おじさんのオアシス、ニュー新橋ビルの「喫茶フジ」

2018-10-02

新橋駅前 SL広場に面した、あみだくじみたいな格子状の外観でおなじみ「ニュー新橋ビル」。ここはおじさん達のオアシスであり私のオアシスでもあります。

1Fには「ドキュメント72時間」で密着していた人気のジューススタンド「ベジタリアン」があります。が、土日祝休。私は土日しか来れないのでシャッターが開いた晴れ姿を見たことがありません。そのかわり、もう一軒あるジューススタンド「オザワフルーツ」は土曜日もやっているゾ!

タイルがモダンでかっこいいんですよね。1Fは金券ショップとか、占いとか、うどんそばスタンドなどがあります。

おじさんと一緒に2Fへ上がってみましょう。

2Fに多いのがマッサージ、指圧、整体など癒し系のお店。ほとんど中国の方かな? 女性ばかりなので一瞬「そういうマッサージなのかな」と疑ってしまったのですが、そんなことはありません、普通のマッサージ店です。中国の女の子に足つぼマッサージされながら「イテテテテ」と体をのけぞらせて笑われるのもいいかもしれませんね。

土日祝休でシャッター閉まってましたが、「喫茶室ポワ」もあります。ナポリタンがおいしいんだってさ。

2Fには昭和な雰囲気のゲームセンターもあります。WELとCOMEの間のすきまが気になるね。中をのぞいてみたら、おじいさんが2〜3人しかいませんでした。ここだけ時間が止まっているみたいで不思議な気持ちになりました。

階段もいいでしょ。


3Fはほとんど閉まっていたのですが雀荘は開いていました。モダンなタイルとガラスブロック、すみれ色の天井とダウンライト、雀荘の文字、入り口のマットの赤。くーー!完璧なバランス!

土日祝休で閉まっていましたが「コンセント」というカフェもあります。名前のとおり全席電源完備、無線LANフリー、コピーやFAXが使えてミーティングなどもできるらしいです。さすが新橋って感じですね。

「カトレア」という喫茶店もありましたが、ここも土日祝休でしょうね。閉まっていて残念。

ニュー新橋ビルを完全な状態で楽しめるのは、やはり「平日」なのだと思い知らされます。でも仕方がありません、私は田舎のOL。土日しか都会に出てこられないのです。


さて。喫茶フジです。こちらは地下にあります。

ちょっと見てみるだけのつもりだったので写真がへっぴり腰で看板すら写ってなくて0点です。


銭湯でもないのに奥のど真ん中にどーん!と富士山の写真があるなんて、こんな喫茶店ほかに無いんじゃないかな。バックライトが鮮やかなので、富士山に露出を合わせると他が暗くなってしまいます。もっといいカメラだったらもっと良く撮れるのでしょうか…もっといいカメラ、欲しいですねえ。欲しいですねえ。欲しいですねえ…

ぶつぶつ言いながら私はこの場所を離れ、考えた挙句、神田「エース」で朝食をとったのでした。

いろいろを経て、昼。

恥ずかしながら帰ってまいりました〜!

せっかくだから富士山のふもとでお昼ご飯食べたいじゃないですか。


いいうちわ。「ご自由にお持ち帰り下さい」えっ!いいの!?(持って帰りました)


テレビは「有吉くんの正直さんぽ」。文字放送に設定してあるのがいいね。遠い席の人でも音声が見えますよ。お客さんと店員さんがふつうにテレビの内容について言葉を交わしているのもいい。


らしからぬものを頼んでしまいました。ひときわ推しているように見えた、富士宮焼きそばを。冷え冷えのポテトサラダがつきます。田舎の食いしん坊OLにはちょっと量が控えめでしたが、噛み応えのある麺が楽しくてふつうにおいしかったです!ドリンクとセットで確か850円だったかな。

富士山見れて、落ち着けて、Wi-Fiあって、カウンター席では電源も取れるし、ぼーっとテレビ見ててもいいし、うちわもらえるし、店員さんもなんかいいし、長居しても程よく放っておいてもらえる感じもあり、最高ってこういうことを言うんじゃないの?

