日記

2020-09-06

私の写真には人間がほとんど写らないわけだけど、それはつまり私の世界に人間がいない、ということかもしれず。

ゼミの先生に言われたことは、「あなたが撮ると生き物が作り物のように見えてくるし、人形や作り物が逆に生き生きとして見える」のだと。

生命を持つものの生命が消え、生命を持たないものに生命が宿る。

ちょっと怖いね。宇宙から来て初めて地球に降り立った人が撮った記念写真のようだ、とも言われた。そう言い表せる先生がすごいよね。でも面白いでしょ、宇宙人目線なんだって。地球人じゃないらしいよ、私。

なんで急にこんなことを書いているかというと、また飲酒して酔っているわけなのですが、この、骨格だけが立ち現れる感じ、やめられないですね。こんなヤワなレモンサワー一杯でこういう状態になれるのほんと特技としか言いようがないよね、飲んべえの人には鼻で笑われそうだけど。

飲酒の話はもういいゼ

宇宙人目線って言われてなんかドキっとしたし、ちょっとわかるなと思ってしまったことも事実。どうも私は地球を知り尽くしてる感じではないんだよね。初めてではないけどまだ浅い感じ。だっていちいち感動するし驚くし珍しいなと思って見てしまう。古い慣習を守ることに懐疑的ですぐ「はぁ?」って思うし、どんな変化も楽しみでしかないし。輪廻転生というものがある前提で書くけど、自分は何度も地球に生まれて地球人やってる人ではなさそうだ、という感じはする。あ、これ酔ってるから書いてるわけじゃないんです。この考えというか「そうだろうな」という思いは昔からあるので。だって私たちが初めてここに生まれたって仮定したらおかしなことばかりじゃない?死んだらすべてが終わりだとしたら説明できないことだらけだと思うんですけど。

そもそも、私がまだ幼稚園にも行ってない3歳ぐらいの記憶なんですけど、前世の記憶っていうか「あ、またこういう世界に来ちゃたんだな」みたいな、「あ、また生まれちゃった」みたいな、そういう感覚になったことを覚えていて。親がどっか出かけてて私ひとり家にいて、居間のソファでうたたねしてしまって、ぼんやり目を開けた時、テレビや戸棚や天井の境目などがくっきり生々しく見えてきて、ああ「物」が見える、色が見える、形が見える、私はまたこの世界に来てしまったんだなと、まるで成人男性が思うような思い方で、落胆のような諦めのような、ちょっとだけ嬉しいような奇妙な気持ちがしたことを覚えていて。なんせ3歳ぐらいって語彙も貧弱だし言語化がうまくいってないんで、3歳当時の思い方ではもちろんないんですけど、たびたびこの出来事を忘れずに思い出しているので、今こうしてあの時の映像を思い出しながら言語化できているわけです。そのぐらい、子供心にも奇妙な感覚だったので。

しかしさあ、地球ってヤバくない? こんなきれいなとこ他にある? すごいとこに住んでるんだなっていう実感がすごいよ私は。

そういう自然の風景写真が増えてきましたね。コロナの影響であんまり遠出できないから地元を撮るしかないんだけど、このことが何か私に「ここを撮らないでどうすんだよ」というメッセージを伝えているような気がして、生まれ育った場所を見直していくことがライフワークにならざるを得ないというか、顕在意識としては都会の街を撮りたいと切望していながら、潜在意識では自分のルーツと向き合いたいのかなって。ルーツっていうのは青森のことじゃなくて、なんていうか、生命のルーツみたいな…。最近の私の写真は、街歩きして面白い看板撮るとかいい感じの喫茶店撮るとかそういうのとは全くチャンネルが違う気がしている。

