ぬまぬま帝国で反省中

2020-12-01

虫の居所でも悪かったのだろうか、半月前このような文句を書き殴ったことを私はいま猛烈に反省している。

某所にて

写真大好きおじさんは好きなように写真を撮っていいし、下手だろうが雑だろうが(ほらまた毒入っちゃってる!こういうとこだよ!)ちゃんとした手順を踏んだのだからどこでどんな展示をしようがいいのです。

見た瞬間カーっとなってしまい、新鮮な怒りのままその場で書いたブログだったんです、あれ。本人在廊タイプの展示じゃなくてよかったね。書いてアップしてからもなんだかモヤモヤして、さらに時間を置いてみて、あれはやっぱりひどかったなと改めて反省。私はよく、ぬるいものを作る人に腹を立ててしまうんだけど、そうすればするほど自分の行動のハードルが高くなっちゃうんだよね。試しに軽い気持ちで何かやってみる、ってことができなくなる。結局さ、誰かや何かを否定してしまうと、自分の行動範囲を狭めちゃうんだよ。同じやり方や同じ振る舞いができなくなる、ってことなんです。

SNSで写真の人をぽつぽつフォローするようになると、いろんな写真を目にする機会が増えて(その人たちが「いいね」した知らない人の写真が目に入ってくるから)面白いんだけど、中には好みではないものも出てくる。だけど、そういう写真には私なんて比じゃないぐらい「いいね」とかついているわけですよ。一時期はそういうのに「へっ」と思ったりしてたんだけど、ある方面の人たちの心を楽しませる写真ではあるのだよなあ、と。どんな写真も誰かにとって何か思うところがあるのかもしれない。どこに着目するか、どこに感じ入るのか、それは受け手でなければわからないわけで、私が偉そうにジャッジ下すのはすごく乱暴なことだなって。

それぞれの人が、その人なりの理由があって写真を撮ってるんだよね。生きがいかもしれない、リハビリかもしれない、承認欲求かもしれない。記録、コレクション、表現手段。大切な誰かとの約束かもしれない。ぬるい気持ちでやってる人なんていないんだと思う。その人なりに切実なはず。だったら私はそれを否定すべきじゃないって。誰かにとってのかけがえのない一枚なんだもんね。

カメラと写真、ときどき景勝地

2020-10-06

欲しいカメラがなくて困っている。いや、欲しいカメラがないこともないんだ。だけど中古価格がやたら上がっていてムカついている。ふだん撮る分には、今あるカメラや借りもののカメラで十分な気もしていて、実は特に困ってもいないのだが「ちょっとは困れよ」という気もしてくるし、なんだかなあ。

今年に入り、「自分の作品」ってやつを持ちたいよなあと思っていて、でもどうしたもんかわかんなくて、ウンウン唸って、唸っているうちにコロナが来て、望遠ズームでホームタウンを撮ったりして、つねにカメラ持ち歩いてる状態でなんでもかんでもシャッター押すってことをやってみたりもしたけれど、そのうち酷使していたカメラが壊れ、今に至っていて、古いデジタル一眼とフィルムカメラで海や砂浜は木を好んで撮っているというわけで。

撮るものが変わってきた気はしている。

そこに意識的になれないところが私だよなあと呆れてしまうんだけど、感覚としてはっきりと違うな、というのがわかってきた。例えば、初めて訪れた能代市を歩いていても、歩き慣れた弘前の飲屋街を歩いても、以前ほど楽しめない自分がいることに気づいてしまった。

それよりも、自然が作り出したもののほうに興味を惹かれる。惹かれるっていう生半可なものじゃないんだよな、なんていうか、恐れ入りました!って感じなんだよね。ちょっと気を失う感じ。そういう凄み。「立ち尽くす」って言葉の意味を説明する画像に使えるんじゃないかっていう見事な立ち尽し方で、私は大自然を前に立ち尽してしまうのだ。

