Numari個展「マム」ステートメント

Numari 個展「マム」 ステートメント

機嫌のよい人だった。よくしゃべり、よく笑い、歌うように生きていた。自分のことより人の世話を焼き、おいしいものも楽しいことも誰かと分け合った。そんな母が胃がんになった。

これまで、家族だけでなく人物を撮ること自体ほとんどしてこなかった私が、これを機に記録してみようと考えた。だが、私がカメラを向けると母はきまって軽くポーズを取り、カメラ目線で笑顔を作ってしまう。がんの告知を受けた日も手術前も、母が見せたのは笑顔だった。

入院、手術を無事に乗り越えた母の退院日、日本で初めて新型コロナウイルス感染者が確認された。以降、思うように外出できなくなった私は今まで見向きもしなかった地元の海岸へ出かけ、自然の風景を撮るようになる。いっぽう、食べるのが大好きだった母は、小さくなった胃と付き合う方法を探りながら治療をつづけた。副作用がつらそうだったり、ときどき入退院することもあったが、同じ病室で知り合った新しい友人と励まし合えたことは母にとって救いだったと思う。

よい娘ではなかった。もっとしてあげられることはあったのに、私はずっと母に甘える「子供」のままでいた。毎日の食事など生活面のサポートを存分に受けながら、2023年4月、初の写真展を開催することができた。冬のあいだ眠ることが増えていた母も会期が近づくにつれ元気になり、父と一緒に観に来てくれた。歳の離れた姉や親戚、友人たちとも顔を合わせ、本当に楽しそうだった。それが私の最初で最後の親孝行となった。

キービジュアルとなった飛行機雲は、母が亡くなる前日に何気なく撮ったものだ。駆けつけた病室で見た心電図のフラットラインと重なり、それは「静止」でありながら「飛行」なのかもしれないと思う。

私たちは、形は似ていても中身は正反対だった。性格も価値観も行動も全くちがっていた。お互いのことが理解できず、認められない時もあった。母の言葉に傷ついたこともあったし、母を傷つけたこともあったと思う。それでも、深いところでつながっていたと私は感じる。親子の関係はこれからも続いていくし、年とともに私の中で変化していくだろう。残された私は、母に分けてもらった優しさを育てながら、彼女が選ばなかった「もう半分」を生きていく。