もっと根源的なところにたどり着きたい。表層ではなく。もっと血なまぐさくて叫び出したいような身を切られるような恐れおののくような震えが止まらないような。

だとしたら私にはもっと強い覚悟が必要だ。それにはまだ正直恐ろしいと思う自分もいる。恐ろしいけれども、私はいずれそこにたどり着く気もしている。添加物やお砂糖や人工着色料もりもりのSNS映え写真はもう全然見てない。ただの毒だと気づいた。じゃあお前の写真はなんなんだよと思うけど、決定的に違うのはやっぱり過剰に手を加えないことでしょうか。自分の見たいようには改竄しない。ただあるように撮りたい。(カメラの性能も良くなっているし、よほどテーマに独自性がなければみんな一緒の写真になってしまうから現像で個性を出すよりほかない、という言い分もある程度は理解している)別にストレートフォトがいいとか悪いって話じゃなく、単に私は嘘が嫌いなんです。なので、ぼけぼけSNS写真とかそういううわべだけの世界に背を向けて私は己と世界と写真を深く掘り下げていきたい。焦る必要はない。時間をかけたっていい。写真とはそういうものだから。

実は新しいカメラをまだ買えていない。これ!というのが見つからないのだ。ほぼ丸腰状態の今だからこそ、撮れる写真が少しずつ変わってきたということはある。今まで目を背けていたものにレンズを向ける時なのかもしれない。新たにどんなカメラで、どんなレンズを向けるのか。どうもデジタルじゃない気がしていて、デジタルカメラを選ぶ気持ちに全くなれない。逆に興味があるのは中判とコンパクトフィルムカメラの二台使い。フィルムと現像代に関してはあまり苦痛と思っていないところがある。かえってデジタルのフルサイズ機なんか買っちゃったらデータ重いし管理も面倒だし「撮れすぎちゃう」し、うーん…と気が重い。どうしたもんかいのう。

日記

2020-09-06

わたしたちは混ざり合って世界をつくっている。ともに世界をつくる者たちである。悲観しすぎると悲しい世界が出来上がる。いろんな人が居ていいはずなのに、一色に染まってしまったら世界はもう終わりではないのか。

それとも…

酔いどれ日記

2020-08-30

こういうタイトルで書くようになったらもう終わりじゃないのかね。

まあ再三言っているとおり、私の家族はほぼ下戸で、その遺伝子を引き継ぐ者として私も下戸に毛が生えたようなものだったわけですが、新型コロナの影響で(もはや関係ない気もするが)350mlのレモンサワー一本を週に1回飲む、という習慣ができてしまい、今や回数は増えて週に二回、当初はアルコール度数5%のレモンサワーでへべれけになっていたものが7%でも物足りなくなっているという大丈夫かよ案件なのでありまして、いえね、今も飲んでるんですナイショだよ。

はあ〜

いつもドラッグストアで酒を買うのですが(安いから)、最近では廃人御用達のストロングゼロのロング缶なんか眺め出す始末で、誰か私を止めてほしいです。7%に物足りなさを感じ始めた人が手を出すのは9%です。そこにはうっすら「あかんやろの壁」が存在するのですが、私はもうそれを自制できる自信がありません。

飲酒のなにがいいんでしょうね。なにもかもいいですね。なぜ私は、酒が弱い人は甘〜いお酒をのまなければいけないと思い込んでいたのでしょうか。甘い酒なんて塩っ辛いつまみに合わないじゃないですか。私は自称下戸のくせに酒のアテが大好きで、これをつまみに思う存分酒が飲める人は幸せだなあと思っていました。でもほとんど下戸だから甘〜くてヤワな酒を飲むしかないのだと思い込んでいた。

損してたな〜〜損正義だよ!(酔ってる)

甘いお酒なんてぜんぜん好きじゃなかったな〜って気づくの遅すぎ。甘くないレモンサワーを選んで飲んでいる。こういうのでよかったんじゃん。早く教えてよ。

今では自分でロックアイスを作り、つまみはチーズとクラッカー。私はね、クラッカーが大好きなんですよ。春日井のグリーン豆なんかあったら最高だね。この辺じゃドラッグアサヒでしか取り扱ってないから買いだめしておかないとね。

はあ〜

さっき言い忘れたけど、飲酒の何がいいかというと、ものの本質が見えてきて、日頃考えていることがクリアになることです!クリアになっている気にさせられているだけでしょうか。いいえケフィアです。宇宙とつながれるんです。そこに飛ばした思いがまっすぐに、何一つ飾り気のないストレートな言葉になって降りてくる。そういう感じがするのです。

