくないのに「やらなきゃ」って展示する意味なんかある?

でも別に固まっていたいわけじゃないんだよ。面白そうなことには手を出したい気持ちはあるし変化していくものだとも思ってる。けど、大事なところはブレたくないかもしれない。さんざんブレブレだったけど。

頭のいい写真じゃない。優れたところもない。統一感もない。はっきりとしたテーマもない。まだ全然ペーペーだと思ってる。使命とかなんにもない。社会に貢献もしない。それでも撮る理由ってなんなのかね? そもそも理由ってなに? 理由って必要?

あ、それらを否定してるんじゃないです。頭のいい写真、優れた写真、統一感のある写真、はっきりとしたテーマのある写真、何らかの使命感を持って撮られた写真、社会貢献的な写真、嫌いじゃないです。私は違うよね、っていう話です。

好きな服と似合う服が違うってことよくあるけど、似合わなくても好きな服着ていいし、似合うものがわかっていてそういう服を好んで着られるならとても幸せなことだと思う。私は自分が好きな写真を撮っていくしかないんだよ。それを私だけはわかってやる。いいねって思ってやる。イマイチならイマイチだねって言う。イマイチな写真がめちゃくちゃバズったとしても、私はそれを「いいね」とは思わないでおく。そういうことだよ。(そもそもイマイチな写真を外に出すな)

自分の幸せは自分が一番知っているはずだ。楽しそうにやっていたら、良さに気づく人がそのうち現れるかもしれない。現れなくたって別によくて。私だけは私の良さをわかっているから。

いや、ちょっと、待て待て

深刻な顔で難しく考える必要すらなくて、たかが写真だよ? もっと楽しんだっていいんじゃない? だって写真、楽しいじゃんね。自己中心的に自分で撮りたいもの撮って、遊んで、まあ見たい人がいたら見たらいいよっていう程度で、

酔いがさめてきてしまった

何をつべこべ言っているのだ私は。

明日、写真撮りに行こう。

日記

2021-03-11

少し前、インスタのストーリーで、ある展示について厳しめのことを長文で書いたんだけど(ついに私もそんなことするようになったか…という感慨は置いといて)、まあ怒りが熱いうちに書いちゃって、私の気持ちとしてはとにかく県外からわざわざ見に来ようとしている人に「来ないでください!!」と注意喚起したかった気持ちが大きく、あとは写真愛が強すぎるので(写真展だってバレちゃったね)、ダサい展示やるならやらないほうがマシだよ!と思ってしまったからなのでした。

その後に新聞で紹介されていたことを知って記事を読み、読んだら「そういうことか」ってわかったけど(SNSを知らない地元の高齢者たちにも写真を見てもらって場所などの情報がほしいということだったらしい)いやでも、だとしたらタイトルとかもうちょっと配慮が必要だったんじゃないかって。「○○○○ 写真展」ってつけちゃダメよ。「○○さんの押入れから見つかった あの日の青森 なつかし写真展」とかにしないとね。SNSではお知らせしないようにするとか、注意書きを添えるとかね(地元高齢者からの情報収集のための展示です、とかさ)。あとタイミング。今このタイミングでやらなくても良くない?と思ってしまった。急いでたのかなあ。ほんとにお粗末な展示なんですよクオリティ的に。せめてプリントもうちょっとどうにかならんかったのかな、、アマチュア写真家ですらもうちょっといいプリント作れるよ。できないならキタムラに出したっていいのに。ほんとに写真わかる人がいなかったんだろうな。。もしネガから印刷できなかったんだとしても、なんならjpegからでももうちょっとマシにプリントできるよ。写真が泣いちゃうよ。って気持ちは今も変わりません。

おっかないねえ。

こんなこと書いたら諸刃の剣なのに。それでもそれを上回る写真愛があってな。すまんね。

関わっている人がたくさんいることも、それぞれの人が善意で動いていることももちろんわかってますよ。でもね、それで完成したのがこの展示!?ってやっぱりなっちゃうんで。わからないなら写真の扱い方や写真展に詳しい人を一人でもアドバイザー的につけたらよかったんですよ。たくさんいますよ、青森県内にだって。

