納豆巻きおばさん

2018-04-10

よく「容疑者は職を転々とし…」みたいにネガティブな意味で使われがちですが、私も地味ながらこれまで様々な仕事をしてきました。高校時代の生協のバイトに始まり、オフィスビルの清掃員、アパレル店員、パンとケーキと喫茶の店で売り子、持ち帰り寿司店の調理販売、パターン事務所の小間使い、テレクラの受付センター(クビ)、雑誌図書館業務、田舎のOL(なう)。

 

地下鉄サリン事件が起こった年に上京した私が東京で初めてしたバイトは八幡山の持ち帰り寿司店の調理販売スタッフでした。店頭の貼り紙を見て面接を受け、福島なまりの店長に「んじゃあ、ぬまりさん、いづがら来れっかなあ?」と言われ、すぐに働くことが決まりました。

素朴で人のいいタレ目のおじさん店長、「パチンコは三千円分しかやらないって決めてんだァ」というパートのおばちゃん、動きに無駄がなく常にはつらつとしているパートのおばさん、実家が老舗寿司屋なのになぜか持ち帰り寿司店でバイトをする女子高生(遅番)、そして夜学に通うファッション大好き貧乏学生の私。それがこの店の構成メンバー。

お寿司は各店舗で仕込んで一つ一つ手作りしていました。まずは酢飯づくり。大釜で炊いたほかほかのご飯をガバッと寿司桶(飯切)にあけ、寿司酢をまんべんなく回しかけ、大きなしゃもじで素早くシャリ切り(かならずむせる)。それを平らに広げてよく冷ましてから使います。店長は主ににぎり寿司を担当、私とパートさんで巻物や松花堂弁当、いなり、ちらし、バッテラなどを作りました。慣れてくると「シャリ60g」がどれぐらいか手の感覚でわかるようになりました。他の店に手伝いに行ったり、仙川にある桐朋学園の学祭で売り子をしたこともあります。作ったり売ったりするのはなかなかに楽しく、みなさんもいい人で、調子よく真面目に働いていました。

 

 

バイトを始めて間もないある日、20代半ばの瘦せ型でそこそこイケメンな白人男性がツーっと店の前に自転車を停めました。パートのおばちゃんが小声で「わさび多め、来たよ!」とささやきます。ん?ん?と思っていたらその白人男性はネギトロ巻きをオーダー。

そして一言「ワ サ ビ 、オ オ メ 」

かしこまりましたー。ネギトロ巻きの中にワサビを多めに入れて巻けばいいのかな?と思っておばちゃんに聞くと、どうやら別のパックにワサビだけを入れてほしいとのこと。彼の期待する「多め」がどれくらいかわからず、一般的な「多め」を提示したら「oh…、話ニナラナイ!」という顔をしている。「このくらい?もっと?」と見せながら増量していって彼が「オーケー」と言ったのは、大人のにぎりこぶし一つ分くらいの量でした。お寿司と別に、小さいパックにみちみちに詰まったそれを渡すと彼は満足そうに帰って行きました。その後もワサビオオメ君は3日に1回は来て多めのワサビを要求し、私たちは黙ってそれを提供しました。あのワサビ、どうするんだろうね?と思いながらも私たちは一度も彼にたずねませんでした。

 

 

またある時、そちらの筋の方かも?と思ってしまうような、60歳ぐらいの強面のおじさんが来店。一瞬でピリッと緊張感が走ります。失礼のないよう皆いつも以上にカッチリした敬語と低姿勢で対応します。おじさんは注文する時サッと指を差して「これ」とか「それ」しか言わないので、こちらは見間違えないように必死です。こちらでよろしいですか?と確認してもムスっとして頷いたか頷いてないのかわからないので、最初に「これ」と差す指の先を見逃さないようにしないといけません。待つのがお嫌いなのか注文するのが面倒なのか、いつもショーケースに並んでいるものの中からお買い上げいただいた気がします。日替わりのにぎり寿司が多かったかな。