なぜか若い頃にめっちゃ聴いてた音楽聴きたくなりますね。あとクラブで夜通し踊りたくなるし、夜の散歩しながら爆笑したくなる。

20代前半のまあ、青春でしょうなあ、そういう時期にしていたことをしたくなる。もうすっかりおばさんだけど、飲酒するとそういうことがしたい。西麻布のクラブで遊び倒してラーメン食べてグダグダになって始発めがけて渋谷まで歩いて帰ろうってヘラヘラしながら歩いて帰ったこと、あの夜、あの朝。そういうこと、あきれるぐらい沢山したらよかった。あんなバカみたいな時代はもう二度とないんだから。

こんなノスタルジー浸るようじゃもう私も終わりよ。

アベソーリやめたって誰がジキソーリになったってまあまあ世界は変わらないだろうし変わらなさと付き合っていかなきゃいけないんだけど、わたしたち一人一人が世界であり、わたしたち一人一人がマジでやりたいことやって好きなことを好きと言って、好きな人と楽しいこといっぱいして、人にやさしくして、金めっちゃ稼いで、一人で生きていける力を持つことはもちろん、人に与えてもお釣りがくるくらい、ヨユーで生きられるようになんなきゃいけない。っていうかなれるし、なるし!なろうぜ! 国とかあてにしないでも私たちでやっていけるんだってこと、オワコンな人たちは無視して私たちは私たちの軽くて気持ちいい世界を作っていけるんだってこと!

なんだかんだ、私はコロナ後の世界がとても楽しみなんだよ。

泣きそう

たぶん収束っていうのはないと思う。形を変えたいろんなコロナが何年も残ると思う。だけど、私たちは大丈夫なんだ。そんなにアホじゃないしヤワじゃない。私たち以外のオワコンどもが割と大変なことになるだろうけど、そのとばっちりみたいなことが私たちのところにも来るかもしれないけれど、大丈夫なんだよ、私たちは全然大丈夫。枠組みを超えていこう。大丈夫だから。食う分なんてどうにでもなるから。助け合ったら楽勝だから。

酒やめたほうがいいかな笑

こういうのなに?チャネリング?

死者すら引き出していける。過去も未来もない。今すべてがある。やべえ、こういうの懐かしいな。

わかる人だけ読んでよ。こっちは酔ってるし。んで泣いてる。外は雨がけっこう強めに降ってる。こんなんなっても、私がタイプミスを許さないのが笑える。さっきからタイプミスばっかしてるけど(酔ってるから)それをいちいち直してる。えらいね。なんなんだろうね。タイプミスってのは和製英語だけどね。

親とはどんどん話が合わなくなっていくだろうと思う。価値観が違いすぎる。言っちゃ悪いけど、彼らはもうすぐいなくなる人たちだ。世界が明らかに変わる前に彼らは死ぬだろう。新しい世界を見ることはないだろうと思う。だから私は「違うなあ」と思いながら、それを訂正しないし、新しい世界の法則を彼らには決して教えない。知らないまんま死んだ方がきっと楽だと思うから。

70代で価値観変えさせられるのキビシイっしょ。今まで信じて守ってきたものが全部嘘だったなんて信じたくないでしょ。だから私は教えない。それが優しさだと思ってる。

なに言ってんだろね。

これさー、マジでこのことを知ってる人だけがウンウンうなずく案件だと思う。

今日なんか父がテキトーにザッピングしてるテレビの断片的な情報が、すべて「私に向けられたものだ!」みたいに思えることがあって、父が見ているというよりは私に見せられているという気がして、切り替わるいくつもの情報を全部キャッチしたよね。

固い氷から生命は生まれない、何も混ざらない。だけど、あたたかい液体にはいろいろなものが混ざり合い、そこから新しい生命がうまれる、のだと。学者が言っていて、私にはその話がすごく腑に落ちて、複合的な意味で理解できて、面白かった。

もうすぐ誕生日なんですよ。

「わたしは一人じゃない」という言葉がビビビっと降りてくる。みんなと一緒だよ💛 という意味ではまったくない。私は「一人」ではない。一人どころか何人もいるのだ、という意味である。