ただ、堂々の全席喫煙可!なので、副流煙を気にしすぎる人には向いていないお店かなーと思います。私もかつては喫煙者でしたが、やめてから10年以上経ちます。今後も吸うつもりはないし、例えばおいしいと評判のご飯屋さんへ入ろうとして店内が煙かったら引き返すこともあります。でも、こういう古くて味のある飲食店が喫煙可なのは「知ってて」「それでも」行きます。隣で吸われても「そういうものだ」としか思いません。ついでに言えば、昔ながらの飲食店には丁寧な接客や味すら求めていません。(私がブログで紹介している喫茶店はおいしいですけどね😉)なんか、味や対応がそれなりだったとしても「そういうものだ」としか思わないし、それでいい。古いけれどそのお店が古いまんま維持され、ちゃんと営業しているというそれ自体が貴重なのであって、その内外装の素晴らしさやお客さんも含めた店の空間全体の雰囲気を味わえればそれでいいわけです。

なおかつ味もおいしかったら、それはすごいことなんですよ!私が今まで紹介してきたお店はそういうお店です。

って真面目に語っちゃった!

疲れた人はみんなニュー新橋ビルに行けばいいと思います。喫茶フジの富士山を見ながらまったりしてお腹も心もスマホも充電完了!

「喫茶 フジ」
日祝休

神田「エース」で朝食を

2018-09-28

神田の珈琲専門店エースでございます。

テレビや雑誌等で存在はよく知っているつもりでしたが来店は初めて。
思っていたよりこぢんまりとしている!のが第一印象。
予備知識なしだったとしても「いい店」だとわかる店構え。


モーニングサービスAセット(なんとワンコイン¥500!)にしました。午前中はブレンドコーヒーのおかわり自由だって。いいね。
朝の9時半ごろでしたが、ほぼ満席といっていいくらい混んでいたので店内撮影は遠慮したのですが、すごく愛せる店内でした。隣のお客さんとも距離が近めなんですけど、なんかほっと落ち着ける。置いてあるメニューとか店内に掲示してある手書きの案内もどれも素晴らしく良いのです。一貫した独自の美学を感じて、待っている間じっくり見てしまいました。


これが元祖のりトーストだ!

いいですねえ、いいですねえ。周りの人たちもほとんどのりトーストを食べていました。
8枚切りの食パン4枚にぐるりとお醤油をまわしかけ、焼き海苔をはさんでトーストし、バターをぬりぬり、重ねてカット。4枚重なった状態でいただきます。

「おいしい笑」

食べたことのある人ならわかると思うんですけど、ちょっとフフって笑っちゃう感じなんですよ! しょっぱさがオツなんですよね。思い出しただけでよだれが出てくるなあ。不思議なのが、これが何故コーヒーに合うの!?ということ。お醤油ってカラメルっぽくもあるしバターがつなぎの役割を果たしているからかな。しかし海苔は海のものですよ。普通で考えたらあんまり合わなそうなのに、合う。きっと絶妙なバランスで成り立っているトーストなのだと思います。家で作ってもこうはいかないんだろうな。


ローストビーフサンドも気になるし、世界のコーヒーにも惹かれます。来るたびに楽しみが広がりそうなお店だなあ。


ドーナツもおいしいらしいので次回はティータイムに行こう!

 

神田「珈琲専門店 エース」
月〜金 7:00〜18:00
土 7:00〜14:00
日祝休

 

 

 

私は見た! ゴードン・マッタ=クラーク展

2018-09-13

行ったのは2ヶ月以上前のことになりますが、ゴードン・マッタ=クラーク展でございます。

場所は竹橋の東京国立近代美術館。東!近!美!

暑い中、2万歩歩き回った末の鑑賞となってしまい、頭クラクラ、目しょぼしょぼ、足腰ガッタガタの状態でした。

さて、私がゴードン・マッタ=クラークについて事前に知っていたことといえば、「ロベルト・マッタっていうシュルレアリスムの画家いるじゃん、絵は正直好きじゃないけど、その人の息子で、家をまっぷたつにした人だよね?」ということだけ。

ただ単に、なにやら評判がいいらしい、ということで足を運んだわけです。
35歳で夭折し、作家活動はたったの10年ということはフライヤーで知りました。

そんな素人が、ものすごくテキトーに見たまんま書いていきたいと思います。

建物の床がくりぬかれております。
最初、え?なになに?どうなってるの?エッシャー?と思いました。


早稲田の建築学科の学生さんたちがダンボールで再現したもの。
あっ、ちなみにこの展覧会、写真撮影OKなので!(一部をのぞく)


