日記

2021-03-24

靴の断捨離で10足ぐらいさよならした。あと5足ぐらいいけそう。

このことから考えなければならないのは、ものを選ぶのは大変だよね、これからどうしようかね、ということ。「ない」環境にいるので、多くから選び取ることが難しい。靴なんてさ、通販で買いづらいじゃんね、履いてみないことには。返品きくとか言われてもやっぱりなんか、気をつかうわけで。

つらい。

その点、写真集はいいな。私がお金を使っているのは写真集ぐらいですほんと。写真集だったらいくらでも欲しい。欲しいが止まらないよ。ブランド物のバッグとか腕時計とか宝石とか全然いらない。私は時計はG-SHOCKだし、それもほとんどつけない。アクセサリーもめったにつけない。いつもだいたい同じような黒い服、タフで使いやすくて撮影のじゃまにならないバッグ、歩きやすい靴。それだけ。

で十分なんだけど、

ちょっといい靴、新たに欲しくなっちゃうよね。春だし。一足だけでいいんだよ。でも今、どんなところがとっておきの靴を出しているのか全然知らないし、どんないい靴が青森県内で買えるのかも知らない。ふつうに東京とか行けるようになったら浅草でオーダーの靴作ってもらうのもいいね。あーあ、欲しい気持ちはあってもどこの何がいいのかわかんないや。シンプルだけどちょっとしゃれてて、耐久性があって歩きやすい靴がいいんだけど。

結局スニーカー買っちゃいそうだな。

日記

2021-03-21

いまどき誰も騒いでないと思うけど、GABA配合のチョコレートを食べて寝ると、かなり熟睡感があって目覚めがすっきりする。

(気がする)

日記

2021-03-20

私は私の好きな写真を撮っていくしかないんだという気持ちになっている。私が好きな私の写真はとにかくウケが悪いことも知っている。試しにSNSにあげてみるとまあ見事に反応がない。こんなにきれいに違いが出るのかと思うほど人気がない。(人気がすごいある写真というのもまた無いわけだけれど)(悲しいかな)

でも、自分がいいと思っていることを信じてやり通すしかないんじゃないか、という気がする。それはとても孤独な道だ。だけど、それをすることが私にとって一番幸せなんじゃないのか。

すいません今酔っ払っているので、文章がアレだと思いますけど

ずっと一年ぐらい、写真のことばかり考えてきて、カメラも壊れて、でも新しいものを買う気持ちになれなくて、写真が全く面白くない時期も長く続いて、相変わらずそんなに反応もないし(いつも同じ顔ぶれ。それはそれで安心するし、ありがたいとも思っています)、でも反応とか他者からの評価なんてそんなに大事だろうか? そこを気にして態度を変えるのはおかしくない? もっと自分の気持ちと真摯に向き合った方がよくない? 誰に見向きもされなくたって、私は私の世界を追求すべきじゃない? という思いが今、湧き上がってきた。(mogwaiの新しいアルバムを聴きながら)ずっとくすぶってたんだろうな。

不得意なことを克服したり器用にふるまうことが必要な人はそうすればいいし、やりたいことをやるために技術や機材が必要なら手に入れたらいい、ってだけの話で、私はどこを向いていたんだろうな? 考えたいことややりたいことはもっと別のところにあったのに。自分に対して、なんかごめんという気持ちだ。

有名になってどうすんの? 人に好かれるために自分を捻じ曲げてどうすんの? やりたくないのに「やらなきゃ」って展示する意味なんかある?

でも別に固まっていたいわけじゃないんだよ。面白そうなことには手を出したい気持ちはあるし変化していくものだとも思ってる。けど、大事なところはブレたくないかもしれない。さんざんブレブレだったけど。

頭のいい写真じゃない。優れたところもない。統一感もない。はっきりとしたテーマもない。まだ全然ペーペーだと思ってる。使命とかなんにもない。社会に貢献もしない。それでも撮る理由ってなんなのかね? そもそも理由ってなに? 理由って必要?

