日記

2021-06-08

私の毎日が、睡眠6h、仕事8h、めし・ふろ2h、自由時間(好きなこと)8h…で成り立っていることに気づいてムムムとなった。

好きなことが睡眠領域にはみ出して、睡眠4.5~5hになることもままある。好きではない仕事時間と同じだけ、好きな事をして取り返そうとしているようにも見える。

しかし、「好きなこと」とは?…とも考える。

その内訳はかなり漠然としていて、自分を甘やかしているだけのような気もする。目標があって頑張っているのとも違う。好きな時に好きなだけ、時間割もなくただ曖昧な時間を過ごしている。だいたい、自分のための時間が一日8時間もとれる人間など、私と同年代でどれほどいるだろうか。夫や子供や要介護者がいたら全く無理な話だと思うし、なんとか時間を捻出しているような人から見ればうらやましいを通り越して腹立たしいだけだろうなと思う。

すみません。

まあ、でもそれが私の現状なのでしょうがない。で、現段階ではどうも「好きな事」を仕事に発展させたくないんだな、ということがわかる。(あ、今ね、まるで他人事みたいに己の人生を眺めるタイムです、はい。)どうやらこの人は、嫌々ながら無の表情で毎日の仕事をこなしているんですね。8時間ドブに捨てているだけにも思える時間によって給料(ヤスイヨー)を得ている。もちろんミスをすれば責任を取らなければならない世界である。誰かにほめられたり喜ばれることもない。できて当たり前の仕事なんだから。

でもま、「できる」んだよなあ、とも思う。これができない人もきっといるので。全く難しい仕事ではないと私は思っているけれど、これが難しい人もきっといるんだよなあ。もちろん、100倍うまくやれる人もいる。私は省エネで給料分働いているだけなんだよ。すみません。

で。

最近痛感してるんですけど、私って「生活」下手じゃね!?ということ。正直、生活にあんまり興味がない。生を活かすのが下手なんだよね。じゃあどうすりゃいんだろね。今は恥ずかしながら親に頼るところが大きくて、申し訳なさより「しあわせだなあ」が勝ってしまっている。親不孝の極みです。誰か他人と「生活」をやっていかなきゃいけないのかな。それもなあ。誰かと一緒に暮らすということが無理かもしれなくて。いや、暮らせるよある程度。暮らしたことあるし。でも向いてなかったんだよね。できなかないけど、向いてなかった。私はどこにいても何をしていても別のことを考えてしまう。よく「目の前からいなくなる」と言われてきたんだけど、それは割と今もそうで。なんかあるじゃん、「いま、ここ」みたいなやつ。それっぽい人らが言うやつ。あれ、私できないわあと思う。「いま、ここ(にいない)」の連続。幽体離脱じゃんね、ずっと幽体離脱してるんだな。

小さい頃に頭から落ちたこと、無関係じゃない気もしてきたな。なんかちょっとズレたんだと思うよ。衝撃でちょっと中身が出てさ、ズレたまんま不完全に入ってさ、隙間からちょっと出てるんだと思うよ。

あーあ。

酔ってるみたいな日記。ノンアルコールだけどね。

ZINE作らないとなーと思いつつ全然なにもやってない。何も思い浮かばないわけじゃないのです、ありすぎて何もできないんだよ。ありすぎるのにどれかに絞れなくて全然時間がない。いつもそうなんだけど。それでもほぼ毎年締め切りギリギリに作って、それがそこそこ買ってもらえてるんだからすごいもんです。ただただありがたいだけです。

と書いたところで何も進まないや。この日記の途中で「大豆田とわ子と三人の元夫」見ちゃいましたからね。はぁ〜。来週最終回か。このドラマさー、前も書いたけど、面白いけどキツイとこあるんだよな私的に。けっこうえぐられる。あんまり救われたとかは思わないな。優しいとは思うけど、キツイ。でもめちゃくちゃ面白い。丁寧に刺さる。

まとめる気もないのでまたしても書きなぐり垂れ流しで終わろうかな。

と思ったけど、

私は「好きなこと」をどうしていくのがいいのかね。好きなことをする自由時間8hのうち、私がもっとも今生きていて好きな時間というのが2hありまして、それが退勤後の散歩なんだよね。ほぼ毎日、海岸を散歩している。カメラをぶら下げて、好きな音楽を聴きながら。少し走ったりもする。毎日それだけを楽しみに生きているところがあって、私はこの時間をどうしようと思っているんだろう?と散歩の後に思ったりするんだけど、別にどうこうしなくてもいいんだけど、なんかさ、どうにかしなくちゃいけないみたいな気持ちにもなるわけよ。あー、ほんとに誰かに読まれる前提すっ飛ばしたマジ日記みたいになってきちゃったけど、まあいいや。

散歩ね。波見てると時々すんごい怖くなるんだよ。気が遠くなるっていうか。大昔に地震で隆起した奇岩とか見ててもゴォォォォーみたいな気分になってさ。(どんな気分?)なにか、ありそうなんだよ。それを見つけたくて毎日通ってしまうのかもしれないし。これは私にしか見つけられないって感じがする。でもまだ何かわからなくてもどかしい。

自然の風景を撮りたいと思うようになるなんて、自分で本当に信じられない。こんなの誰が撮っても同じでしょって思って多少バカにしてたし、今私が撮り始めた写真も別に珍しい感じにはなってなくて、ただ驚いて撮ってるに過ぎなくて、今はまだ探り探りやってるけど、いつか必ず私だけの写真にたどり着きたい。この場所を撮り切りたいという気持ちがある。何故そう思うのかもわからないけれど。足の向く方へ行くしかないんだよ。それがどこへつながっているのか今はわからなくても。ほんとは自分の行きたい方向を定めて行くのがいいに決まってるんだけど、私はどうも、そういうやり方が得意ではないし、多分飽きて投げ出してしまう。予感のする方へ導かれながらたどり着いた先で何かを見つけたいし驚きたい。ふらふら、行き当たりばったりで、生活が苦手。人に干渉されたり心配されるのがとても苦手。どうしてそっちに行くんだろう?と思う人もいるかもしれない。どうしてこうなんだろうね。でも自分の興味に逆らえない。興味のない方には目が行かないからしょうがない。

何が書きたかったんだっけ? まあいいや寝るか。