ぬまぬま帝国で反省中

2020-12-01

虫の居所でも悪かったのだろうか、半月前このような文句を書き殴ったことを私はいま猛烈に反省している。

某所にて

写真大好きおじさんは好きなように写真を撮っていいし、下手だろうが雑だろうが(ほらまた毒入っちゃってる!こういうとこだよ!)ちゃんとした手順を踏んだのだからどこでどんな展示をしようがいいのです。

見た瞬間カーっとなってしまい、新鮮な怒りのままその場で書いたブログだったんです、あれ。本人在廊タイプの展示じゃなくてよかったね。書いてアップしてからもなんだかモヤモヤして、さらに時間を置いてみて、あれはやっぱりひどかったなと改めて反省。私はよく、ぬるいものを作る人に腹を立ててしまうんだけど、そうすればするほど自分の行動のハードルが高くなっちゃうんだよね。試しに軽い気持ちで何かやってみる、ってことができなくなる。結局さ、誰かや何かを否定してしまうと、自分の行動範囲を狭めちゃうんだよ。同じやり方や同じ振る舞いができなくなる、ってことなんです。

SNSで写真の人をぽつぽつフォローするようになると、いろんな写真を目にする機会が増えて(その人たちが「いいね」した知らない人の写真が目に入ってくるから)面白いんだけど、中には好みではないものも出てくる。だけど、そういう写真には私なんて比じゃないぐらい「いいね」とかついているわけですよ。一時期はそういうのに「へっ」と思ったりしてたんだけど、ある方面の人たちの心を楽しませる写真ではあるのだよなあ、と。どんな写真も誰かにとって何か思うところがあるのかもしれない。どこに着目するか、どこに感じ入るのか、それは受け手でなければわからないわけで、私が偉そうにジャッジ下すのはすごく乱暴なことだなって。

それぞれの人が、その人なりの理由があって写真を撮ってるんだよね。生きがいかもしれない、リハビリかもしれない、承認欲求かもしれない。記録、コレクション、表現手段。大切な誰かとの約束かもしれない。ぬるい気持ちでやってる人なんていないんだと思う。その人なりに切実なはず。だったら私はそれを否定すべきじゃないって。誰かにとってのかけがえのない一枚なんだもんね。