自然なんか誰が撮っても同じだろうってバカにしてきた。こないだいわゆる景勝地にも行ったんですよ。んで、インスタに投稿してみたんすよ。位置情報もタグもつけて。すると、他の人が撮ったその場所の写真がわーっと出てくるわけだけど、それ見てたらなんか、やっぱり他の人が撮った写真とは違うんだよね。ぜんぜん派手さがなくて笑ってしまうけど、やっぱり私は演出とか過剰さが嫌いなんだよね。誰が撮っても同じってわけじゃない。似たような写真はあるかもしれないけど、機材や現像の違いもあるんだけど、なんていうのかな、向き合い方が違う気がしたんですよ。私にとっては明らかにただの「観光」ではないんだな、と。もっとありのままの、深いところを見ようとしている気がする。その場所を訪れるのは一度や二度じゃだめで、何度も足を運んでこそ見えてくるものがありそうだな、と感じる。

自分でも出口が見えず手探りで今書いてるんだけどさ。

あとやっぱりフィルムの方が写真的だなーと、どうしても感じてしまう。中判機にも興味あるし。デジタルだと際限なく枚数撮れるしやり直せるけど、なんか弱い気がする。なんなんだろうな、ペラいっていうか芯が細いっていうか、脆いっていうか。いや、そんなこともないのよ実際。デジタルでも骨太な作品は作れる。これは私の問題で、私の意識と、向き合い方の問題なんだよ。

うーん、まあ、よくわかんないや。よくわかんなくなっちゃった。

寒くなってきましたね。もう10月だなんて本当に信じられないよ。

深浦町/大岩海岸

景勝地。この日は気まぐれな天気で、表情がくるくる変わった。私には、自然がいちばん恐ろしくいちばん美しい。階段の昇り降りで即座に筋肉痛になった。情けなし。

三脚持ち歩いて撮ることを始めようかな。今、なんとなくそう思った。

日記

2020-07-04

コロナ後、個人的に何か変わったかというと、まあ私は普通に仕事行ってたんで「巣ごもり消費」みたいなのあんまり関係ないはずなのに、写真集けっこう買っちゃったね。私の欲しいものって、写真集なんだなあと。

先が見えない不安な状況下で私が手に入れたいものって洋服でもコスメでもおいしい食べ物でもなくて写真集なんだなって。そうなんだ〜って気づいて軽く衝撃を受けたよ。

こないだ美容院へ行ったとき、美容師さんが「昨日ね〜、通帳に3000万振り込まれる夢見てさ〜」と話し出したんで、「もし本当に振り込まれたらどうします〜?」って聞いてみたら「ん〜〜〜(長い沈黙)思い切って、化粧品SK-IIフルで揃えちゃおっかな!」って言ってて、小っさ!夢小っさ!って大笑いしたんだけど、案外そんなものっていうか、使っていいお金があったとして、ちょっと贅沢な化粧品買うとか高級なレストラン行くとかそんぐらいかもなあって。まあそのあと美容師さん、家の裏にデッキ作ってバーベキューできるようにしたいなあと健全な夢語り出したけどね。って、いやいや。それも今すぐ叶えられそうな夢じゃん!ホームセンターで資材買ってきいてDIYしたらすぐできちゃう。欲のない人だ。

私だったらどうするかな〜って考えて、3000万もいらないけど、1000万ぐらいで欲しい写真集を山ほど買って小さな書店開きたいなあって。写真図書館でもいい。

私は写真好きだけど、写真って実はまだちゃんと「文化」として根付いていないんじゃないか、ということがだんだん見えてきて。日本は特にそう。誰も写真に関心がないっていうか、意識して見てるわけじゃないんだなあって。だって写真集も写真も売れてないでしょ。部屋に写真飾ってる人どれぐらいいるのかな。(私は自分の写真と、過去に購入した写真を飾ってる。気にいるものがあればもっと購入したい)

結局、型通りで派手でわかりやすい写真がウケるし、ノスタルジックでポエティックで爽やかで儚げでオシャレな雰囲気写真が映える。でもSNS等ネット上でそういう写真を見て喜んでる人でも写真集まで買う人なんてごくわずかでしょ。結局「そこまでじゃない」人が大多数。(ネット上の写真はバックライトに照らされているわけで、それが紙に印刷された時に同じような良さを発揮できるか?っていう問題もある)