統合された一人の人間がいて、全てをコントロールしているなんて嘘だろと思っている。私にはいくつもの人格があるだろ!という気がして、SNSも別アカたくさんある人いるけど、あれが普通だよなあと思う。で、立ち上げられていない私の人格を立ち上げたっていいんだよなあと思うに至り。長いこと眠っていたコラージュ人格を起こしたり、音楽だって好きだったはずなのに一方的に聴くばかりでプレイしていないこととか、眠らせておくのかわいそうになってきて(それって死んでるのと同じじゃんね)フライパンがんがん叩いて起こそうかなって思ってる。

なんの話だっけ

えらいひとに気つかう必要もう全然ないっすよ。忖度とかマジいらねっすよ。政治家もお役所も弱体化しますよ。いろんな意味で戦争はあるかもしんない。壊れないと生まれないことがあるから。

スピってないですよ

わたしは自分でもびっくりするぐらい正気なんです。今は酔ってるけど基本シラフだし。ずっとシラフで生きてきた。

でもさあ、ほどよく飲酒してわかったことは、飲酒によってはずれるストッパーもあって、むき出しの感覚を高速処理したくなって、今ほとんどオートなんだけど、オートなんだよね、放っといても私はタイプし続けられる。めっちゃ速いんですよミスも多いけど直すのも高速だからあんまり影響ない。飲酒によって何か別の生命体や宇宙や時間軸と交信しているのかもしれないが、それはわからない。別にスピりたいわけじゃないんだけど、飲酒によって開く扉があったってことかもしれない。回路。

回路についても最近考える。一度開かれてしまった回路はなかなか閉じられない。

あー台湾料理食いてえ

40すぎてこんな感じになるとは考えもしなかったな。なにも成してないので落ち着く気配もない。総括する仕事がない。これで年下にナメられようが仕方がない。そういう生き方してきたし、一回休んだし。生き直してる感じがあるので、今まだ16歳ぐらいなんすよ。

16歳としてわかることといえば、死なないほうがいいってことですかね。死神のお迎えが来るまで死なないほうがいいっすよ。

でも私は死んだ人たちを責めないよ。彼らは暗い世界でさまよい続けるのだ、とも思わない。心地いい明るい部屋でくつろいでると思っている。そういうイメージを私は持ち続ける。彼らは好きな本を読み、好きなお酒や食べものを食べ、好きな映画を高画質大画面でいつでも見られる。誰がなんと言おうと、私の世界では彼らはそういうことになっているのだから、それでいい。

一人一人の思いが世界を作っている。不安や恐怖は生まれやすいけれど、広げてはいけない。安心な僕らは旅に出ようぜ。誰だって幸せになれる。みんなが安心して幸せに生きられる世界だってありえるのに、どうして私たちはお互いの違いを見つけ、強調し、恐れ、妬み、敵対するのだろう。

あれ、あったかいお湯の中で異分子が溶け合って新たな生命が生まれる…??

温泉最強じゃない!?

オチそれかよ

酒やめます…

一行

2020-08-09

あなた自身の不安感があなたに良くない出来事をもたらしているとしたら?

水星と土星でかんぱいだ

2020-07-29

コロナ以前にはなかった飲酒習慣ができあがってしまい、5%のレモンサワー一杯だけとはいえ週に二度の飲酒日がしっかりと守られつつある。

今も飲んでる。(飲酒日は水曜と土曜なのだ)(私がそう決めた)

巣ごもりで太る人が急増というニュースもすでに下火、むしろさまざまなダンスやトレーニングでダイエットを成功させている人の方が多いだろうに、飲酒習慣が後押ししてわたしは着々と太っている。

たすけて〜〜

「飲まなきゃやってられない」という人の気持ちが真の意味ではわからなかったが、たった5%のレモンサワー一杯でそのことがわかりつつもある。深酒できない体質だったことは本当によかったが、レモンサワー一杯が永遠にやめられない人というのもどうなのだろう。

と書いていたら、iPhoneの中のGreat3が「あとは野となれ山となれどうなってもいい」と歌った!