強面おじさん何度目かのご来店。みな緊張で顔をこわばらせる中、その日ちょっとテンションのおかしかった私は、わざとらしいほどの笑顔とアホみたいに明るく大きな声で「ぃいらっっしゃいませぇ〜〜っ!!」と飛び出して行ってみました。するとおじさん、私の勢いに圧倒されたのかガッチリ固まっていた顔が崩れて「ふっ」て笑ったんです。笑った!笑ったよね、おじさん! 照れなのか、ちょっと顔も赤らんだような。膝カックンみたいな感じですよね、不意打ち。私もなんかちょっとエヘッと笑ってしまいました。

それからおじさんの硬くこわばった心は軟化し、私たちと笑いながら世間話できるまでになりましたとさ。めでたしめでたし。

とはなりません。ならなくていいんです。次の来店時にはまた元どおり。でも以前とは少し違う、すがすがしい感覚がありました。「おじさんはきっと不器用なだけなんだろうな」と思いながら私はまたカッチリした敬語と低姿勢で接客を続けました、笑顔で。

 

 

毎日、午前11時半ごろに納豆巻き二本を買いに来るおばさんがいました。パートのおばちゃん達は「納豆巻きおばさん」と呼んでいました(そのまんまやんけ)。私たちは納豆巻きおばさんが来る10分前に納豆巻き二本を細巻き用のパックに詰めて用意しておきます。10分後、自転車に乗って納豆巻きおばさんがやってきました。60代半ばぐらいでしょうか、チューリップハットみたいな帽子をかぶりメガネをかけた大柄なおばさんが無言で店頭に立ちます。納豆巻きおばさんは一言も発せず小銭を差し出し、暗黙の了解で用意された納豆巻き二本と引き換え、取引は終了です。レシートはいりません。
福島なまりの店長はいつも穏やかで機嫌がよかったので、天気のよい日などには納豆巻きおばさんに「いやあ、今日はいい天気ですねえ」なんて話しかけていたような気もするけれど、それに対して納豆巻きおばさんはほとんどわからない程度に微笑して軽くうなずくだけ。基本的に会話はないのですが嫌な感じは全くしませんでした。納豆巻きおばさんがどこに住んでどういう人なのか私たちは何も知らなかったけれど、毎日顔を合わせていたので愛着のような仲間意識のようなものが芽生えていました。

いつものように納豆巻き二本をスタンバイしていたある日、午後になっても納豆巻きおばさんは現れませんでした。「どうしたんだろ」「こんなこともあるんだねえ」とパートのおばちゃん達と言い合いながら、まあ、また来るだろうと次の日も納豆巻き二本を用意して待っていました。
ところが、納豆巻きおばさんは来ません。その次の日も来ません。とうとう私たちは納豆巻き二本をあらかじめ用意しておくことをやめました。
「心配だねえ」「入院とか、家の中で倒れてたりしないといいけどねえ」「家も名前も知らないしなあ…」

 

二週間が経ちました。大きな体を揺らしながらメガネのおばさんがゆっくりと自転車を漕いで近づいてきます。
「納豆巻きおばさん、来たよ!」
店内が、ちょっとだけ沸きました。みんな、ホッとしました。うれしかったのです。

「いらっしゃいませ」
それ以外、私たちは何も言いません。
「どうも、おひさしぶりです」と言いたげな納豆巻きおばさんと、「お元気そうで安心しました」と言いたい私たちの気持ちがバチッと通じあい、言葉を交わさずとも目と目で会話ができたような感覚がありました。
そしていつものように、小銭と納豆巻き二本を交換します。レシートはいりません。
「ありがとうございました」
遠ざかる納豆巻きおばさんの大きな後ろ姿を見送りながら、パートのおばちゃんが「生きててよかったね!」と言いました。みんなウンウンうなずき、それぞれの仕事に戻っていきました。

 

 

名前も職業も知らないし、聞かない。踏み込んで話もしない。けれど頻繁に顔をあわせて、相手が欲しいものだけを提供しお金をもらう。言わなくてもわかってますよ、の感じ。しばらく来ないと、どうしたのかなあと思う程度には心配もする。そういう常連さんたちとの微妙な関係は、なんかくすぐったくて、面白かったなあ。

 

(ふと、みなさん今どうしてるかなって想像してみたのですが、納豆巻きおばさんも店長もパートのおばちゃんも当時60歳を過ぎていたはずで、もしかしたらもう亡くなっているかもしれないんだよなあ…と思ったら急に寂しくなってしまいました)


※写真と文章は関係あるようで、ないです。