よく学び、よく忘れ、私は懲りずにまた学ぶ。

2018-11-30

以前通っていた美術教室は今どうなっているんだろうと気になって検索してみたところ、ブログだけが残されていました。

美大合格者を掲載したエントリーは削除され、あろうことか私の拙いデッサンとコメントを紹介したページ(頼まれて自分で書いたんだけど)がトップに来てしまっていて、顔がカーっと熱くなりました。

 

フンフン、こんな真面目に描いていたんですねえ。

私が教室に通い出したのは2008年だと書かれてあり、おお、ちょうど10年前だったんだなあなどと懐かしむ余裕もなく、まあちょっとこれを見てくださいよ。

 

 

 

 

 

………
(言葉を失い、膝から崩れ落ちる音)

 

こんなのよく教室のHPに載せたよね。当時の私は「ヒッヒッヒ、面白いだろう」のつもりだったんでしょうよ。寒いよ。そういえば当時やっていたブログでもこれを面白おかしく紹介していました。寒い寒い。

でもこれを描いたのはマジです!正真正銘10年前の私です。しかも全然ふざけてないんです。教室へ見学に行った日、試しにクロッキー会に参加してみて〜!と言われ、わけもわからず、頭に汗をかきながら必死で白人男性を描いたもの、それがこれである。

子供の頃からそこそこ絵がうまいということになっていた私でしたが、大人になり、まったく絵を描かなくなって10数年経ってしまうと、小2の子が初めて見た少女マンガに出てくるカッコイイ男の子を真似して描こうとしたけどダメだった、みたいな絵になってしまうことがわかりました。まあ、元々うまいってわけじゃなかったってことなんだよね。

 

でも先生はすごいです。これを見て笑ったりしませんでした。
「(こいつぁ教え甲斐があるぞ…ポキポキ)」
と指を鳴らしたかどうかはわかりませんが、「大丈夫、描けます」と確かにおっしゃった。鉛筆の持ち方や線引きの練習から始まり、クロッキー、石膏デッサン、モデルさんを囲んでの人物デッサンと進み、

ちゃんと描けてるのかどうかはわからないけど、やっと人らしいものが描けるようになり、

アクリル絵の具も覚え、

目と手が連動して描くスピードも上がり、

受験生よりガッツがあると言われたりしました。

 

実に6年間通いました。距離的にも近いわけじゃなかったんですけど、雪の日も車で通いました。何がそこまで私を駆り立てていたのかよくわからないけれど、「描ける」って思いたかったのかな。デッサンをやってみたかったんですよね。ずっとコンプレックスとしてあったので。目に見えるものをそのまま紙に落とし込めるかどうかも試したかった。単純にものを見て集中して描くのは楽しかったしね。あと自分の感覚が間違っていないのか誰かに見てほしかった、っていうのもある。先生はそもそも現代美術の人だったんだけど、デッサンも超うまくて美大受験教育も長くやっているプロなので、感性が鋭く、鋭すぎるがゆえ多少言葉がきつく感じられる人も居たようだけど(泣いてしまう子もいた!笑)、私はズバっと言ってもらってありがたかったな。コーヒーとお菓子とおしゃべりの休憩タイムも好きだった。先生がかけるマニアックすぎる音楽も全く教室に合ってなくてサイコーだった。

…とはいえ、それ以来描いていないのが現実。見る目は養われたけどね。
なんとなく申し訳ない気持ちがする。描きたくなったら描くサ、と思ってもう4年も経ってしまいました。

 

そして私は今、また新たな先生の下で新たな勉強を始めています。(!!)

昔読んだ占いに「学業に縁があり、一生何かを学ぶでしょう」と書いてあったのを思い出します。一生何かを学ぶ、というのは何も学んでいないことと同じではないか、とも思えるのですが、いいのです。一生勉強。最高じゃん。

今やっていることは、これを絶対にモノにしよう、これをずっとやっていこうと思えるものです。不思議な縁としか言いようのないきっかけ、先生との出会い、様々な年齢の仲間にも恵まれ、自分の知らなかった面が浮き彫りになって今までにない充実感の中で学ぶことができています。

どうもこの偶然は偶然ではなく、
「今、わたしは“不思議”の中にいるなぁ…」
と思うことが多いので、きっとこのことは何年か後にじわじわ効いてきて、改めて書くことになるだろうと思っています。

学びの成果も発表できる時がきたら、みなさんにもお知らせしますのでお楽しみに〜。