日記

2020-12-10

ずっとうっすら死にたいんだなとわかってしまった。楽観や希望とうらはらに、私はずっとうっすら死にたかったんだ。

泣きながら、チキンラーメンを流し込む。

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やめようかな

2020-12-04

目が疲れすぎて夜10時ごろに限界を迎えてしまうんですよね。仕事で一日中パソコンを前にしているし、帰ってから写真の現像や整理でまたパソコンとにらめっこだし、やはりなんといってもスマホ見過ぎ問題ってあるよなあ、と。ほとんど依存症なので。

写真整理中に、ヤフー知恵袋の回答をスクショしたのが出てきて、なんだろうと思ったら、以前気になる夢を見た時にその内容で検索したら似たような夢を見た人の相談があり、それに対する回答がまったく「私」そのものをあらわしていたのでメモとして残したのだと思う。

今改めて読んでみたら、なんともまあ、おっしゃる通りというか自分の問題点をズバズバ言われているようで、はあ…こりゃダメだわと凹みました。

こりゃダメだ、こんなポンコツ人間じゃ。

さっきまで、ある配信動画を見ていて、私よりちょっと若いぐらいの人たちがあるテーマで大人の会話をしていて、私には初めて知る現実が多く、自分はなんて無知で無教養で勉強不足で幼いのだろうと思ってまた落ち込んだりもして。

わかっていたけど、なんか改めて突きつけられた感じ。ということは成長してないな…

もう成長できるような年齢でもないし、もろもろ諦めた方がいいのかもしれないね。

とか書くじゃん。抵抗するんだよね、体が。やめんじゃねえよ、って。

なんかやっぱり集中力が弱いんだよね。さっきの夢診断でも「気が多い」って書かれてて、ずっとそうなんだよね、子供の時から。常に、なんだよ。何かをしながら別の何かが気になってしまう。パソコンに入力しながら全く別のこと考えてたりします。わたしが一つのことに集中するのってよほどの時です。よほど好きなことかよほど得意なことです。

街で写真撮ってる時とか、ZINE作ってるときは休憩もせずにやり続けるのがあまり苦ではないので、好きなんだろうね。まあこのブログもそうか、なんだかんだ続いてる。そもそもの始まりから数えると…うわー、うわわわわ! 私が自分のページ持って日記書いたりし始めたの20年前だわ…引くな〜。もう大好きじゃん。ベテランじゃん。

話それたけど、

その夢診断ではさらに「自分に甘い」「他人に厳しい」とも書かれてて、はぁ、本当にその通りすぎて返す言葉もございません。昨日反省したばっかりだけど。なんかもっと自分を立て直したほうがいいんじゃないか、まずはそのために時間使わないか? しばらくSNSとか見たりアップする頻度減らしてみてはどうかね?と思えてきて。

スッとやめられるタイプだったらいいんだろうけど、私は文通世代なので(古いな)ネット社会が向いてるんですよね。顔が見えないコミュニケーションが好きなんです。現実のしがらみもほぼないし。

やっぱりちょっと考えたいな。時間の使い方。漫然とYouTube見る時間とか極力カットしたい。ASMR動画禁止!(眠くなるし)SNS脳みたいのになっちゃってた気もして、あと写真の人たちフォローしてみると、私が気に入ったぐらいなので(なんか偉そうですいません)みなさんめちゃくちゃいい写真なんだよね。それ見てたらなんか、こういう人たちと肩並べられないなぁって気になっちゃって、はぁ、もう。

あの、一回落ち込む、っていうのをやっているので心配ご無用です。わかってやっているので。

でもまーね、SNSはやりすぎだと思う。とにかく「画面」を見る時間を減らす!それは確定です。「画面」ではなく「現実」を見る!手を動かす!ということをしようと思います。

写真もね、プリントしてナンボってとこがあってね、

ただ「画面」上で見ていても全然頭がクリアにならないし判断が鈍る気がする。ゼミで教わったようにプリントアウトして、並べて…っていうことを今一度やろう。はい。そんなわけで、新しく「やる」ための凹み日記でした。

雑に書いて読み返しません。おやすみなさい。

ぬまぬま帝国で反省中

2020-12-01

虫の居所でも悪かったのだろうか、半月前このような文句を書き殴ったことを私はいま猛烈に反省している。

某所にて

写真大好きおじさんは好きなように写真を撮っていいし、下手だろうが雑だろうが(ほらまた毒入っちゃってる!こういうとこだよ!)ちゃんとした手順を踏んだのだからどこでどんな展示をしようがいいのです。