窓はいいですよね。窓、わたしも好きです。


あれっ、ドローイング良くないですか?? えっ、絵も描けるの? ってそりゃ画家の息子だもんね。 ふつうにいいなと思います。


「ツリーダンス」。木の上で暮らそうとしたけど、許可が下りなくて一日限定になったという。その映像。


映像が多いので、時間に余裕のある時にゆっくり観るのがよさそうです。金土は夜9時まで。
(っていうか9月17日で終わりなんですけどね)

これこれ、唯一知ってたやつ。スプリッティング。(1974年)

私がかつて「なんだかわからないが、面白そうだ…写真を見ているだけでインスピレーションがわいてくる…」と背伸びして買った『岩波 世界の美術 コンセプチュアル・アート』に載っていました。(P258です。今確かめました)

資本主義という「社会的」構築物は、「受動的で孤立した消費者——ほとんど囚われの身の観客——の容れ物として、郊外型の箱や都市型の箱をばらまく産業機構である」

『岩波 世界の美術 コンセプチュアル・アート』P258

なるほど、それをまっぷたつにしたわけですね。


記録写真もふつうにいいなあと思いますね。


ぶった切られた家の角が展示されております。

NYのいい感じに朽ちた壁を撮影し、独特な色で新聞用紙にプリントしたもの。当時それを人に配っていたそうで、この展覧会でも一人一枚持ち帰れるよう用意されています。(おそらく数に限りがあり、現在も配布されているかは不明です)

港の廃倉庫に穴をあけた「日の終わり」


光が差し込んで、なんともいえず美しい。
(しかし無断だったため、NY市から損壊に対する賠償請求が検討されたそう)
行為自体は「破壊」なのかもしれないけど、そこに美が生まれるっていうのが面白い。


地下鉄のグラフィティをモノクロで撮り、プリントに着色したもの。この感覚。自分もやってる気になりたかったんだろうなあ。私が生まれる前後10年間だけ活動した若者がこんなことやってたっていうのがなにしろ驚きだよ。


会場設営も工夫されていたのではないでしょうか。もっと無骨にガチャガチャしててもいい気もするけど。このカーテンいいよね。


彼が仲間たちとやっていた食堂「FOOD」のプロジェクトは、記録写真や宣伝美術も含め、大変興味深かったですねえ。

なんかねー、疲れてるしなぁ、よく知らないしなぁ、まあすごい人なんだろうなぁ、でも昔の人だしなぁ、死んじゃってるしなぁ…みたいな気持ちがあったんです、どうしても最初は。

頑張って知ろう知ろう、もっともらしく鑑賞しよう、みたいな力も入っていて、眉間にシワ寄せながらテキストめっちゃ読んだりして。でもさぁ、単純に見ても「え、たった10年でこれだけのことをこの感じでやっちゃったの?」という驚きはあるし、悪ふざけのような笑える作品もある。記録写真や映像作品が多いのも、彼の「動き」そのものが作品であるがゆえのこと。

 

で、私は思いました。「かつてこんなすごい人がいた」ではなく、

今、この時代に、こんなことやってる人がいたら!?

って思ったら、ヤバイヤバイヤバイ!!!!ってなりませんか。
もし今こんなことを本気でやってる人が日本にいたらすんごい大騒ぎだと思うんです。保守的な日本人から見れば色々問題ありそうだけど、私から見れば最高にカッコイイし超おもしろいし絶対「FOOD」行くし、どっかで「スプリッティングやるよ」ってなったら絶対見に行くし、なにかしらのグッズ買ったり、雑誌で特集されれば買って読むだろうし、彼が「この曲いいよ」「この本面白かったよ」って言ってたら当然チェックすると思うんです。とにかく彼のやることなすことに触れていたいと思うだろうなって。

今この時代の東京でこの展覧会が開催されていることにすんごい意味がある気がしてくる。それをこんな田舎のOLがたまたま観れたってことがマジヤベェ案件だなと思います。そして、この展覧会を見た人たちが、ゴードン・マッタ=クラーク的な目線で街や物事を見たり、何か面白そうなことを考えたら「ちょっとやってみるか」って行動すれば、きっと世の中が面白くなっていくだろうなって。少しくらいは希望を持ちたいから、そう書いておくよ。

未見の方は是非!!!!!