写真系YouTubeなんか見ていても、視聴者の質問のレベルが低すぎて驚いてしまう。こんなの、レベルの低い私に言わせないでよと思う。おすすめの写真集を紹介するある動画を見た人たちが「どこがいいのかわかりません」とか「素人の写真とどう違うんですか」とか言ってて、嘘だろ…と。「わかる/わからない」問題って写真に限らずアートとかいろんなものにまとわりついてくると思うんだけど、わかんないやつはお前のわからなさとちゃんと向き合えよ!と思ってしまう。誰かの解説聞いてわかったような顔すんじゃねぇよと。ていうか、わからないことって別に悪いことじゃないし。わからない自分にイライラするかもしれないけど、安易に誰かの「正解」求めるよりも、それを抱えて生きていったほうが絶対おもしろいよ。わかる瞬間くるかもしれないし。そうやって「わかる」ことのほうがずっといいはずだよ。

こういう写真系のYouTubeチャンネルを見る人たちって、ある程度写真的な意識が高い人だったり自分も写真やってる人なんだろうと思うけど、そういう人たちでさえこんなに見る目がないんだなあって思って私はがっかりしたし、やっぱり文化として全然生きてないじゃんって思ったよ。富士山や花や野鳥なんかを撮ったきれいなだけの写真を仲間内でいいねと言い合って満足している人たちなのかな。(皮肉です)

それに答える写真家おじさん(私はこの方をYoutubeで知りました)も写真を「うまい/へた」でしか言ってなくて、この写真を撮った作家がどういう人で、どういう意図で編まれた写真集なのか、写っている場所や人がどこで誰なのか、などの掘り下げが全然なく、「僕はこんなふうに理解している」というのをただ発表したいだけなんだろうなと思って脱力した。後日、作家本人を呼んで対話している動画も上がったけれど、終始ふわふわした「うまい/へた」の話で、本人呼んでるのになんか中身がうすいしやっぱり「僕」が終始えらそうで、話がつまんなくて、もうこのチャンネル見るのやめよう…ってなりました。いい作家さんだしいい写真集なのになんか気の毒になっちゃった。

(どうしても文句が多くなってしまうね)

…っていうここまでを書いたのは一週間ほど前でした。

昨日、また飲酒したんですけど(ご心配なく、たいした量ではありません)、好きな写真集を読みながら飲むぜぇ〜!っていうのをやりました。これが、なんていうか、ぐいっと写真集の中に没入できてヤバかったです。ふだん無意識的に自分にリミット設けてたりストップかけちゃってると思うんですけど、飲酒によってそれらの力が弱まり、撮った人のテンションで風景に入り込めるっていう不思議な感じになれた。もともと感情移入ってあんまり好きじゃないけど、「なんかわかる気がする」ってなった。ステートメントとか解説が全くついてない写真集もあったけど、じっくり見てたら流れとか背景が浮き出てくる感覚があってよかった。まあ酔ってるから幻想かもしんないけど。あと、酔っ払うと動作が荒くなりがちなので酒量と本の取り扱いには注意ですね。でもこれまたやりたい、写真集飲み。

ここ2年ぐらい酷使してきたミラーレス機が壊れた話ってここでしましたっけ?(誰に聞いてんの私は)壊れたんですよ。壊れて、以前使ってた重たいNikonのデジタル一眼(に重たいレンズついてるやつ)使ってるんですけど、気軽さで言ったら全然ダメなんで、撮る頻度は確実に減りました。でも次のカメラを買うのをあんまり急ぎたくないっていうか、あ…カメラ壊れて新しいの買わなきゃ的な日記、ちょっと前ここに書いてましたね、すいません今思い出しました(誰に詫びてんの私は)。んで、なんだっけな、そうそう次買うのをちょっと待ちたいっていうか、そもそも私は「どれで、なにを撮るわけ?」っていうのがグラグラで、これからどうすんの?何撮る気?っていうのをはっきりさせないと、カメラも選べないわけですよ。今までは目についたものを好きなように撮ってきただけで、まとまりもないしコンセプトもないし組む力もないし、大きく伸ばしてプリントしたいと思える写真もあんまりないし、質より量的な甘えがあったような気もしてて。