見た瞬間カーっとなってしまい、新鮮な怒りのままその場で書いたブログだったんです、あれ。本人在廊タイプの展示じゃなくてよかったね。書いてアップしてからもなんだかモヤモヤして、さらに時間を置いてみて、あれはやっぱりひどかったなと改めて反省。私はよく、ぬるいものを作る人に腹を立ててしまうんだけど、そうすればするほど自分の行動のハードルが高くなっちゃうんだよね。試しに軽い気持ちで何かやってみる、ってことができなくなる。結局さ、誰かや何かを否定してしまうと、自分の行動範囲を狭めちゃうんだよ。同じやり方や同じ振る舞いができなくなる、ってことなんです。

SNSで写真の人をぽつぽつフォローするようになると、いろんな写真を目にする機会が増えて(その人たちが「いいね」した知らない人の写真が目に入ってくるから)面白いんだけど、中には好みではないものも出てくる。だけど、そういう写真には私なんて比じゃないぐらい「いいね」とかついているわけですよ。一時期はそういうのに「へっ」と思ったりしてたんだけど、ある方面の人たちの心を楽しませる写真ではあるのだよなあ、と。どんな写真も誰かにとって何か思うところがあるのかもしれない。どこに着目するか、どこに感じ入るのか、それは受け手でなければわからないわけで、私が偉そうにジャッジ下すのはすごく乱暴なことだなって。

それぞれの人が、その人なりの理由があって写真を撮ってるんだよね。生きがいかもしれない、リハビリかもしれない、承認欲求かもしれない。記録、コレクション、表現手段。大切な誰かとの約束かもしれない。ぬるい気持ちでやってる人なんていないんだと思う。その人なりに切実なはず。だったら私はそれを否定すべきじゃないって。誰かにとってのかけがえのない一枚なんだもんね。

日記

2020-12-01

昔好きだったあるパンクバンドのことを思い出し、過去の映像などを色々と漁っていた最中、YouTubeにおすすめされたこのPV。私にはかつてBOØWY好きだった過去があり(“あるパンクバンド” よりそっちのほうが古い)、当時は子供だったわけだけど、弘前のイトーヨーカ堂の新星堂で(お年玉で)買ったレコードはたぶん今もどこかにあるはず。このPVも発表当時2~3回見たことはあったものの、大人になってからは見たことがなかった。改めて見ると「本物」の手触りがして呼吸が苦しくなってしまった。「本物」に触れると私は呼吸が苦しくなって頭がくらくらしてくる。

この曲がシングルカットされたBOØWYのアルバムは『PSYCHOPATH(サイコパス)』といい、ジャケットにはエルスケンの写真が使われている。今ならなんてタイトルだ!と思うが、子供だったので意味などわからなかった。しかし子供ながらに「BOØWYはもう終わりかもしれない」と思っていた。まあ、難解な曲が多かったから子供には理解できなかっただけかもしれないが、どことなく風通しの悪さみたいなものを感じ取っていたのだった。

それでも『マリオネット』は売れたし、この『季節が君だけを変える』も耳に残る名曲で、アイドル好きの同級生が「あの曲いいよね」とわざわざ言ってくるほどだった。ポップな中に、誰の琴線にも触れやすい響きがあったのだと思う。なんといってもタイトルがいい。わかったようでわからないところがいい。今思えばバンドの方向性や別離を暗示していたのかもしれないが、当時はそんな想像も及ばず、ただただ詩的で謎めいたフレーズがかっこよかった。

この曲のシングルカットが1987年らしいので、多分PVもその頃に撮られたものと思われる。写っている人たちは(全員がそうではないと思うが)当時ファンクラブを通じて募った人たちらしい。

この淡々と生々しい撮り方はなんだろうか。私はこの映像を撮った人が誰なのか本当に知りたい。シリアスなポートレート写真集を見た後のような、あるいは報道写真のような冷たさと重さが残る。見ながらしばしば呼吸が苦しくなってしまった。

どうやらOKAMOTO’Sという若いバンドがこのPVのオマージュ作品を作ったらしい。

へー、なんか質感が違う。それにしても豪華な面々だこと! 似せて作られたとはいえ、全く別物になっているのが面白い。むしろこっちのほうが古く(懐かしく)感じる。ノスタルジックでほんのりあたたかい。鋭さはない。

もちろん、写っている人や時代背景や土地の違いもあるのかもしれない。BOØWYの方はおそらく新宿周辺だと思うんだよね。全体に流れる空気感がピリピリしてるのなんでなんだろう。ずっと居心地悪いよね。そこがいいんだけど。