あ、それらを否定してるんじゃないです。頭のいい写真、優れた写真、統一感のある写真、はっきりとしたテーマのある写真、何らかの使命感を持って撮られた写真、社会貢献的な写真、嫌いじゃないです。私は違うよね、っていう話です。

好きな服と似合う服が違うってことよくあるけど、似合わなくても好きな服着ていいし、似合うものがわかっていてそういう服を好んで着られるならとても幸せなことだと思う。私は自分が好きな写真を撮っていくしかないんだよ。それを私だけはわかってやる。いいねって思ってやる。イマイチならイマイチだねって言う。イマイチな写真がめちゃくちゃバズったとしても、私はそれを「いいね」とは思わないでおく。そういうことだよ。(そもそもイマイチな写真を外に出すな)

自分の幸せは自分が一番知っているはずだ。楽しそうにやっていたら、良さに気づく人がそのうち現れるかもしれない。現れなくたって別によくて。私だけは私の良さをわかっているから。

いや、ちょっと、待て待て

深刻な顔で難しく考える必要すらなくて、たかが写真だよ? もっと楽しんだっていいんじゃない? だって写真、楽しいじゃんね。自己中心的に自分で撮りたいもの撮って、遊んで、まあ見たい人がいたら見たらいいよっていう程度で、

酔いがさめてきてしまった

何をつべこべ言っているのだ私は。

明日、写真撮りに行こう。

ずっと言いたかったことが

2021-03-20

あるんですけど、

餃子に酢コショウうまいよね、と言う人たくさんいますけど、

餃子に酢コショウ、私はおいしいと思いません!!!!!

むせるし!!!!!

酢、しょうゆ、ラー油が一番いいよ!!!!!

ポン酢にラー油でもいいけど!!!!!

酢コショウはないよ!!!!!

ずっと言いたかったんです。今日餃子を食べて、ちゃんと酢コショウを改めて試した上で、やっぱり「ねえよ!!!!!」と思ったので書き残しておきます。

餃子のタレをナメんなよ!

いや、舐めてもいいけど。(ややこしい)

異論は認めますけど、私は酢コショウを認めません!!!!!

フラフープ続報

2021-03-13

以前、フラフープを買ったものの全くうまく回せない、ということを書きました。とっくにやめてしまっただろうとお思いの方もいらっしゃることでしょう。続報をお伝えします。

ぐるんぐるん回しております!!

え、一生回せるんじゃないの!?っていうぐらい普通に回せております。何かの待ち時間とかちょっとした隙間にぐるんぐるんやっております。ただただ楽しいです。

一時は「このフラフープが悪いんじゃないのか」などと物のせいにするところまで行きましたが、悪いのは私でした。

全然できなくて「クッソ〜!」と思いながらも毎日続けて5日目ぐらいですかね、「あ、わかる」ってなったのは。それまではYouTube動画見たり、どうしても回せない人へ!みたいな解説を読んだりして頭でっかちになってたんですけど、ある日、自分の体に聞けば良くね?って思ったんですね。

フラフープの回転と自分の体の動きだけに意識を集中させてみたら「おおっ」と思う感覚があって。なおも続け、「おおっ」が「おおおっ!」になって、「これかあ!」と変化していきました。自転車に乗れるようになった時の感じかなあ。「なんでできないんだろう」に意識が向いちゃってると、だいたい出来ないですね。絶対にできるはずなんだから、自分の体の感覚に任せてみようって思ったらできるようになりました。面白いもんだね。もちろん情報を入れたり頭でっかちになる過程も必要だったんだけどね。

YouTubeの解説動画が無駄だったとは言わないけれど、人それぞれの感覚ってあって、ただ「腰を回すのではなく前後にリズミカルに動かす」と言われても体の動きといまいち結びつかなかったんです。言葉ってむずかしい。言ってることは正しいんだけどね。なので、プロが教える詳しい解説つき動画よりも、ふつうの素人さんがなんの解説もなしにただ練習してできるようになった動画とか、子供がただ楽しく回してる動画のほうが私には合っていたようです。