日常のスナップは今あるフィルムで撮って、デジタルに関してはもう少し考えたいなと思ってます。特にスナップの人に多いのが「とにかく撮れ!」っていうセリフなんですけど、まあそれもわかるし私もそうしてきたつもりだけど、今までと同じようにはちょっとしたくないなっていうか、いや、今までと同じやつも撮るけどそれはほんと日記的な感じで、あとはちゃんと「自分の作品です」って言えるものを作ってみたいなと思い始めています。だから、いろいろ模索する。やり方を考えるし試すし自分のことももっと掘り下げたい。自分でも自分の行動に「?」がつくことがまだまだ多いから。何も知らないんだよ、自分のことなのに。こんな状態のままではこれからを生きていくのけっこうキビシイと思う。だから、カメラが壊れたことはいろんな意味で好機だと思ってる。

(長いな)

武器

2020-06-16

武器を持たず丸腰で戦場には向かえないように、カメラがなくては写真を撮ることができません。

武器、壊れました。

小さくて軽くて便利で、常に持ち歩いていて使用頻度が最も高かったミラーレス機が壊れました。

一度、背面液晶の不具合で修理に出していて、その後もばんばん使っていたのでまあ寿命だと思います。ショット数確認したら75000ぐらい行っちゃってたし。買ったのいつだったかなあ、3年前かな。えっ3年?? 3年でぶっ壊れるカメラってありますかね。(確認したら2年前だった……)いやいや、これはもう私の使い方が悪い。酷使しすぎ。そんなに高級なものでもなかったから、まあ持った方でしょう。むしろ感謝したいことばかりだよ。

(どうでもいいけど、どうしてこう私は「日記」なのに読者に語りかけてしまうんだろうか。若い頃からやってきた悪い癖が抜けないんだなあ。まあいいけど)

それでまあ、新しいの買うか〜。と思っている次第なんですが、次もミラーレスかというと、いやレフ機に戻るっしょ、という気分が高まっていて、自分でもなぜかはわからないんだけど、より大変な方を選びたい気がしていて、まあレフ機っつったってデジタル一眼だから難しくも不便でもないんだけど、重いとかデカイとかデータがデカイとかは多少あるけど、なんならもう新しめのやつならどれ買ったっていいわけですよ。

小ささや軽さや便利さと引き換えに私が手に入れようとしているのは、「ちゃんと」「しっかりと」「真正面から」撮れる道具、ということ。ただパシャパシャ撮るのではなく、弾をこめ、目的に向かって照準を合わせ、放ち、正確に撃ち抜く。そのための武器を手に入れたいのだ。

って書きながら初めて知ったわ。なんか照れるわ。

道具が姿勢を変えることもあることは知っているけれど、私は先に自分の姿勢を正してから見合う道具(武器)を選びたいと思っていて。なんかテキトーにやることに飽きてしまったんですね。

大げさにするつもりはないけど、もっと、一生をかけてやっていくことがあってもいいんじゃないかと。

私ってけっこうナメられることがあるんです。それって突っ込みどころが多いからだと思うんですね。危うさとか頼りなさって、いい年の大人が持っていていいもんじゃないんだよね。変な人につけこまれたり利用されたりする。要するに私には「武器」がないんです。武器を持たない人間にちょっかいを出しても反撃されないことを知っている卑怯なクズどもが私をナメくさって嘲笑してくる。そういうのもううんざりだなって。うんざりなんだよ。

何の話だっけ。

武器、吟味して、今の自分に最強のやつ買います。んで、撃ち抜きます。

私は死んだりしない。いつかあなたを超えます。

IMAでしょ!

2020-05-18

インスタからコピペしちゃう。(一部加筆修正)

IMA主催のコンテスト「IMA next」のテーマ“ANIMAL”にて、私の写真「bonsai」がショートリスト3名に選ばれました🎊


締め切り間近に告知を見て、審査員である、大好きなシャンタル・レンズさん( @commonsenseisahungrybitch )に見てほしい一心で写真を選び、大急ぎでステートメントを書き、準備が整ったところで時計を見たらなんと22:22!!🐱😸😽😻
いつ送るの? IMAでしょ!!

