蛍の光 第4回 金華堂

2018-04-21

お蕎麦を食べたあと五所川原を少しぶらぶらしていて見つけました。


ガクブチのお店のようです。青森に戻ってきて思ったのは、額縁屋やプラモデル屋がけっこうあるな、ということでした。


なかなか洒落た看板です。
「営業中」のプレートがかかっているのですが、どうも営業していないようですね。
ググってみると「廃業」の赤い二文字が。
(もし「やってるよ!」との情報をお持ちの方はtwitter等でご連絡ください)


「金華堂」の文字が堂々としています。額縁を扱っていたということは美術に造詣が深かったのでしょうか。あちこに美的センスがうかがえますね。
看板の裏側に「店飾造花の店」の文字も見えます。


入り口に貼り紙がしてありました。


「さんぽ」でしょうね。ご主人はお散歩に行かれたようです。

 

おや、蛍の光が流れてきました。そろそろおいとましましょうか。桜が咲きました。

 

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あなたのお蕎麦に

2018-04-20

どうも、田舎のOLです。出先でお昼ごはん何にしようかって迷うの楽しいですよね。でもこの日私は迷いませんでした。

狙いを定め、五所川原市のそば処「亀乃家(かめのや)」さんへ行きました。

人気店なので気合いを入れて11時55分に入店。4組くらい先客がいましたが席はまだあります。私は一人なのでカウンター席にしようかな。いちばん奥に男性の一人客が座っていて、きっとこれから混むだろうと思い、他の席も空いていたというのに私はその男性のきっちり隣に座りました。
例えばガランとした広い駐車場で、ほかにもいっぱい空いているのになぜか私の車の隣にぴったりくっつけて停める人がいると「なんで隣!?」と不審に思っていたのですが、今まさに私がそれをしてしまっている状態です。なんとなく気まずい。男性は若干椅子をずらしました。申し訳なさ。嗚呼、ここは東京ではないのです、混み出してから詰めればよかったのに。

「天ざるくださーい!」元気よく注文完了。最初から決めてました、お願いします!

自意識過剰なので今さら移動するのもおかしな気がして私はじっと元の位置のままです。隣人とはなんとなく気まずいけれど、大丈夫。私にはスマートフォンという使える友達がいました。素知らぬふりでスマフォン君をいじくりまわします。目に入らなければ男性客との距離の近さなど全く気になりません。ふっふっふ。

亀乃家さんといえば、蕎麦よりも有名になってしまったのが「天中華」です。ホタテのかき揚げがでーんと乗った中華そば。

これです、これこれ!
(私が以前撮った写真です。背景に紗をかけたりと実にわざとらしい加工を施しており、まったくお恥ずかしい限りですが、これしか手元にありませんでした)
これがねぇ、おいしいんですよ。けっこう大きめのホタテがごろごろ入っていて、あっさりスープにうまみと油分が溶け出して相性ばつぐん。

 

でも今日はお蕎麦をいただきますよ。

天ざる、どーん!
天ぷらはほたてのかき揚げです。(遠近法で小さく見えますがそんなことありません)亀乃家さんで天ぷらを使ったメニューは全てこのほたてのかき揚げになるようです。つゆもちょうどよく、お蕎麦もおいしい〜。お蕎麦自体にあまり特徴はないかもしれませんが、飽きずに食べられて私は好きです。かき揚げはサックサクでホタテがほっくほく。おいしいなあ。私ぃ、ざるそば一枚だと足りない人なんですけどぉ〜(知らねえよ)、けっこう満足感ありました。800円。ごちそうさまでした。

 

では最後にこの歌の一部を、カウンターで気まずい思いをさせてしまった男性に贈ります。

あなたのぉ〜、けしてお邪魔はしないから〜
おそばに〜、置いてほしいのよ〜

 

おあとがよろしいようで。

ほんとうにいいところですねえ。

2018-04-19

3月25日 盛岡市。


雪解けでエメラルド色の中津川、圧倒的主役感のイチョウ、いつも通るたびになんか好きだなって思うマンション。

 

Cyg art galleryで「雲は透ける、ペーパーナプキンにあこがれて」鑑賞。

やべえ、かなわねえ。っていうのが感想です。

まずタイトルがいい。ふわっと光ってる。フィルムで撮った爽やかな写真の感じがする。フライヤーなど宣伝美術もよかった。会場に入った時の空間のインパクトもよかった。天井からぶら下がったり壁にくっついた色とりどりの懐かしいものたち。風船、キーホルダー、バドミントンのラケット、習字の道具入れ…これらのものがバラバラなようでいて絶妙に美術的なバランスを保っていて、きっと金氏徹平さんもビックリだろう。