思い出した、芸術ってほんと疲れるんだよね。純度の高いものが本気でかかってくるので、こちらも本気で受け止めなきゃいけない。いやはや、こんな国民的ポピュラーバンドのPVに純粋なアートが持ち込まれているとは思わなかった。BOØWYのほかのPVざっと見たけど、ここまでじゃないんだよね。本当に誰が撮ったんだろう。どうしてこういう映像にしようと思ったんだろう。気になる。

注:当初貼っていた動画が消されていたので新たに貼り直しました。

日記

2020-11-25

こう、と決めると自分の世界はちゃんとそうなるのかもしれない。私なんかダメだ、と思うとダメな私の世界ができあがる。自分が望んだものに私たちはちゃんとなっているのではないか。

時々、何をやってもうまくいっていなそうな人を見かけるけれど、その人は自分のことを「何をやってもうまくいかない」と思っているのではないか。(思ったものになるのだとしたら)

「お金がない(からダメだ)」と思っている人は、お金がない現実を自ら作り出しているのではないか。

さらにいえば、

「私なんかダメで、何をやってもうまくいかず、お金もない」という自分でいることで、なんらかのメリットを得ているのではないか?

努力しなくていい、がんばらなくていい、壁にぶちあたらなくていい、という「メリット」があり、自分でそれを選び取っているのだとしたら。

なんてね。

日記

2020-11-21

「情緒を排除したい」と唐突に思った。

冷酷なまでに情緒を排除したい。私は感情的にすぎる。自分の感覚と感情に振り回されて地に足がついていない。あ、これは写真の話だからね。エモい写真とは対極の写真が撮りたい。それにはやはり冷酷なまでに事物を写し出す機材が必要なんだろうね。あなたの家で眠ってるライカ、中判機、高級コンパクトフィルムカメラ、私が有意義に使いますよ。

今日読んだ小説に「憮然」が4〜5回も出てきた。ぶぜん。多分作者は4〜5回すべてで使い方を間違えている。(そのように私には読めた)ムっとしたりカッとなった時に使う言葉ではないのに、そのような場面で使われていたのだ。

名だたる文学賞を獲るような人がこんなことでいいのかと思ってしまう。校正もどうなっているのか。それとももう、この誤用が誤用でなくなるような意味の更新がなされたのだろうか。私は憮然としてため息をついた。

自分だって知らず知らず間違った使い方をしているかもしれないのに、なぜこれほどまでに誤字や誤用にうるさいのか、私は今一度考えたほうが良さそうだ。

単に、気になってしまうということはある。目について「これはおかしいぞ」となる。「書く前に調べないのだろうか?」と疑問がわく。せっかくこれまで本を読み進めてきたのにこういう箇所を見つけると途端に気持ちが萎える。作者に対する信頼もゼロに近くなってしまう。

私には学歴コンプレックスがある。というより「学歴がない」。だから、私よりいい学歴を持ち、ちゃんとした立場の人たちにはしっかりしていてほしいのだ。よい大学を出たなら言葉なんか間違えないでほしい。頭のいい人たちにしてみれば、そんな小さなことを気にすることそのものが非効率で「頭がわるい」ということになるのかもしれないが、持たなかった者のひがみで、持っているならちゃんとしろ、と言いたいのだ。

ある席で、出身大学を聞かれ、私が大学を出ていないことを言ったとき、水を打ったようにしんと静まり返って、気まずそうに顔を伏せた男たちよ、あなたたちは一生、どうか一つも言葉を間違えないで生きてください。私はあの軽蔑を忘れません。「いまどきこんな人間がいるのか」という目を決して忘れません。

ばーか、ばーか。

某所にて

2020-11-14

壁に大きな写真が十数枚展示されている。有名な渓流の写真だ。写真の撮り方もいたって普通、印画紙はだらしなく波打っている。近づいて見ればほとんどピントはずれでカラーノイズも汚く、圧倒的に解像度が足りていないことがわかる。安っぽくツルツルした印画紙、プリントも下手すぎる。どうして田舎のカメラ好きおじさんはこんなものを恥ずかしげもなく展示できるのだろう。