 

ゴードン・マッタ=クラーク展

6月19日(火)~ 9月17日(月祝)
10:00-17:00(金土は10:00-21:00)

愛はトーストのように 珈琲店「愛養」(築地)

2018-08-30

暑い日。

長野陽一さんの写真や、いろんな方々のインスタ写真などを見ては、いつか行ってみたいと思っていた場所、築地の「愛養」へ。世界の貝のメンバー、品口回と行きました。


ちょうどいい席が空いていてよかった。
アイスミルクコーヒー。

マスターに甘さをどうするか聞かれるので「甘めで」と答える。大理石っぽいカウンターの模様と響き合い、とても美しい。写真で見た「AIYO」というロゴ入りのグラスじゃなくてちょっと残念ではありますが(ロゴ入りグラスは数が少なくなり、貴重らしいです)一口のむ。ああ、おいしいなあ。甘さがちょうど私の好みにぴったりです。
もうわかってしまう。ここが名店だと。


トースト。


品口回がファンに話しかけられている間、料理写真の苦手な私はここぞとばかりに何枚もトースト写真を撮りました。使えるかなあ、と思えたのはこれ。下手な鉄砲は数撃たなきゃね。いや、まあ写真のことはいいんですよ。

このトースト、なんで?っていうぐらいおいしいんです! 焼きぐあい、バター、ジャムが天才的なあんばい。ちょっと冷めてきてもずっとおいしい。丁寧であたりまえに何年も続けてきた仕事が、びっくりするぐらいおいしいものを生み出すことがあるんですよね。私はそういう、地味だけれどひと味ちがうものが好きだし、それをそっと提供してくれるお店が大好きです。


マスターがまたいいんですよね。たたずまいがいい。仕事のリズムや美しさは、浅草「アロマ」のマスターにも通じるものがあるなあと思いました。そういえば、どちらもトーストとコーヒーのおいしい店。


とても居心地がよくて、「(いいなあ)(いいなあ)(いいなあ)」と心の中で言うだけでは足りず、つい「いいなあ」とたびたび声が出ちゃう。

そんないい場所が、10月上旬、なくなってしまいます。

豊洲移転後は天ぷら屋さんとなり、喫茶店はもうおしまい、とのこと。マスターに「えっ、こんなにおいしいのに、喫茶店やめちゃうんですか!?」と前のめりで聞くと、「だって54年もやったもん、もう十分でしょ」と軽やかな笑顔で引退を匂わされてしまいました。期待と可能性を残しつつ、お疲れさまでした。来れてよかったです。

「また来てよ」
うぅ〜〜、閉まる前にもう一度行きたい!!

 

珈琲店「愛養」
築地市場内 6号館
日・祝・休市日 定休
3:30〜14:00(L.O.13:30)

納豆巻きおばさん

2018-04-10

よく「容疑者は職を転々とし…」みたいにネガティブな意味で使われがちですが、私も地味ながらこれまで様々な仕事をしてきました。高校時代の生協のバイトに始まり、オフィスビルの清掃員、アパレル店員、パンとケーキと喫茶の店で売り子、持ち帰り寿司店の調理販売、パターン事務所の小間使い、テレクラの受付センター(クビ)、雑誌図書館業務、田舎のOL(なう)。

 

地下鉄サリン事件が起こった年に上京した私が東京で初めてしたバイトは八幡山の持ち帰り寿司店の調理販売スタッフでした。店頭の貼り紙を見て面接を受け、福島なまりの店長に「んじゃあ、ぬまりさん、いづがら来れっかなあ?」と言われ、すぐに働くことが決まりました。

素朴で人のいいタレ目のおじさん店長、「パチンコは三千円分しかやらないって決めてんだァ」というパートのおばちゃん、動きに無駄がなく常にはつらつとしているパートのおばさん、実家が老舗寿司屋なのになぜか持ち帰り寿司店でバイトをする女子高生(遅番)、そして夜学に通うファッション大好き貧乏学生の私。それがこの店の構成メンバー。

お寿司は各店舗で仕込んで一つ一つ手作りしていました。まずは酢飯づくり。大釜で炊いたほかほかのご飯をガバッと寿司桶(飯切)にあけ、寿司酢をまんべんなく回しかけ、大きなしゃもじで素早くシャリ切り(かならずむせる)。それを平らに広げてよく冷ましてから使います。店長は主ににぎり寿司を担当、私とパートさんで巻物や松花堂弁当、いなり、ちらし、バッテラなどを作りました。慣れてくると「シャリ60g」がどれぐらいか手の感覚でわかるようになりました。他の店に手伝いに行ったり、仙川にある桐朋学園の学祭で売り子をしたこともあります。作ったり売ったりするのはなかなかに楽しく、みなさんもいい人で、調子よく真面目に働いていました。

