日記

2020-06-02

どんな発言をしているか、何に賛同しているか、誰をフォローしているか、どんなことをリツイートしているか。

みたいなことで人を判断してはいけないんだろうけど、判断してしまう自分がいる。それで、全く相容れない思想の持ち主が私のツイートに「いいね」などするのが、私にはよくわからないのだった。

身近にも私と考えが真逆で極端な思想の人はいる。会社にもいる。その人が休憩所のテーブルにSAPIOやHanadaを置いていく気持ちが私にはわからない。その人はふつうに「いい人」である。でも、その内側に極端な思想を持ち、韓国人や中国人を心底嫌っているのだとしたら、私はその人と深く付き合おうとは思えない。なんで武漢ウイルスって言うの? どうして誰かのせいにしなければ気が済まないのか。

いろんな人がいる。いろんな型がある。私も色々なものの寄せ集めでできている。右も左も関係なく寄せ集めているハイブリッド型の人もいるだろう。私だってどちらかに振り切った人間ではないし、そもそもどちらかに振らなければいけないという考えこそが分断や争いを生むのだと思っている。

お前はどっちなんだ? 非国民だ!

いつの時代?

黒人が未だに差別されているのも、本当に人間が愚かすぎて信じられない。いつまでやっているんだろう。何年やってるんですか。これから先もこんなこと続けるんですか。

私も、差別的な人を差別しているのかもしれない。頭が悪くて血も涙もない冷酷非道な人間だと。そういう人にも家族があり立場があり世間的には「いい人」ですらあって、私はその人についてどう思えばいいのかがわからなくて、頭が混乱して辛くなってしまう。

でもやっぱり、「愛」の有無で私は決めたい。愛があるか。目に嘘はないか。口元は歪んでいないか。言葉の端々にトゲがないか。表面的でないあたたかさをちゃんと感じる方を選びたい。と言うからには、自分もあたたかくあらねばらならない。

去年、「2020年どんな年になるかな」と想像した時、なんかこう不透明な絵の具で塗りつぶしたみたいに、風が通ってないっていうか、灰色の粘土みたいなのがぎゅうぎゅうにつまってる感じで、ほんとに先が見えなかった。

6月に東京にも行こうとしてたんだけど、どういうわけか予定を組む気になれず、「なんでこうも気持ちが乗らないんだろう?」と不思議だった。そうこうしているうちに新型コロナの感染が拡がって「なるほど」とは思ったものの、この先まだまだ大変だろうなあという感覚がある。

クリーンで軽やかな、今とはまったくレベルの違う新しい世界が来ることは感じているけれど、それは2~3年後なんかじゃなく、もっとずっと遠いということはわかる。私はその世界に住んでいるだろうか。ぼんやりしていたら振り落とされてしまう。今いる地点から遠く離れて今を眺めてみると、「これは序章なのだ」という気がしてくる。新しい世界への入り口のはじっこ。

スピってますか

こういう話が当たり前になる時代が来ると思う。別に恐れなくていい。ただこれは削ぎ落としただけだから。本質はずっとこうだったんだから。

しんどいからSNSあんま見たくないよね。明日は飲酒デーだから(水曜日に決めた)それだけを楽しみにして寝ることにする。アディオス。