Great3『MAY AND DECEMBER』より「Bee」

追記:檸檬堂とかふつうのレモンサワーでいいのでアールグレイのポーション入れるとめちゃくちゃうまいです。レモンティーサワーです。

日記

2020-07-24

カメラが壊れた話は以前ここに書いたかと思うんですけど、今度は写真のデータを保管していたHDDが壊れまして。といいつつあんまり慌ててもいないんですけど。クラウドにデータが全部あるのでいつでも引っ張ってこれる。でもまあ、ちょっとは驚くよね普通。私は「そっか〜」という感じでしかなかったけど。ずいぶん前のことだけど、何年分かの写真のデータをまるまる「完全に」なくしたことがあるので、それに比べたらこんなの「そっか〜」ぐらいなもんです。

こういう、立て続けに何かが壊れる時って、変化の時だなんてスピ的によく言われてますけど、あ、ここでちょっと言っておきたいのは、私はスピリチュアルでも占いでもDaigoさんのYoutubeでも未来人の言うことでもなんでも、「自分に必要で、自分がそうだと思ったこと」だけを信じたり活用しているので、全面的に肯定とか心酔とか信奉とかそういうことはないです。昔からそうです。だから私は無宗教で、どこにも属さないし属せない。

さて。立て続けに何かが壊れる時、でしたね。そういう時は大きな変化の前ぶれ、みたいに結構言われがちなんですけど、私もまあそうだろうなとは思うんですけど、同時に「うるせーな」とも思っていて。そうなんですこの感じ、「うるせーな」が最近高まってきています。不良学生がババア(母親)に向かって言うやつです、「わかってるわ、うっせーな!」。すっこんでろババア。あ、これは余計でした。

今に始まったことじゃないけど例えば時計のゾロ目を一日に何度も見るとか、歩いてるとやたら猫に気がつくとか(一緒に歩いている人は全く気がつかない)、あるニッチなものについて考えながらインスタ開いたらその写真が一番上にきていたりとか、食べたいと思ったものが次の食卓に出てくるとか、そういうの全部、ハイハイ、現象化ね、ハイハイ、予兆前兆偶然必然運命ですね、ハイハイ、と思いつつ、うるせーんだよ!と言いたいムードに私の中でなってきている。

偶然が必然であることも、すべてのこと(って言っちゃっていいのかよと思いつつ)に意味があることも、未来に向かって現在を積み重ねているのではなく、自分の地点は変わらずに流れてくる未来を浴びて必要なものを受け取ったり流れてくる出来事や出会う人に対する自分の反応や行動を変えることでレベルが上がったり下がったりしているだけだったり(時間についてはまだスッキリと言い表せてなくてスマン)、「なんかいやなかんじ」はめちゃくちゃ信用できるとか、わかってない人と話すと一瞬でわかってないことがわかるとか、一つクリアすることでそれまで閉ざされていたドアが開いたり新アイテムや人が未来に配置されるようになることとか、だけどだいたいのことは割ともう決まっていることや、遺伝子って強ぇなということとか、そういうもろもろが、

わかってるわ、うっせーな!!

なんですよ。わかっちゃうとわからない頃には戻れなくて、私はそのことに21歳の頃から助けられつつ苦しんでもきたわけで。わかってるくせにわからないふりをして10年ぐらい生きちゃったりもしたんですけど、もう今や、わかってるけどうるせーわ!という不良学生の感じになりつつある。

この日記もさ、どうしようかなって思ってこういうこと書いてるわけなんです。今までのように東京を歩くこともできないし、何かを見て感想を書いたり、喫茶店に行って写真撮って文章書いたところで他にちゃんとやってる人たくさんいて、私などがやったところで…という気持ちがずっとある。ためになることも書けないし、三浦春馬は死んじゃうし、写真のことにしても「私は今まで何を撮ってきたんだろう」というムードになって一区切り感が出てきた 。カメラが壊れ、東京にもいけず、データは飛んだ(クラウドにあるけど)。これまでのやり方ではダメだ、本当に重要なことは何か、もっと考えろ、テーマを見つけろ、ということなのはわかる。テーマ以前の形のないものが浮遊している感覚もわかる。わかるけどうるせーな、という気持ち。間に合わない中で新しいzineも作った。新しいといっても従来のやり方で、だ。友達は面白いと言ってくれたけど、自分では「大丈夫かな」でしかない。