 

 

バイトを始めて間もないある日、20代半ばの瘦せ型でそこそこイケメンな白人男性がツーっと店の前に自転車を停めました。パートのおばちゃんが小声で「わさび多め、来たよ!」とささやきます。ん?ん?と思っていたらその白人男性はネギトロ巻きをオーダー。

そして一言「ワ サ ビ 、オ オ メ 」

かしこまりましたー。ネギトロ巻きの中にワサビを多めに入れて巻けばいいのかな?と思っておばちゃんに聞くと、どうやら別のパックにワサビだけを入れてほしいとのこと。彼の期待する「多め」がどれくらいかわからず、一般的な「多め」を提示したら「oh…、話ニナラナイ!」という顔をしている。「このくらい?もっと?」と見せながら増量していって彼が「オーケー」と言ったのは、大人のにぎりこぶし一つ分くらいの量でした。お寿司と別に、小さいパックにみちみちに詰まったそれを渡すと彼は満足そうに帰って行きました。その後もワサビオオメ君は3日に1回は来て多めのワサビを要求し、私たちは黙ってそれを提供しました。あのワサビ、どうするんだろうね?と思いながらも私たちは一度も彼にたずねませんでした。

 

 

またある時、そちらの筋の方かも?と思ってしまうような、60歳ぐらいの強面のおじさんが来店。一瞬でピリッと緊張感が走ります。失礼のないよう皆いつも以上にカッチリした敬語と低姿勢で対応します。おじさんは注文する時サッと指を差して「これ」とか「それ」しか言わないので、こちらは見間違えないように必死です。こちらでよろしいですか?と確認してもムスっとして頷いたか頷いてないのかわからないので、最初に「これ」と差す指の先を見逃さないようにしないといけません。待つのがお嫌いなのか注文するのが面倒なのか、いつもショーケースに並んでいるものの中からお買い上げいただいた気がします。日替わりのにぎり寿司が多かったかな。

強面おじさん何度目かのご来店。みな緊張で顔をこわばらせる中、その日ちょっとテンションのおかしかった私は、わざとらしいほどの笑顔とアホみたいに明るく大きな声で「ぃいらっっしゃいませぇ〜〜っ!!」と飛び出して行ってみました。するとおじさん、私の勢いに圧倒されたのかガッチリ固まっていた顔が崩れて「ふっ」て笑ったんです。笑った!笑ったよね、おじさん! 照れなのか、ちょっと顔も赤らんだような。膝カックンみたいな感じですよね、不意打ち。私もなんかちょっとエヘッと笑ってしまいました。

それからおじさんの硬くこわばった心は軟化し、私たちと笑いながら世間話できるまでになりましたとさ。めでたしめでたし。

とはなりません。ならなくていいんです。次の来店時にはまた元どおり。でも以前とは少し違う、すがすがしい感覚がありました。「おじさんはきっと不器用なだけなんだろうな」と思いながら私はまたカッチリした敬語と低姿勢で接客を続けました、笑顔で。

 

 

毎日、午前11時半ごろに納豆巻き二本を買いに来るおばさんがいました。パートのおばちゃん達は「納豆巻きおばさん」と呼んでいました(そのまんまやんけ)。私たちは納豆巻きおばさんが来る10分前に納豆巻き二本を細巻き用のパックに詰めて用意しておきます。10分後、自転車に乗って納豆巻きおばさんがやってきました。60代半ばぐらいでしょうか、チューリップハットみたいな帽子をかぶりメガネをかけた大柄なおばさんが無言で店頭に立ちます。納豆巻きおばさんは一言も発せず小銭を差し出し、暗黙の了解で用意された納豆巻き二本と引き換え、取引は終了です。レシートはいりません。
福島なまりの店長はいつも穏やかで機嫌がよかったので、天気のよい日などには納豆巻きおばさんに「いやあ、今日はいい天気ですねえ」なんて話しかけていたような気もするけれど、それに対して納豆巻きおばさんはほとんどわからない程度に微笑して軽くうなずくだけ。基本的に会話はないのですが嫌な感じは全くしませんでした。納豆巻きおばさんがどこに住んでどういう人なのか私たちは何も知らなかったけれど、毎日顔を合わせていたので愛着のような仲間意識のようなものが芽生えていました。

