日記

2020-07-24

カメラが壊れた話は以前ここに書いたかと思うんですけど、今度は写真のデータを保管していたHDDが壊れまして。といいつつあんまり慌ててもいないんですけど。クラウドにデータが全部あるのでいつでも引っ張ってこれる。でもまあ、ちょっとは驚くよね普通。私は「そっか〜」という感じでしかなかったけど。ずいぶん前のことだけど、何年分かの写真のデータをまるまる「完全に」なくしたことがあるので、それに比べたらこんなの「そっか〜」ぐらいなもんです。

こういう、立て続けに何かが壊れる時って、変化の時だなんてスピ的によく言われてますけど、あ、ここでちょっと言っておきたいのは、私はスピリチュアルでも占いでもDaigoさんのYoutubeでも未来人の言うことでもなんでも、「自分に必要で、自分がそうだと思ったこと」だけを信じたり活用しているので、全面的に肯定とか心酔とか信奉とかそういうことはないです。昔からそうです。だから私は無宗教で、どこにも属さないし属せない。

さて。立て続けに何かが壊れる時、でしたね。そういう時は大きな変化の前ぶれ、みたいに結構言われがちなんですけど、私もまあそうだろうなとは思うんですけど、同時に「うるせーな」とも思っていて。そうなんですこの感じ、「うるせーな」が最近高まってきています。不良学生がババア(母親)に向かって言うやつです、「わかってるわ、うっせーな!」。すっこんでろババア。あ、これは余計でした。

今に始まったことじゃないけど例えば時計のゾロ目を一日に何度も見るとか、歩いてるとやたら猫に気がつくとか(一緒に歩いている人は全く気がつかない)、あるニッチなものについて考えながらインスタ開いたらその写真が一番上にきていたりとか、食べたいと思ったものが次の食卓に出てくるとか、そういうの全部、ハイハイ、現象化ね、ハイハイ、予兆前兆偶然必然運命ですね、ハイハイ、と思いつつ、うるせーんだよ!と言いたいムードに私の中でなってきている。

偶然が必然であることも、すべてのこと(って言っちゃっていいのかよと思いつつ)に意味があることも、未来に向かって現在を積み重ねているのではなく、自分の地点は変わらずに流れてくる未来を浴びて必要なものを受け取ったり流れてくる出来事や出会う人に対する自分の反応や行動を変えることでレベルが上がったり下がったりしているだけだったり(時間についてはまだスッキリと言い表せてなくてスマン)、「なんかいやなかんじ」はめちゃくちゃ信用できるとか、わかってない人と話すと一瞬でわかってないことがわかるとか、一つクリアすることでそれまで閉ざされていたドアが開いたり新アイテムや人が未来に配置されるようになることとか、だけどだいたいのことは割ともう決まっていることや、遺伝子って強ぇなということとか、そういうもろもろが、

わかってるわ、うっせーな!!

なんですよ。わかっちゃうとわからない頃には戻れなくて、私はそのことに21歳の頃から助けられつつ苦しんでもきたわけで。わかってるくせにわからないふりをして10年ぐらい生きちゃったりもしたんですけど、もう今や、わかってるけどうるせーわ!という不良学生の感じになりつつある。

この日記もさ、どうしようかなって思ってこういうこと書いてるわけなんです。今までのように東京を歩くこともできないし、何かを見て感想を書いたり、喫茶店に行って写真撮って文章書いたところで他にちゃんとやってる人たくさんいて、私などがやったところで…という気持ちがずっとある。ためになることも書けないし、三浦春馬は死んじゃうし、写真のことにしても「私は今まで何を撮ってきたんだろう」というムードになって一区切り感が出てきた 。カメラが壊れ、東京にもいけず、データは飛んだ(クラウドにあるけど)。これまでのやり方ではダメだ、本当に重要なことは何か、もっと考えろ、テーマを見つけろ、ということなのはわかる。テーマ以前の形のないものが浮遊している感覚もわかる。わかるけどうるせーな、という気持ち。間に合わない中で新しいzineも作った。新しいといっても従来のやり方で、だ。友達は面白いと言ってくれたけど、自分では「大丈夫かな」でしかない。