ほんとはなんにもやりたくないんだろうね。何かしなきゃって焦るのほんと無駄。やる気になれるまでのんびり待てたらいいんだろうけど、そうすると何もやらずに死ぬ可能性が出てくる。コロナ禍でそれなりに不安にもなり、慌てたし、「これは新しい世界へ行くためのなんちゃらだ」みたいにアホみたいなこと私もこの日記でほざいちゃったけど(私はほんとそういうとこあるよ)、そんなにすぐ世界が変わるなんてことはなくて、まずは膿出しが先で、驚いた人も多いと思うけど、すまんけど、私は「いや、ずっとそうだったやん」としか思わなくて、「いや、ずっと腐ってましたやん」っていう部分がどんどこどんどこ出てきて、そのことには割と安心している。信じてた人はパニくったり怒り出すかもしんないけど。

こうやって上からわかったようなこと言う人やだよね。私もやだ。でも今こういうことしか書けないかも。上から言ってるつもりもない。ただみんな忘れてるだけか、知ってるのに知らないふりしてるだけだから。上とか下とかじゃないんだよ全然。やわらかく広がるか、硬くちぢこまるか、でしかない。どれだけ広がっていてどれだけ閉じているかの割合がその人の個性だ。これからどんどん嘘のない、意識の世界になっていく気がしてる。物理的に離れなくてはいけないから、意識は距離を感じない方に進むと思う。もうほとんどなってるけどね。遠くにいながら近づいていく。近いもの同士と出会い、自然とくっつく。言わなくても通じるようになる。ぐへぇ…すいませんね。こういうこと書き出すと私はタイピングが爆速になります。タイピング速度ならまだよくて、こういう話ができる人はそんなにいないけど、昔、話してみたことがあって、その時酸欠になりました。息が上がっちゃう。話したいことに、口が追いつかないんですよ。それくらい、こういうことの情報量は多く意味が広い。そのくせそれを単純な言葉でしか表現できないので(意味が限定的じゃないから)酸素が不足する。ハァハァ。

こういう話についてこれる人があんまりいないことも知ってるし、興味を持って近づいてくる人に私がいくら「あなたと私は同じものだ」「神がいるとするならば私もあなたも神なのだ」と説明したところで相手は必死で抵抗するだろうし会話はほぼ平行線で、そのうちマジの喧嘩になる。過去そんなふうにして何人かが私の前から消えていったわけなので、「はじめまして!私、その話よくわかります!実は最近こんなことがあって…」とか長〜〜いDMもらっても迷惑だから送ってこないでくださいね。どうせ決裂するので。

ふう。

コロナで「なんかしなきゃ」と焦って毎日望遠ズームレンズで写真撮ったりいろいろ写真あげたりしてたの何だったのかなと思うほどには今わたしは「無」である。真面目な人は死んじゃうしさあ。完璧はこわいよ。足りないから完璧になろうとか思わなくていいよ。だって私たちってそもそも、足りないまんまで完全で、それだけでもうじゅうぶん足りてるんだから。

ではここで、撮れなかった稲妻をみてください。

こういうのさあ、動画で撮りゃいいって話じゃん? これ撮ってる時そういう考えゼロだったんだよね。高感度耐性強いわけでもない昔のデジタル一眼でさあ、手持ちでさあ、暗闇なんてどこにもピント合わないのにあてずっぽうでさあ、どこに稲妻くるかもわかんないのにカメラ構えて、動かないように身固くしてさ。ピカって光って連写したってだいたい間に合わなくてさ。もういいや、あきらめようって飲酒し始めたらバリバリバリ!ってでっかい稲妻走ってさあ。撮れないんだ、ぜんぜん。でも目や記憶には焼き付いてて、それでいいって思ってる。

私のそういうとこ、私は好きだよ。

日記

2020-07-04

コロナ後、個人的に何か変わったかというと、まあ私は普通に仕事行ってたんで「巣ごもり消費」みたいなのあんまり関係ないはずなのに、写真集けっこう買っちゃったね。私の欲しいものって、写真集なんだなあと。