単写真でコンテストに応募なんて、普段の私なら考えられなかったと思います。時間がたっぷりあったら、あれこれ考えすぎて逆に送れなかったかもしれません。猫に背中を押してもらったね。(締切日は実は次の日だったんだけど!笑)

グランプリではないのですが、選んでいただいてとってもうれしかったです!
これからもこつこつ撮っていきます。


【おまけ】大急ぎで書き上げたステートメント

私は常にカメラを携えて、街を歩いたり車を走らせながら面白いものはないか目を光らせています。動物の登場に出くわすことも珍しくはありませんが、その姿をとらえるのは至難の技です(彼らは突然現れ、速やかに去る)。ある日、車を運転中に私のアンテナが何かをキャッチしました。慌てて引き返すとそこには、盆栽の上で「自分も作品の一部であり鑑賞に値するのだ」とでも言うような猫が堂々と鎮座していました。それを撮らない理由が私にはありませんでした。

結果はIMA_nextのwebサイトでご覧いただけます。

放出

2020-03-01

ご無沙汰しております。

というわけで、写真だけをひたすらワーっとのっけていくTumblrを立ち上げました。

写真は好きだし撮ってるんですけど、たかがSNSに上げる写真ですら選ぶのに難儀するし、昨年ベルクで展示をさせてもらった時も写真のセレクトが一番大変で、ゼミの先生の力がなければあんな風にまとめられなかったと思います。人の写真だとわかるんですけどねえ。

たとえばtwitterって画像4枚まで貼れるじゃないですか、そこでもう組写真のように提示できちゃうわけで、けっこうなトレーニングになるなあと思ってるんですけど、これがなかなか難しい。正解ってあるようでないから果てしなく組める。自分の中で「カチッ」となったら送信!て感じにしてるけど、いつも自信はない。自分のことは棚に上げて、写真クラスタの人たちの4枚を見て「なんでこれを4枚目に持ってきたんだよ〜、もったいない!」なんて思うこともしばしば。

言いたいことが迷子になってきましたが…

完成度の高いものだけを見せるなんてことが私にはできないわけで(だってまったく完成してないんだし)、いいも悪いも自己判断だけでウンウンするのをやめよう、大放出してみよう、と思いました。一枚で勝負できる写真なんて無いし、組むことも難しいならどんどん撮ってどんどん放出する。私自身も、自分の写真だけがたっぷりたまったページを見て、量から立ち上ってくる自分のエネルギーがどんなものなのか、何を発しているのかを第三者的な目で見たい、という気持ちがありました。

たぶん多くの人には「?」な写真だと思います。よく言われます。時期も場所もさまざまです。飲食店や施設以外は特にクレジットやキャプションを入れていません。なぜこれを撮ったのか、自分でわからないものもあります。そもそも私は自分のことが一番わかっていません。わかる人がいたら教えてほしいです。漏れ出てしまうものから何か手がかりがつかめるかもしれません。身近な人にすら私は知られていない可能性があります。少なくとも親は私のことを何も知らないと思います。長い付き合いの友人にもよくわからない人だと思われているかもしれません。私は出し方を知らなかったからです。

出さないといけない。と思いました。出し方などどうでもよい。ほかの出し方も模索しておりますが、とりあえず今ネットではTumblrのページで。
ほぼ毎日更新していて、すでに470枚ほどの写真がアップされております。

こんな感じ。
ぜひ見てみてください。

FU-SHI-GI

写真展『セーブポイント』後記と近況

2019-12-31

大変ごぶさたしておりました。改めまして、ヌーヨークことNumariです。(誰もヌーヨークさんって呼ばないし呼ばせてもいないので、もはや「ヌーヨークタイムズ」ではなく「ぬまちゃんタイムズ」だよなあと自覚はしています)

2019年6月1日〜30日の一ヶ月間、「新宿ベルク」の壁をお借りして、現代写真研究所の迫川ゼミで一年間学んだ成果として『セーブポイント』という写真展をやらせていただきました。

足をお運びいただき、また偶然ごらんくださった方々、ほんとうにありがとうございました。

写真展はどうにかこうにかご好評をいただきまして…というか、なんたって場所があの新宿の名店・ベルクですよ! とにかく人気店で集客力がすごいので、朝7時から夜11時まで、そりゃあもう大勢の人たちが私の写真が貼られた壁の前で入れ替わり立ち替わりおいしいビールを飲んだりホットドッグにかぶりついたりポークアスピックに舌鼓をうったり、楽しく飲んだり食べたりしゃべったり気持ちを整えたりぼーっとしたりするわけです。その中でどれほどの人が写真に気づいたかはわかりません。多くの人が「あるな」ぐらいの認識だったと思います。だって主役はベルクのうまいものたちですからね。写真は黙って壁にへばりついているしかありません。

