心があったまる体罰などない

2019-02-05

何かの拍子に思い出すことがある。

私の小中高時代は体罰が身近にあった。暴力をふるいそうにないタイプの教師でさえ、生徒たちに手をあげたり、見て見ぬふりをしていた。

小1から強烈だった。30歳ぐらいの若い女の担任は美人顔だけど冷たい目をしたヒステリックな人で、あれはただの好き嫌いだったのではないかと思うのだが、忘れ物の多い不器用なYくん(本当は面白くていい奴なのだ)をターゲットに、ちょっとしたことで叱りつけ、皆に自習を言い渡しつつ女教師は教室の後ろまでYくんを 引きずって行き、ロッカーのそばで殴る蹴るしていた。無言で。

それを見た素朴な6歳児に一体何ができましょう。ていうかもう「これ何なの?」って全く理解ができないわけですよ。これが学校?これが社会というものなの?忘れ物ってそんなに悪なの?

(数年前に地元紙で、その女教師がどこかの小学校で校長をつとめ終えたことを知りました。あんな人でも校長になれたんだ、フーン)

 

その後4年生からの担任はさらに若い女教師で、熱血教師をやりたいんだろうけどキメが粗くてぼろぼろ破綻していた。何でそうなったのか全く記憶にないのだが、横一列に並ばされて往復ビンタされたことがあった。「歯をくいしばりなさい!!」バチンバチン!「先生の手も痛いんだよ!!(興奮で目がうるむ)」

なにこれ。

結局何で怒られたか全く覚えてないし、ただ心が「ぽかーん」とした記憶しか残っていない。そして、とても不快だったビンタの衝撃とジンジンしびれる痛み。

 

大人になったら先生たちの気持ちがわかるのかと思っていた。でも、彼らの年齢を越えた今でも私にはよくわからない。人に手をあげること自体わからないし、人様の子供にビンタするっていう発想がない。ぜんぜん意味わかんないです。だって、出来ます?人様の子供を殴れます??たかが教師の分際で??意味わかんなくない??指導?殴らなきゃできない指導って何??力による支配??ただ思い通りにならないイライラを「このクソガキ!」ってぶつけただけじゃないの??

体罰に耐えてきた人に多いんですけど、「暴力も時には有効」とか「言ってもわかんない奴には体で教える」とか「そういう厳しさを経て人は強くなれる」みたいなのも、はぁ???
殴られて心があったかくなりましたか?うれしかったですか?いい思い出ですか??

「昔はみんなそうだった」「そういう時代だった」って諦め顔で言うのも嫌い。
体罰は昔も今もダメなんだよ。それで傷つく人はいても、心があったまる人なんていなかったんだよ。金八先生の世界とは違うんだよ。

その後、中学でも高校でも体罰教師は必ずいました。ほんとにゴロゴロいたんですよ。チョーク投げつける奴とか(はずれて全く無関係な女子に当たったりして非常に危なかった)、ひ弱なくせに大声で怒鳴ってばかりで豪速球を連続で打ち込んで私の目に当ててきた軟式テニス部の顧問とか、竹刀持って廊下歩いて違反の制服着てる生徒片っ端から叩いたり引っぱりまわす奴とか。セクハラ教師もいて、そっちはけっこう保護者が騒いでやめさせられたりしてたけど、体罰教師はまあ伸び伸びとしていた。むしろ保護者側から「厳しく指導してやってください」とお願いされていたほどだ。

暴力教師でも、指導が熱心で生徒に慕われてたら「いい先生」ってことになっちゃって、私に言わせれば「ケッ、暴力教師のくせにいい先生ってなんだよ」って感じなんだけど、本当にそういうことになっていて、生徒を竹刀でバンバン叩いてるのに、そこを通りがかった他の先生方も「やってますねえ」って感じの半笑いで通り過ぎるみたいな、のどかな日常の中に暴力がふつうに溶け込んでる光景は今思い出しても吐き気がするよ。

叩く方が「愛情を持って」「お前のために」「仕方なく叩くんだぞ」ってあたかも正しいことをしています風を装って叩いたとしても、…いや、おかしいだろ、愛情を持ってたらふつうは人なんか叩かないんだよ、まあいいや話を続ける、その頭のおかしい人が「愛情を持って」「お前のために」「仕方なく」叩いたとしても、叩かれた方は「うわ、叩かれた〜!」としか思いません。「あの時叩かれて良かったな〜」なんて全然思いません。何年経っても「叩かれたなあ」という不快な記憶でしかない。

体罰はまったく何の教育的効果ももたらしません。
それでもまだ人を叩きますか?