こういう体を使ったテクニックを教える時、実はもっと抽象的な表現のほうが響くんじゃないかなーって気がする。イマジネーションに訴えかける言い方っていうかね。あとインナーマッスルを強くするの大事だなと思いました。そこがぐにゃぐにゃだとそもそも回せないんじゃないかと思う。

最近は雪解けが進んで日も長くなり、退勤後に少し散歩できるようになったのは嬉しい限り。鬱っぽくなりやすい人によく言われるアドバイスとして「歩け!運動しろ!筋トレしろ!」というのがあるんですけど、ほんとだなーと思いますね。パスカルも言ってるよね、人間はあらゆる職業に向いている、向いていないのは部屋の中にじっとしていることだけだ、って。動けるのにじっとしていると病むのもやむなしっていうかね。(ダジャレ)

家の中で手軽にできるし音もしないし、フラフープ、おすすめです。

日記

2021-03-11

少し前、インスタのストーリーで、ある展示について厳しめのことを長文で書いたんだけど(ついに私もそんなことするようになったか…という感慨は置いといて)、まあ怒りが熱いうちに書いちゃって、私の気持ちとしてはとにかく県外からわざわざ見に来ようとしている人に「来ないでください!!」と注意喚起したかった気持ちが大きく、あとは写真愛が強すぎるので(写真展だってバレちゃったね)、ダサい展示やるならやらないほうがマシだよ!と思ってしまったからなのでした。

その後に新聞で紹介されていたことを知って記事を読み、読んだら「そういうことか」ってわかったけど(SNSを知らない地元の高齢者たちにも写真を見てもらって場所などの情報がほしいということだったらしい)いやでも、だとしたらタイトルとかもうちょっと配慮が必要だったんじゃないかって。「○○○○ 写真展」ってつけちゃダメよ。「○○さんの押入れから見つかった あの日の青森 なつかし写真展」とかにしないとね。SNSではお知らせしないようにするとか、注意書きを添えるとかね(地元高齢者からの情報収集のための展示です、とかさ)。あとタイミング。今このタイミングでやらなくても良くない?と思ってしまった。急いでたのかなあ。ほんとにお粗末な展示なんですよクオリティ的に。せめてプリントもうちょっとどうにかならんかったのかな、、アマチュア写真家ですらもうちょっといいプリント作れるよ。できないならキタムラに出したっていいのに。ほんとに写真わかる人がいなかったんだろうな。。もしネガから印刷できなかったんだとしても、なんならjpegからでももうちょっとマシにプリントできるよ。写真が泣いちゃうよ。って気持ちは今も変わりません。

おっかないねえ。

こんなこと書いたら諸刃の剣なのに。それでもそれを上回る写真愛があってな。すまんね。

関わっている人がたくさんいることも、それぞれの人が善意で動いていることももちろんわかってますよ。でもね、それで完成したのがこの展示!?ってやっぱりなっちゃうんで。わからないなら写真の扱い方や写真展に詳しい人を一人でもアドバイザー的につけたらよかったんですよ。たくさんいますよ、青森県内にだって。

まあいいや。

文句言う人が悪者になる世界わかります。でも善意の人たちの怠慢と暴力もまたありますよね。私は大嫌いです。

こういうこと言うと気持ちがスッとするように思うでしょ?全然ですよ。ずっとモヤモヤするんです。でも言わなきゃいけないことだと思ったので。

言い方はもうちょっとなんかあったよね。そこはすまんかったね。

いやー、でもなー、敢えてストレートに言わなきゃ伝わらないこともあるからな。。

私は今まで怒りをうまく表出できなかったから、よしとするしかない。よしとする。

青森の懐かしい写真ってだけじゃないんだよ、あの人の写真は。でもとりあえず最初はそうなっちゃうの仕方ないよ。理解できる。だってそういう土地だもん。仕方ない。ヴィヴィアン・マイヤーみたいにはいかない。だってあれすごいエネルギーいるもん。ちょっとお手伝いしまーす、という気分でできるもんじゃない。人も動くしお金も時間もかかる。だから、だからこそ!早急に適当にダサいことしないでくれよー!って思うじゃん。思ってもいいじゃん。私はそう思ったよ。昔の青森を懐かしみたい人がそれなりに楽しんでいることも知ってる。それはそれでいいと思う。でも私はあの人の写真が素晴らしいと思っているので、そこに光を当ててほしいって思ってしまう。そこに光が当たっているとばかり思っていたんだよ。事実、SNSですぐれたスナップ写真を撮る人たちが絶賛して広まったようなものだし、そういう文脈で語られるべき作家だと思ったんです。それが、なんかいつもの田舎の悪い癖っていうか、そういうぬるい感じになっちゃって、歴史・民俗資料的なもので終わらせてほしくはないんだよなあ。

