日記

2020-07-04

コロナ後、個人的に何か変わったかというと、まあ私は普通に仕事行ってたんで「巣ごもり消費」みたいなのあんまり関係ないはずなのに、写真集けっこう買っちゃったね。私の欲しいものって、写真集なんだなあと。

先が見えない不安な状況下で私が手に入れたいものって洋服でもコスメでもおいしい食べ物でもなくて写真集なんだなって。そうなんだ〜って気づいて軽く衝撃を受けたよ。

こないだ美容院へ行ったとき、美容師さんが「昨日ね〜、通帳に3000万振り込まれる夢見てさ〜」と話し出したんで、「もし本当に振り込まれたらどうします〜?」って聞いてみたら「ん〜〜〜(長い沈黙)思い切って、化粧品SK-IIフルで揃えちゃおっかな!」って言ってて、小っさ!夢小っさ!って大笑いしたんだけど、案外そんなものっていうか、使っていいお金があったとして、ちょっと贅沢な化粧品買うとか高級なレストラン行くとかそんぐらいかもなあって。まあそのあと美容師さん、家の裏にデッキ作ってバーベキューできるようにしたいなあと健全な夢語り出したけどね。って、いやいや。それも今すぐ叶えられそうな夢じゃん!ホームセンターで資材買ってきいてDIYしたらすぐできちゃう。欲のない人だ。

私だったらどうするかな〜って考えて、3000万もいらないけど、1000万ぐらいで欲しい写真集を山ほど買って小さな書店開きたいなあって。写真図書館でもいい。

私は写真好きだけど、写真って実はまだちゃんと「文化」として根付いていないんじゃないか、ということがだんだん見えてきて。日本は特にそう。誰も写真に関心がないっていうか、意識して見てるわけじゃないんだなあって。だって写真集も写真も売れてないでしょ。部屋に写真飾ってる人どれぐらいいるのかな。(私は自分の写真と、過去に購入した写真を飾ってる。気にいるものがあればもっと購入したい)

結局、型通りで派手でわかりやすい写真がウケるし、ノスタルジックでポエティックで爽やかで儚げでオシャレな雰囲気写真が映える。でもSNS等ネット上でそういう写真を見て喜んでる人でも写真集まで買う人なんてごくわずかでしょ。結局「そこまでじゃない」人が大多数。(ネット上の写真はバックライトに照らされているわけで、それが紙に印刷された時に同じような良さを発揮できるか?っていう問題もある)

写真系YouTubeなんか見ていても、視聴者の質問のレベルが低すぎて驚いてしまう。こんなの、レベルの低い私に言わせないでよと思う。おすすめの写真集を紹介するある動画を見た人たちが「どこがいいのかわかりません」とか「素人の写真とどう違うんですか」とか言ってて、嘘だろ…と。「わかる/わからない」問題って写真に限らずアートとかいろんなものにまとわりついてくると思うんだけど、わかんないやつはお前のわからなさとちゃんと向き合えよ!と思ってしまう。誰かの解説聞いてわかったような顔すんじゃねぇよと。ていうか、わからないことって別に悪いことじゃないし。わからない自分にイライラするかもしれないけど、安易に誰かの「正解」求めるよりも、それを抱えて生きていったほうが絶対おもしろいよ。わかる瞬間くるかもしれないし。そうやって「わかる」ことのほうがずっといいはずだよ。

こういう写真系のYouTubeチャンネルを見る人たちって、ある程度写真的な意識が高い人だったり自分も写真やってる人なんだろうと思うけど、そういう人たちでさえこんなに見る目がないんだなあって思って私はがっかりしたし、やっぱり文化として全然生きてないじゃんって思ったよ。富士山や花や野鳥なんかを撮ったきれいなだけの写真を仲間内でいいねと言い合って満足している人たちなのかな。(皮肉です)

それに答える写真家おじさん(私はこの方をYoutubeで知りました)も写真を「うまい/へた」でしか言ってなくて、この写真を撮った作家がどういう人で、どういう意図で編まれた写真集なのか、写っている場所や人がどこで誰なのか、などの掘り下げが全然なく、「僕はこんなふうに理解している」というのをただ発表したいだけなんだろうなと思って脱力した。後日、作家本人を呼んで対話している動画も上がったけれど、終始ふわふわした「うまい/へた」の話で、本人呼んでるのになんか中身がうすいしやっぱり「僕」が終始えらそうで、話がつまんなくて、もうこのチャンネル見るのやめよう…ってなりました。いい作家さんだしいい写真集なのになんか気の毒になっちゃった。

(どうしても文句が多くなってしまうね)

…っていうここまでを書いたのは一週間ほど前でした。

昨日、また飲酒したんですけど(ご心配なく、たいした量ではありません)、好きな写真集を読みながら飲むぜぇ〜!っていうのをやりました。これが、なんていうか、ぐいっと写真集の中に没入できてヤバかったです。ふだん無意識的に自分にリミット設けてたりストップかけちゃってると思うんですけど、飲酒によってそれらの力が弱まり、撮った人のテンションで風景に入り込めるっていう不思議な感じになれた。もともと感情移入ってあんまり好きじゃないけど、「なんかわかる気がする」ってなった。ステートメントとか解説が全くついてない写真集もあったけど、じっくり見てたら流れとか背景が浮き出てくる感覚があってよかった。まあ酔ってるから幻想かもしんないけど。あと、酔っ払うと動作が荒くなりがちなので酒量と本の取り扱いには注意ですね。でもこれまたやりたい、写真集飲み。

ここ2年ぐらい酷使してきたミラーレス機が壊れた話ってここでしましたっけ?(誰に聞いてんの私は)壊れたんですよ。壊れて、以前使ってた重たいNikonのデジタル一眼(に重たいレンズついてるやつ)使ってるんですけど、気軽さで言ったら全然ダメなんで、撮る頻度は確実に減りました。でも次のカメラを買うのをあんまり急ぎたくないっていうか、あ…カメラ壊れて新しいの買わなきゃ的な日記、ちょっと前ここに書いてましたね、すいません今思い出しました(誰に詫びてんの私は)。んで、なんだっけな、そうそう次買うのをちょっと待ちたいっていうか、そもそも私は「どれで、なにを撮るわけ?」っていうのがグラグラで、これからどうすんの?何撮る気?っていうのをはっきりさせないと、カメラも選べないわけですよ。今までは目についたものを好きなように撮ってきただけで、まとまりもないしコンセプトもないし組む力もないし、大きく伸ばしてプリントしたいと思える写真もあんまりないし、質より量的な甘えがあったような気もしてて。

日常のスナップは今あるフィルムで撮って、デジタルに関してはもう少し考えたいなと思ってます。特にスナップの人に多いのが「とにかく撮れ!」っていうセリフなんですけど、まあそれもわかるし私もそうしてきたつもりだけど、今までと同じようにはちょっとしたくないなっていうか、いや、今までと同じやつも撮るけどそれはほんと日記的な感じで、あとはちゃんと「自分の作品です」って言えるものを作ってみたいなと思い始めています。だから、いろいろ模索する。やり方を考えるし試すし自分のことももっと掘り下げたい。自分でも自分の行動に「?」がつくことがまだまだ多いから。何も知らないんだよ、自分のことなのに。こんな状態のままではこれからを生きていくのけっこうキビシイと思う。だから、カメラが壊れたことはいろんな意味で好機だと思ってる。

(長いな)