いつものように納豆巻き二本をスタンバイしていたある日、午後になっても納豆巻きおばさんは現れませんでした。「どうしたんだろ」「こんなこともあるんだねえ」とパートのおばちゃん達と言い合いながら、まあ、また来るだろうと次の日も納豆巻き二本を用意して待っていました。
ところが、納豆巻きおばさんは来ません。その次の日も来ません。とうとう私たちは納豆巻き二本をあらかじめ用意しておくことをやめました。
「心配だねえ」「入院とか、家の中で倒れてたりしないといいけどねえ」「家も名前も知らないしなあ…」

 

二週間が経ちました。大きな体を揺らしながらメガネのおばさんがゆっくりと自転車を漕いで近づいてきます。
「納豆巻きおばさん、来たよ!」
店内が、ちょっとだけ沸きました。みんな、ホッとしました。うれしかったのです。

「いらっしゃいませ」
それ以外、私たちは何も言いません。
「どうも、おひさしぶりです」と言いたげな納豆巻きおばさんと、「お元気そうで安心しました」と言いたい私たちの気持ちがバチッと通じあい、言葉を交わさずとも目と目で会話ができたような感覚がありました。
そしていつものように、小銭と納豆巻き二本を交換します。レシートはいりません。
「ありがとうございました」
遠ざかる納豆巻きおばさんの大きな後ろ姿を見送りながら、パートのおばちゃんが「生きててよかったね!」と言いました。みんなウンウンうなずき、それぞれの仕事に戻っていきました。

 

 

名前も職業も知らないし、聞かない。踏み込んで話もしない。けれど頻繁に顔をあわせて、相手が欲しいものだけを提供しお金をもらう。言わなくてもわかってますよ、の感じ。しばらく来ないと、どうしたのかなあと思う程度には心配もする。そういう常連さんたちとの微妙な関係は、なんかくすぐったくて、面白かったなあ。

 

(ふと、みなさん今どうしてるかなって想像してみたのですが、納豆巻きおばさんも店長もパートのおばちゃんも当時60歳を過ぎていたはずで、もしかしたらもう亡くなっているかもしれないんだよなあ…と思ったら急に寂しくなってしまいました)


※写真と文章は関係あるようで、ないです。

 

西新宿のこと

2018-03-21

どこに出すわけでもないのに「西新宿」というタイトルで書きかけていた一年前の文章をデータ断捨離中に見つけたので貼り付けてみます。

『サブカル・スーパースター鬱伝』という吉田豪さんの本を読んでいたら、P119のみうらじゅんさんのページに、ポール牧さんがサイン色紙によく綴っていたという「ドーランの下に涙の喜劇人」という言葉が出てきて、ふーんと思いながら「そういえばポール牧さんて西新宿に住んでたよなあ」と思い出した。私が二十歳ぐらいの時、西新宿にあった友人のアパートへ遊びに行く途中「ここにポール牧が住んでるんだよ」と教えられたマンションがあった。のちにポールさんは自宅マンションから飛び降りて亡くなってしまうのだが、飛び降りたのはそのマンションだったのだろうか。

などと考えていたら急に西新宿の街を見たくなり、ストリートビューで見ることにした。
しかしもう20年ほど前の記憶である。街だってずいぶん変わっているはずで、「なつかしい」などと思うことができるだろうか。

交差点に面したところに昔ながらのタバコ屋があったよなあ…と思って探してみた。

ここだここだ!


なつかしい。


見えにくいけど青い装飾テントに松葉商事と書いてある。松葉文具店も隣接していたんだな。大体いつも夜に通っていたので店は閉まっていることが多く、タバコは自販機で買っていたような記憶がある。


都庁こんなに近かったんだ。

松葉商事の名前でなんとなく検索してみたら、閉店を知らせる記事が出てきた。
コラムで紹介されたばかりの松葉商事「西新宿6丁目計画」のために取り壊しへ

「紹介された」というコラムが気になり読んでみた。雨宮まみさんが書いたものだ。
都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」
浮かび上がるまでの10年間、しっかりともがいた雨宮さんの愛しさとせつなさと心強さにグッときてしまった。良い文章。ブラジル館ってまだあるのかな、行ってみたい。

私は当時、東京の八幡山というところで一人暮らしをしながら代々木にある学校へ通っていた。そこから歩いていける距離に同じ学校の友人が住むアパートがあって、授業が終わってからよく遊びに行ったものだった。都庁や新宿中央公園、高層ビル群をくぐり抜け、コンビニや牛丼チェーン店、コインランドリー、銭湯などを過ぎ、あらゆる喧騒から逃げ切った辺りにそのアパートはあった。堂々たる近代都市風な街の隙間に、小さな昭和の住宅や昔ながらの商店がポコポコはまっている様子は風情があって好きだった。神田川へ続く遊歩道には素朴な遊具が備え付けられ、日中は子供たちが遊んでいたり、おばちゃんたちが井戸端会議をしていて、絵に描いたようなのどかさだった。

つづく!?