にもかかわらず、関東に住む親戚、友人知人や元同僚たちが駆けつけてくれ、中には何度も足を運んでくださった方がいたようですし、お会いしたことのないSNSのフォロワーさんも見ましたよーと連絡くださったりして。うれしいね。ベルクに来たことなかった人たちの誘導に一役買えたような気もして、それもよかったね。さらに、ほぼ毎日見るともなく見ていたであろうベルクのスタッフさんや常連の方々に見守っていただけた感じもうれしかったです。行けなかったよ〜という人も、情報を拡散してくれたり気にしてくれたり、気持ちは伝わってますのでね!

みなさん、ほんとう〜に、ありがとうございました〜!!

 

少しですが展示の様子を

2月の超寒い日の夜、つがる市木造を歩いて撮った写真群です。
セーブポイントみがあります。
蒸し暑い6月の東京に本気の「ひんやり」を演出できたかなあと思います。


ベルクにはウルトラマンがいるよ


よく食べたベーコンドッグ。何度食べても「ん〜〜うまい!」とつい声が出ちゃう。バランスが最高。コーヒーもしっかりおいしい。


写真に写しきれていませんが喫煙カウンターにもずらずらずら〜と並べました。
同じゼミのほかの生徒さんたちも前月、前々月に展示をしていて、その写真も何点か据え置きで展示されていたり、私と同会期でほかのゼミ生の写真も展示されていたので、この時のベルクはまさに写真カフェといった様相でした。


隠しアイテム的にスピーカーの底や足元、こんな隙間にも写真を貼りました。

 

展示写真の一部をご紹介。

 

これがキービジュアルになった一枚。

夜の五所川原市某所です。

 

ニャア〜


これは夜の上野公園でたまたま見かけた猫。私はいつも全くセッティングをせず完全なる偶然に頼って撮影しているので、これも特別なライティングを施したわけではなく、しかも手持ちです。のっそりおっとりとした猫で助かりました。生きている猫なのに剥製か作り物のようにも見え、不思議な感じになっているかと思います。この猫は、長いこと私の自宅PCのデスクトップにも鎮座していました。

 

気に入ったので表紙にしました。

田舎のおばちゃん特有のサービス精神というかなんというか、お土産用に無料配布のZINEを用意しようなんて考えちゃったもんだからさあ大変。しなくてもいい苦労をたくさんしました。まー、今思えばそれも楽しかったです。

(印刷された一枚の紙を手で折って切って綴じているのですが、会期終盤、さすがにめんどくさくなって放置したままの紙がいくらか残っているので、もし欲しい方がいらっしゃいましたらメールをください。送料はかかりますが)


これが「ポークアスピック」だ!ベルクに来たら絶対にこれを食べるべし!
(これは大人数用の盛り方です)

 

感想ボックスにもたくさんのメッセージをありがとうございました!

(雑な写真、雑なメモ帳で恥ずかしいですが)
これいいでしょ、NO WARボックス!少し前にどこかの街のガード下に貼られていたビラを写真に撮って、それを箱に貼り付けたものなのです。しかも時間がなくて、展示の設営日の前の晩にコンビニで出力して新宿の安宿で作りました。笑

個別にお返事できていなくて申し訳ないのですが、一通一通うれしく読ませていただきました。ありがとうございます!

いわゆる芳名帳ではなく投票箱のようなボックスなので、中に紙くずとかカミソリが入っていたりとか「しね」とか「うんこ」とか悪いことが書かれていたらどうしようと不安もありましたが笑、うれしい感想ばかりで、みんなええ人や…となぜか関西弁になりました。おおきに。

 

でも、でもね!