先が見えない不安な状況下で私が手に入れたいものって洋服でもコスメでもおいしい食べ物でもなくて写真集なんだなって。そうなんだ〜って気づいて軽く衝撃を受けたよ。

こないだ美容院へ行ったとき、美容師さんが「昨日ね〜、通帳に3000万振り込まれる夢見てさ〜」と話し出したんで、「もし本当に振り込まれたらどうします〜?」って聞いてみたら「ん〜〜〜(長い沈黙)思い切って、化粧品SK-IIフルで揃えちゃおっかな!」って言ってて、小っさ!夢小っさ!って大笑いしたんだけど、案外そんなものっていうか、使っていいお金があったとして、ちょっと贅沢な化粧品買うとか高級なレストラン行くとかそんぐらいかもなあって。まあそのあと美容師さん、家の裏にデッキ作ってバーベキューできるようにしたいなあと健全な夢語り出したけどね。って、いやいや。それも今すぐ叶えられそうな夢じゃん!ホームセンターで資材買ってきいてDIYしたらすぐできちゃう。欲のない人だ。

私だったらどうするかな〜って考えて、3000万もいらないけど、1000万ぐらいで欲しい写真集を山ほど買って小さな書店開きたいなあって。写真図書館でもいい。

私は写真好きだけど、写真って実はまだちゃんと「文化」として根付いていないんじゃないか、ということがだんだん見えてきて。日本は特にそう。誰も写真に関心がないっていうか、意識して見てるわけじゃないんだなあって。だって写真集も写真も売れてないでしょ。部屋に写真飾ってる人どれぐらいいるのかな。(私は自分の写真と、過去に購入した写真を飾ってる。気にいるものがあればもっと購入したい)

結局、型通りで派手でわかりやすい写真がウケるし、ノスタルジックでポエティックで爽やかで儚げでオシャレな雰囲気写真が映える。でもSNS等ネット上でそういう写真を見て喜んでる人でも写真集まで買う人なんてごくわずかでしょ。結局「そこまでじゃない」人が大多数。(ネット上の写真はバックライトに照らされているわけで、それが紙に印刷された時に同じような良さを発揮できるか?っていう問題もある)

写真系YouTubeなんか見ていても、視聴者の質問のレベルが低すぎて驚いてしまう。こんなの、レベルの低い私に言わせないでよと思う。おすすめの写真集を紹介するある動画を見た人たちが「どこがいいのかわかりません」とか「素人の写真とどう違うんですか」とか言ってて、嘘だろ…と。「わかる/わからない」問題って写真に限らずアートとかいろんなものにまとわりついてくると思うんだけど、わかんないやつはお前のわからなさとちゃんと向き合えよ!と思ってしまう。誰かの解説聞いてわかったような顔すんじゃねぇよと。ていうか、わからないことって別に悪いことじゃないし。わからない自分にイライラするかもしれないけど、安易に誰かの「正解」求めるよりも、それを抱えて生きていったほうが絶対おもしろいよ。わかる瞬間くるかもしれないし。そうやって「わかる」ことのほうがずっといいはずだよ。

こういう写真系のYouTubeチャンネルを見る人たちって、ある程度写真的な意識が高い人だったり自分も写真やってる人なんだろうと思うけど、そういう人たちでさえこんなに見る目がないんだなあって思って私はがっかりしたし、やっぱり文化として全然生きてないじゃんって思ったよ。富士山や花や野鳥なんかを撮ったきれいなだけの写真を仲間内でいいねと言い合って満足している人たちなのかな。(皮肉です)

それに答える写真家おじさん(私はこの方をYoutubeで知りました)も写真を「うまい/へた」でしか言ってなくて、この写真を撮った作家がどういう人で、どういう意図で編まれた写真集なのか、写っている場所や人がどこで誰なのか、などの掘り下げが全然なく、「僕はこんなふうに理解している」というのをただ発表したいだけなんだろうなと思って脱力した。後日、作家本人を呼んで対話している動画も上がったけれど、終始ふわふわした「うまい/へた」の話で、本人呼んでるのになんか中身がうすいしやっぱり「僕」が終始えらそうで、話がつまんなくて、もうこのチャンネル見るのやめよう…ってなりました。いい作家さんだしいい写真集なのになんか気の毒になっちゃった。

(どうしても文句が多くなってしまうね)

