日記

2020-04-19

昨日、関東方面のテレビで大林宣彦監督の『時をかける少女』を放送したらしいことを知り、なるほどもう一度観たいなと思って深夜アマプラで観た。ちょうどアイドルや映画に興味を持つ年頃に初めて観たこともあり、私にとって特別な映画だ。10〜20代で通算10回は観たはず。最初はあの世界観にどっぷりだったけど、だんだん尾美としのりさんの魅力に気づくようになり、主に尾美さんを見る、という見方をしたりもした。

今回も「尾美推し」の観点で楽しもうと思っていたのだが、さすがに私も年をとったようで、広めの視野で見つつ細部にも目が届くようになっていた。フンフンフンと観ていたのだったが後半、深町くんが未来へ帰ろうとする土曜日の実験室での二人のシーンで、まったくそんなつもりはなかったのに涙がぼろぼろ出てきてしまい、自分で自分にツッコミを入れる。なに泣いてんの?

深町クンともう会えないなんて…かわいそうな和子チャン…という男女の別離を嘆いた涙ではない。大林監督追悼の涙ってわけでもない。私はどうも「時間」にまつわる物語が琴線に触れやすいのかもしれない。それに気づいたのは最近で、自分がやけに深く感じ入ってしまうのはどれもタイムトラベルもののSFらしい、ということだった。なぜなのか自分でもわからないが、深い部分が刺激され涙が出てきてしまうようなのだ。

なぜ泣いたのか、もう一度観たら泣くのか、を確かめるべく、一夜明けてから当該箇所を観てみた。

「わかるわ、わたしには」

と知世ちゃんが言ったあとで(1:34:17)ぶわっと泣いてしまった。同じ箇所だ。なんなんだこれは。

「わからないわ、わたしには」

わからないことはわからないままにしておくか…