これは展示した人あるあるだと思うのですが、

やりたいと思っていたことの6割ぐらいしかできませんでした〜。

あれもこれももっともっとやりたかったし、本当はこうしたかったのにな〜、こうすればよかったな〜という反省もたくさんあります。そういうものなんだな、ってこともわかってよかったです。

 

ゼミも修了、展示も終了、家のリフォームでバタバタ…を経てホッとしたら腑抜けのようになってしまい、さらになんだか体調もイマイチな感じで

……

 

えーと、この文章もここまで下書きしたの9月11日なんです実は。時は過ぎ、もう11月。

ゼミや展示が終わっても続けなければならない、っていうのはよくわかってるんだけど、写真はめちゃめちゃ撮ってるし撮り続けていくんだけど、なんだろうな、一回区切られてしまったっていうか、失われてしまったっていうか、なんかまだ言葉にもちゃんとできない感じなんですけど、「ぽっかり」しちゃったんですよねえ、ぽっかり。

あと最近気づいたんですけど、私は過去の楽しい思い出を振り返るのがむずかしいようで、当時の写真とかなんか見れないんですよね。すごく楽しかったのに。まあさっさとやらずに時間が経ってしまったのも一因としてあるとは思うけど。

とかなんとか言ってても一向進まないので、またやっていきます。ぼちぼち。

 

 

ついしん!!

先日、むつ市のパワースポット『とびない旅館』にて恒例の「いもすりもちまつり」が行われ、写真を展示させていただきました。うれしいことに、飛内さんのご厚意でしばらく展示させてもらえることになったので、これから下北半島への旅行を検討中で普通じゃない体験をしたい方にはぜひ、むつ市にある『とびない旅館』へご宿泊いただき、飛内さんのマシンガントークを浴び、コレクションに目を白黒させ、妖怪ハウスに恐れおののき、12号室に設置した「セーブポイント」で私の暗い写真を見てくつろいでもらえたらと思います。(宿へ行く際は必ず電話予約してくださいね⭐︎)

この一筋縄ではいかないけれど、行くとなぜだかパワーがもらえる宿のようすや攻略法は、こちらのブログを参考にしてください。

 

●青森大好き「ねこぜ」さんの超人気ブログより
恐山に次ぐ、青森県むつ市のディープスポット「とびない旅館」攻略まとめ

●私が初めて「とびない旅館」に泊まった時のことを変なテンションで書いたブログ
女子3人でシモキタの「とびない旅館」に泊まってきましたぁ〜! #1
女子3人でシモキタの「とびない旅館」に泊まってきましたぁ〜! #2

 

……と、ここまでを読み返しているのが現在12月31日午前3時の私です。
実に半年間もこの場所を放置してしまっていました。ようやく重い腰を上げたのが大晦日ということになります。今年の心残りは今年のうちに。いや、まだまだ心残りがたっぷりあるぞ。しかしそれらはこの正月休みにやっつけさせていただこう。

ついでに私事なのですが、母が病気になり現在も入院中でして、私は仕事をしながら毎日病院に行き、家のこと全般をやっております。ようやく人並みに「生活」の大変さを思い知ることとなりました。仕事して子育てして家事して親の世話もしている人ハンパねぇな、超人だな!と思います。それでさらに自分の趣味も続け、ものづくりして何か売ったりしている主婦さんとかマジどうなってるんだ!?と思います。表彰されるべきです。

母の不在によって母の存在が浮かび上がるというか、この家やこの家の人間関係はどれもこれも母によって成り立っていたんだなあ、すっかり依存していたなあと思い至りました。不運とも思える一人の病が、私を含め沢山の人たちを動かし、よい変化をもたらしていて、この病気がギフトにさえ思える。そんなことを言ったら本人は「えぇ〜…病気なんかになりたくなかった〜」ってブーブー言うんだろうけど。

以前のように自由気ままというわけにはいかないかもしれないけど、慣れてしまえば何とかなるもんで、「こういうものだ」と思えています。自分でも「あれ、私けっこう出来んじゃん」とちょっとした自信にもなっていて。

頻度は減りましたが相変わらず写真は撮っているし、逆に今までほとんど読めていなかった本を1日一冊ペースで読んだりしていて(入院中の母にすすめるためでもある)悪くない状況です。正直、少し前は頭がいっぱいでそれどころじゃなかったんですけどね。

母は、自分のことは二の次で、とにかく人のために頑張っちゃう人で、多分それしか出来ないし、それこそが喜びだし、自分のために何かできない人なんだろうと思うのです。でも本当にそれでいいの?母の人生はこれでいいのだろうか?とふと思うことが以前からありました。