村田青葉と工藤玲音(敬称略)という東北の若き才能が満を持して出会った。強い者同士が出会ったとき常にそうであるように、やあやあと握手したあとは、おそらく牽制したりぶつかったり背中を向けたり譲り合ったり譲れなかったり丸め込んだり込まれたりしたのだろうと思う。そんな二人のエネルギーが周りを大いに巻き込んで形作った複雑で大きな渦の中に観客として立ち会えたことが私は嬉しい。ラストなんてさー、あれあれあれ?って思ってるうちに息をのんで胸がカーっとなってやばい泣く、泣く、泣く!って涙が出てびっくりして、隣の席の友人に絶対に笑われると思ったから焦って目を乾かしたりした。
こんな感情の放出にまかせただけの文章なんて0点なんだけど、しょうがない。震えちゃったんだから心が。

4人の役者さんがまたそれぞれに雰囲気があって、どの人もいい顔をしていた。衣装もよかった。セリフや動きを覚えるの大変だったべなぁ〜と思いながら、引き込まれたり、突然現実に戻ったり、ぼーっとしたりした。なんでこんなこと思い出すんだろ?っていう、昔の、なんてことない出来事の記憶とか、取るに足らない会話とか、その時の空気感とか、鳴ってた音とか、差してた光とか。そういう、どうってことないけど何かの拍子に引っぱり出される記憶について思いを馳せながら、自分もふっと過去に行ってしまいながら観ました。
で、ぼんやり思い出したのが高野文子の漫画『奥村さんのお茄子』っていう話。これが私、大好きで。すこし不思議なSFなんだけど、その時その瞬間に存在したすべてのものに対するあたたかい眼差しが感じられて好きなんです。すべてがそのままであっていい、というか。その瞬間そこにあなたは居たし、それは確かにそこにあったよね、ということを丸ごと愛おしむ、みたいな。読むと毎回どうしても泣いてしまうんですよね。私はすぐ宇宙的な愛に目がくらんで感傷的になりがちなんだけど、頭のいい人だったらもっとSF寄り/理系寄りのカッチリした解釈とか文学的な議論もきっとできるんだと思う。この公演もそう。そうやって色んな方向から楽しめるのがいい作品の特徴だなあと。詩的(私的)に寄りすぎることなくちゃんとエンターテイメントになっていて私は楽しめました。あとなんか、がんばろうって思えたんですよね、このいい年をしたおばさんが純粋に。ぜんぜん手を抜けないなっていうか、いかんいかん、疲れてるからってぼーっとしてちゃいかん、って。前回、村田青葉くんが主宰する劇団ユニット せのびの公演を観たあとも猛烈にそう思いました。この不完全な自分を背負ってがんばっていこうって。

ブックレット買ったんですけど、これも面白いです。公演を観ていなくても冊子として楽しめるんじゃないかしらどうかしら。袋とじになっているので金具をはずして広げて全部見るべし。シナリオの一部や写真、作品を練り上げていく過程の青葉くんのメモが、天才の思考の一端を覗き見してるみたいで興味深いです。玲音ちゃんの走り書きは、ずっと噛んでてもおいしい味が出てきてクセになる。二人の頭の中はどうなってるんだろ、まったく。

「同じタイトルで工藤玲音が戯曲を書いたらどうなるか」ってことで書き下ろされた戯曲の方の冊子もよいです。どっぷり玲音ちゃんの世界に浸れる。玲音ちゃんの文章って読んだあとスーっと、うすーいかすり傷みたいのができる感じがする。悪い意味じゃなくて。この戯曲は上演されることはないのかな、どこかで観てみたい気もする。

冊子はこちらで買うことができます。

「雲は透ける、ペーパーナプキンにあこがれて」メイキングブックレット&工藤玲音 書き下ろし戯曲

 

初めて行った岩手県立美術館の通路を広角レンズで撮りました。きゅっと指でつまんでぐいぃっと引っ張ったみたいになって気持ち悪い、酔いそう。つまんだ指を離したらぎゅいーんってこっちに戻ってくるんじゃないの、怖い。

なんじゃここ!っていう面白い空間があったので、許可をいただいて写真を撮りました。
なんかウケるよね。

 

行けなかった場所、会えなかった人もいて後ろ髪引かれる思いでしたが、いずれまた。行ってみたかった本屋さんも行けたし(いいところだった)、満席であきらめた喫茶店にも三度目の正直で入れてゆっくりできたし、お散歩も気持ちよかった。かれこれ10回は行ってるけど毎回思います、いやあ盛岡ってほんとうにいいところですねえ。