意識が低すぎる。写真やめてくれないかな。せめて展示をやめてほしい。こんなにいい場所で、恥ずかしい。

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カーテンと女の下着と秋の空、ときどきナプキン

2020-11-04

部屋のカーテンを探してもうずいぶん経つのだけど一向に見つからない。ヨーロッパのヴィンテージを扱うお店を教えてもらって、わ〜!商品が大量にある〜♪と思ったらほとんどがすでにSOLD OUTだった。買えるのは10種類ぐらいしかない。10種類の中に私がいいなと思うものはなかったし、このご時世だから新たに買い付けにも行けないんだろうね、マメにのぞいているけれど新商品もなさそう。

ほかのショップも似たようなもので、良さそうなのはすべてとっくに売り切れている。メルカリもさんざん。いいのがない。あっても一枚分しかない。一枚分買ってどうしろと。窓の半分しか覆えない。マリメッコやモリスなどは悪くはないけれど私のイメージとは合わない。日本のメーカーやカーテンを多数取り扱うサイトなどを見ても、なんでこんなにあるのに一個もないんだろう…と絶望的な気持ちになった。

ちょっとおしゃれっぽいサイトを見ても、作られた北欧風、昭和レトロ、ヴィンテージ風、そんなものばかり。うそ、おおげさ、まぎらわしい。そしてダサい。

ふつうに東京行って、たっか〜いインテリアショップに行けばいいんだと思う。けど今気軽に行ける感じじゃないし、実際に行ったとして「たっか〜い」と言って何も買わずに帰ってくる可能性大だよ。

なんかさ、本当にさ、私は妥協しないで生きられた試しがないよ。お金があればいいってわけでもないんだよな。無いものは無い。小さい頃から、本当に自分の気に入るものなんてなくて、妥協妥協妥協妥協で来てしまって(4回繰り返したくもなるわ)、なんかもう諦めすぎて、何が欲しいのかもわからなくなっちゃったよね。探し続けるしかないんだけどさ。

私のような人こそ「ないものは作ればいい!」(キリッ)って、作る人になればいいんだと思うよ。だけどこの体たらく。やる気は全く無いのであった。作る気はない。カーテンをテキスタイルから作るのなんて超超超めんどくさい。ゴブラン織りなんかもいいよね、でもそういうのどうすればいいのか考えるのすらめんどくさい。

だからさー

いい感じのやつ作って売っといてよ!!! 買うから!!!

と思うわけです。なんでこの世にこんなに大量〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜にカーテンが売られているのに、私が欲しいと思えるカーテンがないんですか????? どうなってるんですか!?!?!?!

あ、怒ってたらカーテンと関係ないこと思い出しちゃった、話題変わるけど書く。

ねえ下着!女の下着!

なんか今でこそシンプルでフラットな下着が出てきてるけど、一昔前は、というか私が若かった頃は、寄せて上げるだとか、レースがぴらぴら付いてたり、真ん中にリボンがついてたり、妙にいやらしかったり、色が可愛くなかったり、ワイヤーがしっかり入っていたり、分厚いパッドが入っていたり(即取る)。とにかく付け心地最悪、外せば「ハァ〜〜!」と開放感、そんなブラジャーばかりでしたよ。外すために着ける、っていう意味わかんない感じになっていたよね。当時の下着のCM集でも見ればわかると思うけど、とにもかくにも男目線を意識した下着が多すぎました。男ウケしてなんぼ。谷間見せつけてなんぼ。嫌だったな〜。いやらしくない下着っていうのもあったけど、それはもうスポーツブラとかTシャツブラ、カルバンクライン、ポップで派手な色柄物、おばちゃん用のくすんだピンクベージュのフルカップ…ぐらいだったよね。ナチュラル系のオーガニックコットンだとかスーピマ綿だとか肌触りがよくて寄せも上げもしないモテ無視の下着もそれなりにあったけど、それはもうね、なんていうか…白か生成りぐらいしかなくてパンツもデカパンだし、優しいけどフィット感はなくて、男目線をなるべく排除したいとは思いますが、あのう、そこまで行かれましても…という振り切ったのが多かったんですよね。自分がリラックスするためのものとしては良かったんだけど、全部それというわけにもいかないし。そうかと言ってセレブやモデル御用達の海外の高級下着はどうかというと、ほどよくエロくて生地上質でスルンとしてて仕立てもデザインも素敵だけれどバカみてぇに高いし微妙にサイズが合わない。あと無駄に透けてる!透けてるとこが多い!そこヒモなの!?とか。思い切って買ったところで普段使いできないし、たくさん持てればまだ良かったのだろうけどそうもいかず、レギュラーメンバーの中で浮きまくって結局タンスの肥やしになり、数年後泣きながら捨てることになるという、ね。