母が入院したことで、いままでボサーっとしていた私がすっくと立ち上がり(これには自分でも驚いた)できることを自主的にどんどんしている中、「自分以外のために生きることは大変そうでいてけっこう楽なことでもあるな」と気づいたんです。これをやっていれば感謝されることはあっても恨まれることはないし、役に立っているという充実感もある。でも…

 

自分のこともやらなきゃダメだなあ

 

こういう私の現状を知りつつも、「自分のこともやめないでね」とせっついてくれた友人に最初は抵抗してしまったけれど、確かにそうだ、誰かのために自分を犠牲にして酔ってしまったらおしまいだ、と気づきました。自分の人生も進めなくちゃ。

母はずっと誰かのために生きてきてしまったわけで、もう今さら「自分の人生を歩んでね」なんて私には言えないです。「世のため人のため」が「自分のため」になってしまった。それはもう立派にその人の人生だよね。病気をきっかけにして何か新しいことを始めよう!という気持ちもないみたいだし、なにしろちょうど一年前につぶやいた抱負が「何事もなく平穏無事でありますように」だったような人なので。

本人的には、何事もなくなかった!ちっとも平穏無事じゃない!という気持ちだろうけど、私は初めて母という人を身近に感じているし、思いのほか中身が無いなあとか本当に自分を捨ててきたんだなあとか同じ昔話何回すんねんとか痛みや不具合につくづく弱いなあとか笑、母の足りなさを人間らしく思えるし、逆に今まで頑張ってきたことについては素直にすごいなあと思えるし。この親にしてこの子あり、私もかなり足りない人間だなあと思い知るに至ったり。

 

 

そんなわけで、教訓。
人間ドック行こう!自分の人生を進めよう!です。

あ、これそのまま来年の目標にしよう。

 

ここまでお読みくださった方、お疲れさまでした、ありがとうございます。お茶どうぞ🍵🍡
みなさんにとって来年も平穏無事な一年でありますように。

それではよいお年をお迎えください〜!

セーブポイント

2019-06-01

実はこの約一年間、月一で上京し、四谷にある現代写真研究所というところで迫川尚子先生のゼミを受講してきました。

そしてこのたび、6月1日から1ヶ月間、迫川先生が副店長をつとめる新宿ベルクの壁をお借りして写真展をするはこびとなりました。

 

タイトルは「セーブポイント」
6月1日(土)〜6月30日(日)
7:00〜23:00
BEER & CAFE BERG

こちらがDMです。

 

これまでに制作したZINE3種の販売と、この展示のために作った無料配布の薄いZINEもあります。

ベルク、気になってたけどまだ行ったことないんだよなあ…という方はぜひこの機会に足をお運びください。ビールもコーヒーもホットドッグもハムもパテもおつまみも甘いものも、なんでもしっかりうまいです!
いつも混雑している人気店ですが、意外とどこかにスッとおさまれるので大丈夫です。

ベルクは朝7時開店でほぼ年中無休なので、私は今朝新宿の宿で3時半に起床し、5時から作業開始、同じゼミ生の協力も得てなんとか7時に設営完了しました!ふう。

やれやれ、と思ってベルクでぼーっと朝食をとっていたら、たまたまライブ鑑賞のために上京した青森の古い友人が「来たよ」とラインをくれて、えええ!!となって会うことができました。うれしかったなあ。

私の写真はレジの向かいの禁煙テーブル席の壁と、喫煙立ちカウンターの長い壁に展示してあります。隙間や足元には猫やペットボトルの写真を隠しておきました。
立ちカウンターの奥には感想を書く紙とペン、投票箱のような箱を用意しました。ぜひお名前とアドレス、SNSのアカウント名などをご記入の上、一言書いて投函してやってください!

長い壁以外の壁やレジカウンターの下には他のゼミ生の写真もあります。また、先月先々月に展示した同じゼミ生の写真も足元や天井、店の外などいたるところに貼られています。これ以上ないくらい写真が盛りだくさんのベルクをお楽しみください!

 

で、なんで写真?東京?わざわざ?

ということに関しては、のちのちゆっくりこのブログで書いていきたいと思っています。