まあいいや。

文句言う人が悪者になる世界わかります。でも善意の人たちの怠慢と暴力もまたありますよね。私は大嫌いです。

こういうこと言うと気持ちがスッとするように思うでしょ?全然ですよ。ずっとモヤモヤするんです。でも言わなきゃいけないことだと思ったので。

言い方はもうちょっとなんかあったよね。そこはすまんかったね。

いやー、でもなー、敢えてストレートに言わなきゃ伝わらないこともあるからな。。

私は今まで怒りをうまく表出できなかったから、よしとするしかない。よしとする。

青森の懐かしい写真ってだけじゃないんだよ、あの人の写真は。でもとりあえず最初はそうなっちゃうの仕方ないよ。理解できる。だってそういう土地だもん。仕方ない。ヴィヴィアン・マイヤーみたいにはいかない。だってあれすごいエネルギーいるもん。ちょっとお手伝いしまーす、という気分でできるもんじゃない。人も動くしお金も時間もかかる。だから、だからこそ!早急に適当にダサいことしないでくれよー!って思うじゃん。思ってもいいじゃん。私はそう思ったよ。昔の青森を懐かしみたい人がそれなりに楽しんでいることも知ってる。それはそれでいいと思う。でも私はあの人の写真が素晴らしいと思っているので、そこに光を当ててほしいって思ってしまう。そこに光が当たっているとばかり思っていたんだよ。事実、SNSですぐれたスナップ写真を撮る人たちが絶賛して広まったようなものだし、そういう文脈で語られるべき作家だと思ったんです。それが、なんかいつもの田舎の悪い癖っていうか、そういうぬるい感じになっちゃって、歴史・民俗資料的なもので終わらせてほしくはないんだよなあ。

写真集出るみたいだけど、期待してたけどやっぱりなんか「青森」を外せないんだなーというのが見えて期待半分になっちゃった。まあ買うとは思います。写真がいいので。

うまくいかないもんだね。何も関わってない外野のお前が偉そうに言うな、って思う人もいるんだろうなー。でもじゃあ誰が言えばいいの?ずっとこんな悲しい状況放っておいてもいいのかな。いいんだろうね。放り続けてきたのが今なのか。そうか。知らんわ。私は好きなこと言うから。

どんどん広がっていけばいいんだと思うんだよ。郷土資料にしておくにはもったいない!と思う人が別の角度で写真集作ったりしたらいいと思うしそうなってほしい。と思っておくしかないね。写真に宿っている力が、人を動かすかもしれないじゃん。わかんない。すいません。私は家族でもなんでもなかった。すいません。いいものを腐らせることに耐えられないだけ。私の心配をよそにどんどんいい感じて発展していってほしいです。お願いします。

不思議のゾーン

2020-12-19

「あ〜、この人ねぇ〜、苦手なんだよなあ」と思いながら、その人が作ったものを斜に構えて見始めても、途中で「あれっ、なんか、いいじゃん」ってなってむしろ好きになったり、苦手な人がしゃべってたり書いているものを見て「おもしろいじゃん」と微笑んでしまうなど、どんどんそういう感じになってきてるんだよね。不思議だよね。なんなら、相変わらず「この人苦手なんだよな」と思ったまんまで、その人が作ったものがよければ、それを「好き」と思える、みたいな。

「嫌い」だと思っていた対象に近づいてみたら「好き」の種が隠れていたことを知るってことはよくある。表裏一体っていうけど、どっちが表でどっちが裏なんだかわかんないけど、ひっくり返してみたら意外といいもんだったりするかもしれなくてさ。