…っていうここまでを書いたのは一週間ほど前でした。

昨日、また飲酒したんですけど(ご心配なく、たいした量ではありません)、好きな写真集を読みながら飲むぜぇ〜!っていうのをやりました。これが、なんていうか、ぐいっと写真集の中に没入できてヤバかったです。ふだん無意識的に自分にリミット設けてたりストップかけちゃってると思うんですけど、飲酒によってそれらの力が弱まり、撮った人のテンションで風景に入り込めるっていう不思議な感じになれた。もともと感情移入ってあんまり好きじゃないけど、「なんかわかる気がする」ってなった。ステートメントとか解説が全くついてない写真集もあったけど、じっくり見てたら流れとか背景が浮き出てくる感覚があってよかった。まあ酔ってるから幻想かもしんないけど。あと、酔っ払うと動作が荒くなりがちなので酒量と本の取り扱いには注意ですね。でもこれまたやりたい、写真集飲み。

ここ2年ぐらい酷使してきたミラーレス機が壊れた話ってここでしましたっけ?(誰に聞いてんの私は)壊れたんですよ。壊れて、以前使ってた重たいNikonのデジタル一眼(に重たいレンズついてるやつ)使ってるんですけど、気軽さで言ったら全然ダメなんで、撮る頻度は確実に減りました。でも次のカメラを買うのをあんまり急ぎたくないっていうか、あ…カメラ壊れて新しいの買わなきゃ的な日記、ちょっと前ここに書いてましたね、すいません今思い出しました(誰に詫びてんの私は)。んで、なんだっけな、そうそう次買うのをちょっと待ちたいっていうか、そもそも私は「どれで、なにを撮るわけ?」っていうのがグラグラで、これからどうすんの?何撮る気?っていうのをはっきりさせないと、カメラも選べないわけですよ。今までは目についたものを好きなように撮ってきただけで、まとまりもないしコンセプトもないし組む力もないし、大きく伸ばしてプリントしたいと思える写真もあんまりないし、質より量的な甘えがあったような気もしてて。

日常のスナップは今あるフィルムで撮って、デジタルに関してはもう少し考えたいなと思ってます。特にスナップの人に多いのが「とにかく撮れ!」っていうセリフなんですけど、まあそれもわかるし私もそうしてきたつもりだけど、今までと同じようにはちょっとしたくないなっていうか、いや、今までと同じやつも撮るけどそれはほんと日記的な感じで、あとはちゃんと「自分の作品です」って言えるものを作ってみたいなと思い始めています。だから、いろいろ模索する。やり方を考えるし試すし自分のことももっと掘り下げたい。自分でも自分の行動に「?」がつくことがまだまだ多いから。何も知らないんだよ、自分のことなのに。こんな状態のままではこれからを生きていくのけっこうキビシイと思う。だから、カメラが壊れたことはいろんな意味で好機だと思ってる。

(長いな)

日記

2020-06-25

ファッション学生だった頃から私はメンズ服が好きで、体に合わないのにメンズのSサイズをよく着ていた。なんで女性サイズのメンズ服がないのか、あるいは、なんで私はメンズ服をジャストサイズで着られないのか(大柄に生まれなかったのか)、はたまた、なんで私はメンズじゃないのか、ということを考え続けて悶々としていた。

例えばレディースのシャツは丈が短かったりウエストが微妙にシェイプされていたり変なダーツが入っていたり袖がすこし細かったり短かったりした。ベーシックでユニセックスなデザインのものでも女性の体の凹凸に合わせてアレンジが施されているものがほとんどで、平板な体型(当時は…ですけど)の私にはただただ余計なものだった。

メンズ服をそのままサイズダウンさせたようなレディース服はないものかとずっと思っていた。私がそういうものを作る人になればよかったんだろうけど、そんなエネルギーもなくファッションに背を向けた。

いまtwitterのタイムラインに流れてきた無印良品の「性別のない服をつくりました」というのを見て、無印お前もようやくか…という気がしている。

無印のレディース服はメンズ服を小さくしたような顔をして、やっぱり女性の体型に合うようなアレンジが施されていた。それこそが企業努力だろうとも思うのだが、見た感じメンズと同じデザインだし着心地もいいんだろうなと思って着てみると違和感がかなりあって、私個人としては正直好きではなかった。

性別のない服。まあユニセックスなブランドでそういう服はすでにあっただろうけど、もっと一般的なメーカーがボーダレスな服をどんどん作ってほしいと思う。

そんな服が多く出回るようになったら、私もまた着るのが楽しくなるかもしれない。