日記

2020-12-26

Twitterでよく見ていた柴犬が重度の膵炎にかかってしまったらしい。スマホごしに写真をなでなでして、どうかがんばって、と思いを飛ばす。

祈り。

私は祈りを馬鹿にしていない。思いは通じると信じる。よくなると信じる。

想像の中の犬をなでる。あたためる。癒す。光で満たす。

私はずっとそうしてきたんです。愛する者たちに、ずっとそうしてきた。もうダメかもしれない、という時はわかる。悲しいけれどわかる。まだなんとかなりそうだったらひたすら祈る。力を送る。それは、別に減らないんですよ。祈りと引き換えに私が憔悴するわけじゃない。こういうの、愛っていうんだろうな。どうもクサっ!てなって自分では「愛」って言葉使いたくないんだけど。

「地の時代」から「風の時代」に移行したと言われている。そう言われなくてもなんとなくわかる。つながりたい人とどんどんつながれるようになる。会ってもいない人たちと、意識が通じ合うのを感じることも増えた。なんとなしに見た情報が、その人とつながっていたと知ることも多い。すべてが必然なのだ、と21歳で気づいて以降、そう思い続けて生きてきたけど、それがこれほどわかりやすい時代もないと思う。

これまで控えてきた内容のことも、どんどん言えるようになっていけるかもしれない。そのことが、本当は怖かった。むき出しになってしまうからだ。人はどこかで武装していたいものだ。ダイレクトに傷つきたくないから服を着る。知識や理論でも武装する。でももうあんまりそういうのが必要じゃなくなると思う。かえってじゃまになる。

ずっとそんな世界が来ればいいと私は望んでいたのかもしれない。

しばらく混乱は続くだろうけど(ていうかオリンピックやめない?今からでも)(ていうか不起訴っておかしくない?)(辞職してくんない?)、私たちにできることは、日々を愛おしむことだけだよ。

本当にそれだけだよ。