いつか、私がこういう思考になってしまった時のことを書きたいとずっと思ってるけど、むずかしいんだよね。言葉って限界があるから。

そういう考え方やわかり方が、“スピリチュアル”とか“気づき”とか呼ばれてしまうことで、それらを嫌悪する人たちから脊髄反射的に敬遠されてしまうことがあり、いつしか私はその方法を自分から手放してしまった。いわゆるスピリチュアル系、気づき系の人たちとも私は違うし、そもそも私はそういう系の本や人物をぜんぜん知らないんだけどなあ…と思いながらも、そこから遠い人たちにとっては全部同じに見えてしまうことを知っているので、避けたのだった。そんな風に自分に背いて10年ぐらい過ごしてしまったんだけど、とうとう行き詰まり(自分に背を向けると人はまともに生きられないのだ)、青森に戻ってきて、徐々に徐々に時間をかけて今のような感覚が戻ってきたところがある。

(この話を難しいと感じる人は、読まなくて大丈夫ですよ)

それでも、コロナがなければここまでにはなっていないだろうな。世界が大きく変わる時だからこそ、この考えはいま必要なのだと「わかる」。

このブログが迷走している自覚はあるんです。

月一で東京へ行き、写真のゼミに参加、そしてベルクでの展示が終わってから、わりと抜け殻っぽくなってしまった。そこへ来て母の入院・手術があり、退院してからはコロナの世界的な流行。私個人としても古い写真データの喪失やカメラの故障があり。なんだか、感覚的にも以前のようには戻れなくなってしまった。戻るタイミングを失ったっていうのもあるけど、なんかもう「前とは違うだろ」というね。

他者に気を使うっていうよりは、自分の内側に目がいくようになって、どこか吐き捨てるように写真を撮ったり日記を書いていた気がする。サービス精神ゼロで。

それでも書きたいことはあったんだよね。あの店のあれがおいしかったとか、この喫茶店がよかったとか、そういうこともいいんだけど、それよりもなんか、腹が立ったことを腹が立ったと言いたい気持ちとか、許せないことだったり、もどかしさであったり、そういうことも別に言っていいんじゃないかって。きれいに整えないで吐き出してみる練習っていうかね。

人を信頼できるようになってきたのかもしれない。

見たくない人は見ないんだよ。でも見てる人は(少ないけど)いるので、まあでも私は人のために書いてるわけでもないんだけど(だって誰が見てるか知らないし)、でも、発信し続けていれば、なにか感じ取る人、感じ取りたい人、同じ揺れ方をしてる人はこの場所を見つけるし、何かしら受け取れるものがあるかもしれないなあって。そこを信頼しようと思った。

これからどんどん、好きなことだけをやれる時代が来ると思うんだけど、でもそれ、絶対手を抜けないんですよ。生半可にできない。やるならとことんやらなきゃいけなくて。でね、私、今日紙に書いてみてびっくりしたんだけど、自分がずっと考えてること、見てるもの、やってること、お金をかけてること、ぜーんぶ「写真」だったんですよ! ウケる〜。

ウケるよね。

そんなのもうさ、やるしかないじゃんね。カメラ迷ってる場合じゃない。あと、この一年ぐらいずっと「自分の作品が作りたい」って思ってて、実は自分がやってる写真は作品未満なんだよなあって自覚があって。ベルクで展示できたのはやっぱり先生や写真仲間のおかげなんだよ。私一人だと作品にまで昇華できないことを一人になってみて痛感した。

そもそも、撮ろうとする時点で見えてなきゃいけないんだよ。ただ闇雲に撮ったって、あとで選んで作品に仕立てるのは本当に大変。ほぼ作品にならない。だって、ステートメントに何て書くの? 寄せ集めの作品です、エヘヘ。って書けないよ、さすがに。

それでも、迷子でも、「自分の作品が作りたい」ってずっと思ってて。ずーっと思ってるんだよ。思い続けるしかなくて。作れるまでは思い続けるしかないでしょ。だから常に考えてて、私が今ここにいてカメラがあって写真に興味があるってどういうことなんだろう?とか、何をするために今こういう状態なんだろう?とか、わかんないんだけど、考え続けること。いつかわかった自分が、苦労しながらも撮りたい写真が撮れて、人にも見てもらって、写真やってて良かった〜と思える風景を思い続けるしかなくて。そこで笑ってる自分をイメージし続けるんだよ。

