たとえば私がもし

2019-05-14

「急性肝炎で入院している」

よく知らない人のツイートがTLに流れてきたのをたまたま目にして以来、フォローこそしていないが気になって見てしまう。最初の頃はデリカシーのない医師の対応や病院食への不満を漏らしたりしていたのだけど、だんだんと病状が悪化するにつれ不安感に苛まれていく様子を読みながら「よく知らない人よ、がんばれ。薬、効いてくれ」という思いで見守っている。

突然生死にかかわるかもしれない病気で入院することになった時、私はどうなってしまうだろう。とりあえず毎日写真を撮ってブログを書くかもしれないな。なんでもいいから何かを残したくなるような気がする。

いやいや、そんな余裕あるのかな。どーするどーする!?っていう焦りと、なんなんだよ!っていう怒りや落胆のあと、まずはお金や手続きのこと(病気で死ぬかもしれないことよりもこういうことの方が気になる)、私が死んだあとの持ち物の処分法(貴重な本をブクオフに売られてはたまらない)、今後(もなにもないのだが)の不安の方が大きくて、闘病どころではない気がする。誰かお見舞いに来てくれても断りかねないな。

あ、でも買ってきてほしいものはあります。もし私が入院したときお見舞いに来てくださるかもしれない方、ぜひ卓上の「ゆかり」と「ごましお」をよろしくお願いします。私が眠っていても枕元に置いといてくださいね。

案外、生きることをすっぱりあきらめて、毎日ぼーっと好きな音楽聴いて窓の外を眺めるだけのような気もするね。その方がもしかしたら回復したりして。

大病を患ったことがないのでわからないんです。「ごましお」買ってきて〜とかのんきに言えるほど生易しくはないだろうことも。元気でバカでどうしようもなく命を当たり前だと思っていた頃の自分を思い出して「いいなあ」とか思ったりするのかもしれない。

 

いま、きっとすごく健康なんだぞ、がんばれよ!