日記

2020-09-06

私の写真には人間がほとんど写らないわけだけど、それはつまり私の世界に人間がいない、ということかもしれず。

ゼミの先生に言われたことは、「あなたが撮ると生き物が作り物のように見えてくるし、人形や作り物が逆に生き生きとして見える」のだと。

生命を持つものの生命が消え、生命を持たないものに生命が宿る。

ちょっと怖いね。宇宙から来て初めて地球に降り立った人が撮った記念写真のようだ、とも言われた。そう言い表せる先生がすごいよね。でも面白いでしょ、宇宙人目線なんだって。地球人じゃないらしいよ、私。

なんで急にこんなことを書いているかというと、また飲酒して酔っているわけなのですが、この、骨格だけが立ち現れる感じ、やめられないですね。こんなヤワなレモンサワー一杯でこういう状態になれるのほんと特技としか言いようがないよね、飲んべえの人には鼻で笑われそうだけど。

飲酒の話はもういいゼ

宇宙人目線って言われてなんかドキっとしたし、ちょっとわかるなと思ってしまったことも事実。どうも私は地球を知り尽くしてる感じではないんだよね。初めてではないけどまだ浅い感じ。だっていちいち感動するし驚くし珍しいなと思って見てしまう。古い慣習を守ることに懐疑的ですぐ「はぁ?」って思うし、どんな変化も楽しみでしかないし。輪廻転生というものがある前提で書くけど、自分は何度も地球に生まれて地球人やってる人ではなさそうだ、という感じはする。あ、これ酔ってるから書いてるわけじゃないんです。この考えというか「そうだろうな」という思いは昔からあるので。だって私たちが初めてここに生まれたって仮定したらおかしなことばかりじゃない?死んだらすべてが終わりだとしたら説明できないことだらけだと思うんですけど。

そもそも、私がまだ幼稚園にも行ってない3歳ぐらいの記憶なんですけど、前世の記憶っていうか「あ、またこういう世界に来ちゃたんだな」みたいな、「あ、また生まれちゃった」みたいな、そういう感覚になったことを覚えていて。親がどっか出かけてて私ひとり家にいて、居間のソファでうたたねしてしまって、ぼんやり目を開けた時、テレビや戸棚や天井の境目などがくっきり生々しく見えてきて、ああ「物」が見える、色が見える、形が見える、私はまたこの世界に来てしまったんだなと、まるで成人男性が思うような思い方で、落胆のような諦めのような、ちょっとだけ嬉しいような奇妙な気持ちがしたことを覚えていて。なんせ3歳ぐらいって語彙も貧弱だし言語化がうまくいってないんで、3歳当時の思い方ではもちろんないんですけど、たびたびこの出来事を忘れずに思い出しているので、今こうしてあの時の映像を思い出しながら言語化できているわけです。そのぐらい、子供心にも奇妙な感覚だったので。

しかしさあ、地球ってヤバくない? こんなきれいなとこ他にある? すごいとこに住んでるんだなっていう実感がすごいよ私は。

そういう自然の風景写真が増えてきましたね。コロナの影響であんまり遠出できないから地元を撮るしかないんだけど、このことが何か私に「ここを撮らないでどうすんだよ」というメッセージを伝えているような気がして、生まれ育った場所を見直していくことがライフワークにならざるを得ないというか、顕在意識としては都会の街を撮りたいと切望していながら、潜在意識では自分のルーツと向き合いたいのかなって。ルーツっていうのは青森のことじゃなくて、なんていうか、生命のルーツみたいな…。最近の私の写真は、街歩きして面白い看板撮るとかいい感じの喫茶店撮るとかそういうのとは全くチャンネルが違う気がしている。

もっと根源的なところにたどり着きたい。表層ではなく。もっと血なまぐさくて叫び出したいような身を切られるような恐れおののくような震えが止まらないような。

だとしたら私にはもっと強い覚悟が必要だ。それにはまだ正直恐ろしいと思う自分もいる。恐ろしいけれども、私はいずれそこにたどり着く気もしている。添加物やお砂糖や人工着色料もりもりのSNS映え写真はもう全然見てない。ただの毒だと気づいた。じゃあお前の写真はなんなんだよと思うけど、決定的に違うのはやっぱり過剰に手を加えないことでしょうか。自分の見たいようには改竄しない。ただあるように撮りたい。(カメラの性能も良くなっているし、よほどテーマに独自性がなければみんな一緒の写真になってしまうから現像で個性を出すよりほかない、という言い分もある程度は理解している)別にストレートフォトがいいとか悪いって話じゃなく、単に私は嘘が嫌いなんです。なので、ぼけぼけSNS写真とかそういううわべだけの世界に背を向けて私は己と世界と写真を深く掘り下げていきたい。焦る必要はない。時間をかけたっていい。写真とはそういうものだから。

実は新しいカメラをまだ買えていない。これ!というのが見つからないのだ。ほぼ丸腰状態の今だからこそ、撮れる写真が少しずつ変わってきたということはある。今まで目を背けていたものにレンズを向ける時なのかもしれない。新たにどんなカメラで、どんなレンズを向けるのか。どうもデジタルじゃない気がしていて、デジタルカメラを選ぶ気持ちに全くなれない。逆に興味があるのは中判とコンパクトフィルムカメラの二台使い。フィルムと現像代に関してはあまり苦痛と思っていないところがある。かえってデジタルのフルサイズ機なんか買っちゃったらデータ重いし管理も面倒だし「撮れすぎちゃう」し、うーん…と気が重い。どうしたもんかいのう。