飲酒ブログと秋の空 私は自分をふやしたい

2020-09-18

某所で飲酒ブログを始めている。下半期から「自分をふやす」ことをしたくなっているのだ。私はすぐ一つの場所で息苦しくなってしまうので、あちこち息を吸える場所をつくって、そこを転々とすればいいじゃないか。というわけ。

人に見せるというよりは自分の記録である。私はノートを規則正しく使うことが苦手なので(思いついたことをぱっと開いたページに書いてしまう)、自分で管理しようと思わずにおとなしくブログサービスを利用したほうが得策だ。

ある程度たまって面白かったら教えたり何かしらに活用するかもしれませんが、今んとこはまあ探さないでください。なんの前触れもなくぱたっと飲酒をやめてしまう可能性だってあるし。

こないだの飲酒時、完全に酔った状態でツイッターに「音楽やりたい」「映像もやってみたい」「コラージュもまたやりたい」と連投してしまったんだけど、翌朝、なんでそんなこと書いたんだろ、、となってしまった。コラージュは再開しようかなとゆる〜く考えていたものの、音楽や映像に関しては今まったくやっていないわけだし、どうすればいいのか何も見えていない状態で。映像なんて今まで全くやったことないわけですよ。興味を持ったことすら。それでなんでそんなこと思ってツイートまでしたのかなあって。

私は「まず未来が先にある」という考えなので、未来から「におい」みたいなものが漂ってきて、それをキャッチできた時、予感がしたり、今まで手に取らなかった本を手に取ったり、何かが妙に気になり出したり、ということがあるのだと思っているのです。今回のこれは、飲酒によって五感が研ぎ澄まされ、遠くにある未来のにおいまではっきり感じ取れてしまった、ということかもしれない。

スピってません

青森に来て何年だっけ?と思い、昔のブログをさかのぼって読んだりしていた。まだ2010年ぐらいのところを読んでいる。いや〜、ぎょうさん書いたねぇと思う。気に入ってよく行っていたカフェや古書店はもうない。古くてかわいいケーキ屋もない。当時遊びに来てくれた友達はみな私とは全く別の生き方を自分で見つけ、家族をつくった。

私はなーんにも変わってないな。そのことを考えると焦燥感で脳から汗が吹き出しそうになったりしてたけど、もうなんかね、そういうのも落ち着いちゃった。

なにかにならなければ、なにかを成さなければ、とずっと思いつつ、どうしてもそういう気持ちになれなかった。一つに的を絞れないという意味で、私は本当は欲深いのかもしれない。

自分をどこかに固定しておくのがむずかしい。○○の人、みたいなわかりやすい分類も記号も肩書きもない。ないことで不安にもなるけれど、ただ型にはまりたくないだけかもしれない。

ここまできたら、とことん型にはまらないでいようと思う。さらに今わたしは自分をふやそうとしている。たくさんの人格がてんでんばらばら、統率する者もなく散らかっていたっていいじゃないか。それぞれが好き勝手に動き出して、どこかにいる私の中心が「やれやれ」とおもむろに出てくるぐらいがちょうどいい。弱々しく号令をかけ、みんなが揃ったら酒でも飲もう。