諦めたり、「どうせ」「私なんて」って言い出したらマジ終わるんで。

コロナ、本当に憎たらしいけど、自分を見つめる長い長い猶予期間をもらったと私は思ってる。

おばさんが今更何言ってるんだよと思われるのが怖い、みたいなこと前は思ってたけど、「しらんがな」ですわ。人の目を気にして引け目を感じたりするのアホらし。実は誰もそんなこと言ってないのに自分一人で気にしてるだけなんだよね。言われてる気に、勝手になってる。万が一、直接言われたとしても、知ったこっちゃないんだよ。その人、私の人生に関係ない人だから。

いつになく本気と書いてマジに書いちゃってるけどさ…

スピってないんだよこれ。今日は飲んでもいないし。

ただ、生々しい生き物である、ってだけなの。

こんなに進んだ世の中でも人間が超脆いの笑っちゃうよね。こんなやわやわな体でさ。すぐ傷ついちゃうんだぜ?

でも考えて悩んでもがいて転んだり起き上がったりまた転んだりできるの、私らだけじゃん。面白いよ。可愛いよ。不思議な生命体だよ。ウケるよ。

私がここにいる意味、うっすらとだけど、見えてきた感がある。もっと深いところまで掘り下げてみたい。ここで出来ることが何かあるはず。ここで会うことになる人も、まだまだいるんだよ。そういう予感がする。

日記

2020-12-16

わからないことがたくさんあるのは幸せだ。わからないものについて考え続けられるのは幸せだ。

先日買った分厚く重い写真集は一筋縄ではいかない本だ。簡単に「いい」とか「わるい」とか「わかる」なんて言えない本だ。私は「わからない」ことを考え続けられる時間を買ったのだと思う。それは私にとってこの上ない幸せである。わからなくても、写真として強く、恐ろしく、面白い。頭ではなく、体が「わかる」と言う。見た時にゴーっと音がする。体じゅうの血が共振しているのだ。

私もいつか、そんな写真を撮りたい。

その先に何があるのか、前もってはわからない。私は未来の「におい」のようなものは察知できるし、「今だ!」という瞬間もわかる。でも、その先に何が待っているのかまではわからない。まったく自分の想像も及ばなかったようなことが、時々起こる。起こっている。ここから私はどこへ運ばれていくんだろう。どこへ向かおうとするだろう。ただ振り落とされないように、しっかり自分で自分をつかまえておく。遅いなんてことはない、いつかそのスピードに乗れる。そう信じる。

冬の日記

2020-12-15

ゆうべ、音もなくしんしんと降った雪が驚くほど積もり、今日からいよいよ冬の幕開け感がある。

仕事の合間に雪景色を撮ろうと思ったけれど、なかなか「今!」というタイミングがなく、撮ったのはこれだけ。

さっと車を路肩に停めてぱっと撮った。雪が、どんな車をもハイルーフに変えてしまうのがおかしい。

帰宅すると重い写真集が届いていた。重くて重い。一生かかっても全てを読み込めないかもしれない。私にとってかけがえのない写真集になることだろう。

このごろ、感謝することが増えた。というより、毎日感謝が止まらない。知り合いか知り合いでないかなど全く関係なく、私の存在はいろんな人や物によって支えられていることを感じる。生きているか死んでいるかすら関係がない。ご先祖はもとより、死んだ人が作ったものを見、書いたものを読み、歌を口ずさむ。生きている人たちと同じだけ(またはそれ以上)多大な影響を受けている。その存在すべてに感謝が止まらないのである。

今年はカメラが壊れ、写真を撮ることよりも写真について、撮る姿勢について、自分について考えることが多い一年だった。まだまだ毎日考え続けていて答えは出ないが、やめられないのでやめるつもりがない。新しいカメラを買わねばならないのだが「これ!」という決め手がなく、とうとうライカが欲しくなってきてしまった! でも私がライカを持つということは田舎の事務員がポルシェに乗るようなものだと思い直し(第一、ポンと買える金額ではないのだ)、身の丈と必要に合った選択をしようと。