写真集出るみたいだけど、期待してたけどやっぱりなんか「青森」を外せないんだなーというのが見えて期待半分になっちゃった。まあ買うとは思います。写真がいいので。

うまくいかないもんだね。何も関わってない外野のお前が偉そうに言うな、って思う人もいるんだろうなー。でもじゃあ誰が言えばいいの?ずっとこんな悲しい状況放っておいてもいいのかな。いいんだろうね。放り続けてきたのが今なのか。そうか。知らんわ。私は好きなこと言うから。

どんどん広がっていけばいいんだと思うんだよ。郷土資料にしておくにはもったいない!と思う人が別の角度で写真集作ったりしたらいいと思うしそうなってほしい。と思っておくしかないね。写真に宿っている力が、人を動かすかもしれないじゃん。わかんない。すいません。私は家族でもなんでもなかった。すいません。いいものを腐らせることに耐えられないだけ。私の心配をよそにどんどんいい感じて発展していってほしいです。お願いします。

お見合い記念日

2021-02-25

「カコミエール」というアプリで時々自分の過去を眺めている。どんなアプリかというと、例えば今日は2月25日なんだけど、過去の2月25日に自分がしたツイートや撮った写真を表示してくれるというもの。ほかで代用できそうな気もするけど、手軽なんだよね。

3年前の今日は、とある洋食屋でピザを食べたことが写真からわかるし、

5年前は、当時担当していた地方紙のある小さなコーナーのイラストのラフを書いていたらしいことがわかる。

(ちなみに完成形がこれ)

7年前は大好きな犬をなでていた(今はもういない)。

そして、さかのぼること9年前。

私は知らない人とお見合いをしていた。

 

その数ヶ月前、叔父の葬儀が執り行われた典礼会館。帰り支度をしていた私めがけて上品そうなご婦人が近づいてくるなり「あなた素敵ねえ!」と声をかけてきた。当時の私はまだ痩せていて、細身のパンツスーツ(喪服)にショートカットといういでたち。素敵に見えたなら嬉しいが、その時は嬉しいと思える状況でもなく、ご婦人の強引さに面食らっていた。どうやら叔父の方の遠い親戚らしかったがまったくの初見。叔母から説明を受けてもピンと来ず、愛想笑いを浮かべていたら「ねえ、あなた独身?」と聞かれた。ずいぶん踏み込んでくる人だなと思いながら「まあ、はい」と答えると「あなたにちょうどいい人がいるのよ!」とおっしゃる。うへぇ、このテの話かぁ(うぜえ)と思いつつ「実はあまり…興味がないもので、ははは」とお断りのニュアンスたっぷりに困り笑いで返すも、「一度会ってみるだけいいじゃない、ね! 取り持ってあげるから!」とかなんとか、とにかく物凄いスピード感と威圧感で丸め込まれてしまった。私の母や叔母もその場におり、最初はだいぶ気圧されていたが「まあ、いいんじゃない? 会ってみるだけ」みたいな態度でやんわり加勢してきて、私はもうお手上げだった。

言葉は悪いが「おせっかいばばあ」がいまだ健在であることの感慨に耽りつつ、まあ結局はあの場だけの話ということで、パッと立ち消えになることを密かに期待していた。母には「もし連絡がきたら断っておいて〜」と伝えてあったし、なにしろ私にはその気がまるでなかった。顔も知らない向こうの男性だって、おせっかいばばあからよく知りもしない私のことを知らされたところで乗り気になんてならないだろう。