残念ながらここで途絶えてしまっています。一年前の私に続きを書かせたい。それは無理なので一年後の私ががんばって続きを書きます。(以下、過去のテキストに文体を合わせます)

友人宅は、お姫様っぽくて恥ずかしい名前のアパートの2階だった。「ここらへんのアパート仕切ってんのって893らしいんだよね、だからなのかわかんないけど、水商売風の人とか外国人労働者が多い気がする」と友人は言った。6畳ワンルーム、ユニットバス。キッチンは申し訳程度しかなく、部屋のほとんどがベッドとテーブルに占領されていた。その上さらにスニーカーやらフィギュアやら自作の絵だか作りかけの洋服なんかであふれていて、「あ、どうも」知らない人までいたりした。学校に近いこともあって常に誰かが遊びに来ている状態。お香やタバコの煙が充満する中でNirvanaをかけながらゲームをしたり漫画を読んだりデザイン画を描いたり、アイデアを出し合って何か作ったりもした。当時、テレビ東京で放映開始したばかりのエヴァンゲリオンを見た誰かが「このアニメ、超やばいんだよ!!!!!」と騒ぎ出し、「え〜?マジで?」と半信半疑で見た連中みんなでハマってしまい、夜通しエヴァ論を繰り広げたりもした。

結局その友人とは後に仲違いしてしまって今ではどこでどうしているか知る由もない。時々ふと思い出して名前を検索にかけてみるけれど、2時間ドラマの犯人の名前と一致するだけだった。本名で何かやるような人ではなかったから何も出てこなくても不思議はない。もう会うこともないだろうけれど、元気でいてくれればと思う。

私が田舎から部屋探しのために上京した朝、地下鉄サリン事件が起きた。浜松町のバスターミナルに着き、身支度や部屋探しの手はずを整えたあと公衆電話から相模原のおばさんに着いたよ〜と連絡すると「地下鉄に乗っちゃだめよ!大変なことになってる。近くにテレビがあるなら見て」と言われた。待合室のテレビを見ても何がなんだかわからなかった。私の東京暮らしは「地下鉄サリン以後」ということになる。田舎から出てきたばかりの私には、よくわからないオウムやサリンよりも「新宿」という街の方がよっぽど危険なイメージだった。けれど、その後12年間続いた東京暮らしの中で危険な目に遭ったことは特になかったし、一番思い入れがあってなぜか安心できて好きな街といえばやはり新宿なのだった。それも東(も好きだが)ではなく西。なにしろ西新宿にはでっかい「LOVE」がある。

東の賑わいとは違う、ビジネス街の整理整頓された雰囲気、足早に歩くサラリーマンたち、壮観な高層ビル群、通好みのレストラン、コンランショップ、下町風情のなつかしい街並み、新宿中央公園とホームレス、どれもが爽やかな朝の風のにおいを伴ってまぶたの裏によみがえってくる。

友人宅でワイワイやって朝帰りということも珍しくなかった。平日朝の西新宿を、これから仕事へ向かうサラリーマンと逆方向に新宿駅までぶらぶら歩くのがたまらなく好きだった。その途中、みんなでなんとなく高層ビルのそばに置かれた背もたれのない平らなベンチに座る。ビルと対面する格好で数人が横並びに座り、そのまま「あ〜」っと仰向けに上体を倒してみる。空が青い。眼下に広がる高層ビルが世界の果てまで続いていて、先端まで歩いていけそうな気がする。みんなで足をバタバタさせて「気持ちいいー!」

西新宿の平日朝の光景は、今思い出しても気分がすーっとする。あれからみんな、何かになれただろうか。何にもなれなかった私は、世界の先端に立つこともなく舞い戻ってきた田舎でこんな文章を書きながら、まだ足をバタつかせている。

(文中のスナップ写真は2011年に西新宿で撮影したものです)