日記

2021-06-02

ずいぶん時間があいてしまった。久々の日記である。好きで見ているドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』を見終わってぼーっとしている。ついでに酒も入っている。このドラマ、コミカルに描かれているけどなんかいつも見終わったあと切ないんだよな。胸が苦しくなる。

プランBを考えるようになった。「これじゃない人生」のことだ。今いる場所、職業、役割、家族などをまるごと無視して「こういう風に生きたい」というプラン。実現可能かどうかはわからないが、できるだけリアルに想像する。Aがダメになった時、自然にBにシフトできるぐらいにはリアルに想像したいと思っている。まだ漠然とではあるが住みたい街を決め、物件情報などを見はじめた。これがなかなかいい。現状は何一つ変わらないのだが、てきめんに気持ちが軽くなる。心がその場所へ飛んでいき、内見している気持ちで室内の写真を見たり、周辺をストリートビューで見たりする。ここに住んだとして、私はどんな仕事をしているだろうか?どんな仕事をしていたいのか?いくらぐらい稼ごうか?どんな服を着て、どんなものを食べていたいか?誰と、どんな一日を過ごしたいか?

思うのは自由だし、思った通りにしか人生はならないと思っている。

こんなはずじゃなかった、と思うこともあるが、こんな風になるような考え方をしていた私だったのだ。

何かが突然起こるわけじゃない。無視されたものはどんどん膨れ上がり、手に負えないほど巨大なモンスターになって目の前に現れる。気づいてほしいからだ。「ある」のに「ない」ことにされてきたからだ。何度も注意をひこうとしてきた。でも気づいてもらえなかった。だからここまで膨れ上がってしまったのだ。ずっと無視してきたものが巨大化して目の前に現れたとき、私たちはたじろぐ。突然の大事故のようで手に負えないと感じてしまう。原因は外部にはない。誰かや何かのせいではない。すべてが私の中にあり、表面化したにすぎない。解決策はただ一つ、無視してきたものに「気づく」ことだけだ。

人はいつでも、本人にその気さえあればどんな風にでもなれると私は思っている。できるだけ具体的になりたい未来を考えよう。なりたいようにしか私たちはなれない。自分のことを不幸だと思っている人は、不幸なままでいることで何かメリットを得ているのだと思う。こんなこと言ったら反発されそうだけど。

私は毎日幸せです。この世は美しい。

(一気に書いた。読み返さないし直さない)