どうやら何度か母とおせっかいばばあとでやりとりがあったらしいが、私は頑なに「お断りで!」の姿勢を崩さなかった。しかし、ばばあは強く、母は弱かった。

2月25日、○時にどこどこの「○×」という店で。

というメモを見た時「はあぁ!?!?!」と声が出た。

決定事項だった。向こうの見知らぬ男性も「まあ一度会ってお食事ぐらいなら」ということらしかった。でもその感じ、ノリノリではないよね、私にはわかる。ノリノリではなくタジタジである。向こうもおせっかいばばあの被害者なのだと思った。

2月25日。その日は来た。お見合いという体だがかしこまったものではなく、場所はちょっといい感じの居酒屋。立会人もなし。私は愛用のデジタル一眼を持ち、登山靴にリュック、時計はG-SHOCK(BABY-Gですらない)。服はなんだったかな忘れたな、とにかく「お見合い」という格好でなかったことだけは確か。色気もへったくれもない、普段の街歩きスタイルだった。

どちらが先に店に着いたのかも覚えていないが、とにかく初対面!となった。相手は、見た感じとても普通の人だった。悪い人ではなさそう。中肉中背、どちらかといえば華奢な方だったと思う。白いオックスフォードのボタンダウンシャツを着ていた。清潔感があり、ベーシックアイテムながらオシャレには気を使っていそうな感じ。私の持ち物を点検するような視線の動きを感じて、この人の関心事はまだファッションなんだな、と思ったのを覚えている。「まだ」と思ったのには理由がある。私にはかつて、人をファッションだけで判断していた時代があった。そのせいで、この人はまだファッションで人を判断しているのだなと感じたのだ。まあ、それしか判断材料がなかったとも言えそうだけど。

最初はお互い「ははは(なんか強引に)、ね〜(セッティングされちゃいましたねえ)」という不本意感丸出しだったが、とはいえこの場をどうにかしないといけないので、普通に、何食べます?とか嫌いなものあります?とかお酒はけっこういけますか?などのやりとりを経て、出てきたのがこれなんだけどさ…

これは…前菜かな? お通し?黒いのは石炭じゃないよね。

正直なにを食べたのか全く覚えてないんだよねえ。何を話したのかはうっすら覚えてる。確か私より2〜3歳年下で、家の商売を手伝っていて、ゆくゆくは後を継ぐらしかった。それから趣味のカメラの話と(撮る写真は明らかに違うジャンル)、東京の話。関わっているというイベントの話や山の話。アウトドアウェアの話。

これってお見合いなのかな。

一応体裁として彼氏彼女いるんですか的なことも聞いた気がするけど、お互い「いないっすね」と言ったきり特に何もなく。なんかもう見た瞬間「別に(恋人)いらない人じゃん!」って思ってしまったんだよな。向こうも多分そう思っただろうし。話を聞いていると、男友達とワイワイ遊ぶのがとにかく楽しい!自由最高!独身謳歌!っていうのが見えてきて、私も実際そんな感じだったし、お互いの世界でそれぞれ自由を満喫しましょうね!というトーンに終始した。

また何かあったら連絡を、って一応メールアドレスは交換したけど、帰宅後に社交辞令的な「今日は楽しかったです☆」メールを送ったのかどうだったのか、それさえ思い出せない。数ヶ月経った頃、ふいに「おひさしぶりです」とメールが来たけれど、その内容は、自分が手伝っていたイベントが近々開催されます、ゲストも豪華なのでよかったらぜひ。みたいな。イベントのリンクが貼ってある宣伝っぽいメールだった。私はそれに返信したのだろうか?「行けたら行きます」ぐらいは返したのかな。覚えてないや。

カメラ持ってきたし一応…と思って、居酒屋で相手の顔を撮らせてもらっていた。だけど写真の整理をするたび目に入るとなんとなく気まずくて、そのうちその写真だけ削除してしまった。決して悪い人ではないのだけれど。そんなこんなで残ったのがこの、なんだかわからない前菜風の写真というわけ。

顔も名前も見事に忘れてしまったけれど、私のお見合い相手さん、どうかどこかでお元気で。