ほんとはなんにもやりたくないんだろうね。何かしなきゃって焦るのほんと無駄。やる気になれるまでのんびり待てたらいいんだろうけど、そうすると何もやらずに死ぬ可能性が出てくる。コロナ禍でそれなりに不安にもなり、慌てたし、「これは新しい世界へ行くためのなんちゃらだ」みたいにアホみたいなこと私もこの日記でほざいちゃったけど(私はほんとそういうとこあるよ)、そんなにすぐ世界が変わるなんてことはなくて、まずは膿出しが先で、驚いた人も多いと思うけど、すまんけど、私は「いや、ずっとそうだったやん」としか思わなくて、「いや、ずっと腐ってましたやん」っていう部分がどんどこどんどこ出てきて、そのことには割と安心している。信じてた人はパニくったり怒り出すかもしんないけど。

こうやって上からわかったようなこと言う人やだよね。私もやだ。でも今こういうことしか書けないかも。上から言ってるつもりもない。ただみんな忘れてるだけか、知ってるのに知らないふりしてるだけだから。上とか下とかじゃないんだよ全然。やわらかく広がるか、硬くちぢこまるか、でしかない。どれだけ広がっていてどれだけ閉じているかの割合がその人の個性だ。これからどんどん嘘のない、意識の世界になっていく気がしてる。物理的に離れなくてはいけないから、意識は距離を感じない方に進むと思う。もうほとんどなってるけどね。遠くにいながら近づいていく。近いもの同士と出会い、自然とくっつく。言わなくても通じるようになる。ぐへぇ…すいませんね。こういうこと書き出すと私はタイピングが爆速になります。タイピング速度ならまだよくて、こういう話ができる人はそんなにいないけど、昔、話してみたことがあって、その時酸欠になりました。息が上がっちゃう。話したいことに、口が追いつかないんですよ。それくらい、こういうことの情報量は多く意味が広い。そのくせそれを単純な言葉でしか表現できないので(意味が限定的じゃないから)酸素が不足する。ハァハァ。

こういう話についてこれる人があんまりいないことも知ってるし、興味を持って近づいてくる人に私がいくら「あなたと私は同じものだ」「神がいるとするならば私もあなたも神なのだ」と説明したところで相手は必死で抵抗するだろうし会話はほぼ平行線で、そのうちマジの喧嘩になる。過去そんなふうにして何人かが私の前から消えていったわけなので、「はじめまして!私、その話よくわかります!実は最近こんなことがあって…」とか長〜〜いDMもらっても迷惑だから送ってこないでくださいね。どうせ決裂するので。

ふう。

コロナで「なんかしなきゃ」と焦って毎日望遠ズームレンズで写真撮ったりいろいろ写真あげたりしてたの何だったのかなと思うほどには今わたしは「無」である。真面目な人は死んじゃうしさあ。完璧はこわいよ。足りないから完璧になろうとか思わなくていいよ。だって私たちってそもそも、足りないまんまで完全で、それだけでもうじゅうぶん足りてるんだから。

ではここで、撮れなかった稲妻をみてください。

こういうのさあ、動画で撮りゃいいって話じゃん? これ撮ってる時そういう考えゼロだったんだよね。高感度耐性強いわけでもない昔のデジタル一眼でさあ、手持ちでさあ、暗闇なんてどこにもピント合わないのにあてずっぽうでさあ、どこに稲妻くるかもわかんないのにカメラ構えて、動かないように身固くしてさ。ピカって光って連写したってだいたい間に合わなくてさ。もういいや、あきらめようって飲酒し始めたらバリバリバリ!ってでっかい稲妻走ってさあ。撮れないんだ、ぜんぜん。でも目や記憶には焼き付いてて、それでいいって思ってる。

私のそういうとこ、私は好きだよ。