はぁ。。

もう、もう、もう! 「ちょうどいいな」っていうのが全然なかったよね!ないけどなんとかするしかなくて、ウンナナクールやツモリチサトに逃避できるうちはまあいいけど、年齢がそれを許さなくなってくると、さあどうしたもんかいのう状態でしたわ。

なんか本当にちょうどいいのがなかった。無いからその中でどうにか妥協するしかなかった。かわいいけれど着心地が悪くて少々子供っぽいなあというものを「着心地が悪くて少々子供っぽいなあ」と思いながら着用するしかなかった。レース邪魔だなあ縫い目痛いなあと思いながら我慢していた。こんなの全然好きじゃないな〜っていうものを、素肌の上にまとっていたのだった。

悲劇じゃん!!巣鴨の赤い下着のほうがまだマシだったかもね!!

だんだん世界的にちょうどよさげなやつが出てきたのってほんとここ数年って感覚なんだけど。子供っぽくもなくセクシーすぎもせずちょうどいい、シンプルだけどおしゃれっぽい、それでいて着心地も肌触りもよくて締め付けない、っていうやつ。価格も安すぎず高すぎず。おばちゃんは泣いています。若い頃の自分に着せてあげたかったよ。

時代もあるんだろうね。それはわかる。私たちは男性の目を意識させられていたんだ、ずっと。意識しなければいけないと思わされていたんだ。下乳にワイヤーのあとくっきりつけて、私たちはどんな未来を描いていたのかな。

外すための下着。そんなもんクソだったね。あらやだ、怒ると口が悪くなっていけませんわね。おほほ。

怒りついでにもう一個。

生理用品。ちょっと前、無印○品がシンプルなやつ出して話題になってたけど、そういうのもさあ、遅ぇぇぇぇぇぇぇぇよ!!ってなりませんでした?? 逆になんで今!?って感じだった。それで、中身がアレでしょー?? アレだよ!? いつの時代??? 機能的にもっといいものにできなかったんでしょうか。見た目問題はどうにでもなるやん、パッケージなんだからさ。それをシンプルにする流れはいいと思うし(私はあの感じ好きじゃないけど)、でもそれやるなら今までの流れのキラキラしたやつも残しといてほしいわけですよ(私はその感じも好きじゃないけど)。地味/派手両極じゃなくて中くらいのもあってほしい。いろんなのがあって選べる時代がいいわけじゃん。で、私はね、まずは中身が大事だと思ってるんですよ! 中身あってのパッケージなの! 中身の機能性あってのシンプルなパッケージなんですよ! わかりますか? わかってください!!!

中身がポンコツでパッケージがいい商品なんて目も当てられないんですよ! 天然素材で肌触りがよくてなおかつ機能的であってほしいんですよ! それでちょっと割高になってもいいのよ! 無理なお願いなんですかね! できませんかね!!!

血圧上がってるわ絶対

(布ナプキン、タンポン、カップ等については、私が異常なほど血で手が汚れるのが嫌いなのと異物挿入が苦手なので選択肢としては無しです)

なんか、ずーっと我慢してたのかもね。欲しいものがなさすぎて。こういう人が新商品開発チームに入ればいいんだと思うよ。ごめんね、そういう職業選択しなくて。

いや、でもね、こんなのは私だけなのか、とも思っていたわけですよ。世の中にこんなにたくさん商品があるのに私の気に入るものが見つからないということは、私がこんなものを求めていることが異常なのだろうか…とうつむいてしまっていた。もっとガッツがあったらよかったね。若い頃にもっとガッツがあって、まっすぐで、図々しかったら、声を上げて開発できたかもしれない。なんか、ごめんね、みんな。

ふぅ

いい時代になったよ。いい時代だよ!

コロナで大変なんていってる暇ないよ。下向いてる場合じゃないよ。激動だよ。世の中どんどんよくなってるじゃん。ほんとだよ。みんな気づいたほうがいいよ。ずっと楽になってるし、もっと楽になっていくよ。

ただ、カーテン業界もうちょっと頑張ってください!!!

私が欲しいと思えて30万とかしないやつ!お願いします!! 作れないなら海外から見つけてきてください!!

黄色っぽいオレンジっぽい暖色系の柄物のカーテンを探しています。 60〜70年代ぐらいのモダンなデザインで幾何学模様や木か花のモチーフを希望!ぺらぺらしてなくてある程度厚みのあるやつ! 私があきらめてウッドブラインドとか買っちゃう前に、どうにかうまく見つかりますように!!