でも、いつかはライカ!と思うことはやめないようにする。思い描くのは自由だし、思い続けるのも自由だから。そっちの方を向いていたいのよ。無理と思ったら無理になっちゃうの。だから可能性を否定しないでおく。

ていうかもう半月経ったの!? 12月の早さは異常だな。。

来年は展示もやりたいなー。新しい習慣も取り入れたい。できるだけ健康的でシンプルに。それでいて楽しく。あとは今よりもっと自由にいろんなとこ行けるようになったらいいねー。まあ、行けなきゃ行けないで「ここ」を充実させようか。

何かを選ぼうとする時、何かを捨てなければいけないんだと思う。私はそれができずにグズグズしてきたから「これです」と言えるものがないんだと思う。

同じものを撮っても、意味が違うんだよね。「ああ、それね」って後追いで撮っても似たようなものは撮れるんだけど、「何か」「違う」って感じが出る。それをキャッチする力が弱い人にはおんなじに見えるだろうけどね。

眠いから支離滅裂になってきたな。。

寝ましょう。

そうそう、秘密の「飲酒ブログ」、きっちり書いてるんですよ、誰にも見つかってないけど笑。私はそれをどうするつもりなんだろうねえ。

さ、寝る。

通路の先

2020-12-13

12月11日

写真の神様は「死ぬな」とおっしゃっている。(と思えることが今日いくつかあった)

私が好きな写真家に、清野賀子(せいのよしこ)という人がいる。いた。私が知った時はすでに亡くなっていて、出版されたわずかな写真集にも高値がついていた。経緯はわからないけれど自殺だという。どんな姿の方だったのか写真なども見当たらず、ネットで集めた情報といえば、雑誌『マリ・クレール』で編集をされていたこと。高橋恭司さんの影響で始めた写真の才能をコムデギャルソンの川久保玲氏に認められ、編集をやめて写真家になったこと。一時期ギャルソンのDMに写真が使われていたこと。ギャルソンの青山本店で展示をしたこと。最初の写真集は8×10で撮られたらしいこと(高橋恭司さんの影響かもしれない)。どうやら精神病院に通われていたらしいことなど。

ネットに転がる情報を集めてもむなしく、輪郭はどこまでもぼやけてつかみどころがない。

定価の5倍ほどの値がついた写真集を買い、それを見たとき、私は救われたような気がした。そのあとすぐに「なんで」と思った。

今この人がいないことが許せない、と思った。

刻々、誰のさしまねき、

明るさはすみずみまで眠っていない。

おまえはのがれ去ることなく、いたるところで

心をあつめよ、

立っていよ。

パウル・ツェラン「刻々」、『絲の太陽たち』(飯吉光夫訳、ビブロス、1997年刊)より

この『至るところで心を集めよ立っていよ』という写真集は、清野さんが通っていた川崎の病院へ行く道すがら撮られた写真を中心に構成されているらしい。その中に、なんともいえない親しみを感じさせる高齢女性の写真が出てくる。調べたところ、どうやら清野さんの母親らしい。親しみの正体は、私の母親にどことなく似ているからである。

更新されないということは悲しいことだ。この人がいま生きていたら世界をどんな風に見て、どんな風に撮っただろう。あるいは撮らなかったんだろう。「この人がもし生きていたら」という想像がナンセンスだということはわかっている。でも、顔も知らない女性の後ろ姿を私は追いかけてしまう。彼女が残していった「通路」の先に何があるのか、私は見たい。

…と書いて、きれいに終わろうとしたんだけど、こういう写真集が限られた人にしか見られないことにだんだん腹が立ってきた。必要な人はきっといるのに。私も1冊目の写真集をまだ買えていない(高いんだよ)。こういうの、どうしたらいいの。オシリス(出版社)に手紙書けばいいのかな。