最近した部屋の配置換えがしっくりきたのか、インスピレーションと意欲がわいてきて寝る間も惜しい。いま職場にいるけど正直もうおうちに帰りたい。
カテゴリー: 日常
どうでもいい飲み物の話
2019-03-08美容師に髪を切ってもらいながら、最近痩せない旨話したところ、「緑茶コーヒーがいいらしいよ、これこれ」と週刊誌を差し出しされた。一日3回、食前に緑茶コーヒーを飲めば、ナントカという成分がナンヤカヤして痩せるのだという。そうか、なるほど。と思って翌日作ってみることにした。緑茶とコーヒー1:1。砂糖もミルクももちろん入れない。それだけ。インスタントでもよいということで、それ用にインスタントコーヒーと粉の緑茶を買ってきた。スプーンすりきり一杯ずつ。そこに熱湯を注ぐ。
なんか、飲みやすいあっさりコーヒーになった。
これは普通に好きかもしれない。
緑茶コーヒーを知ってから1ヶ月は経ったが、体重はほぼ変化なしである。
一日3回食前に飲む、というルールを破りすぎているのだから仕方がない。
ただただ味が気に入り、いつでも好きな時に飲んでいる。最近はミルクも砂糖も入れて緑茶カフェラテにしてしまっている。これがまたおいしい。
痩せからは遠ざかるばかりである。
結び目
2019-02-15気分がすぐれない時は丁寧に食器を洗ったりすれば落ち着いてくるんだけど、今やっていることにお金がかかることとか先々の不安とかが重くて、食器洗いぐらいじゃ全然効果がなかった。せめて早く春が来てほしい。つらい。
とツイートをしかけて、泣いた。自分がたった今打ち込んだ「つらい」という文字を見て泣いた。
「つらい」って言いたかったんだな。意味があるのかないのかわからない日々、寒さに耐えられなくなっていること、自分にはどうしようもできない大きな問題、まだ起こってもいない悲劇の想定や、やりたいことがちゃんとできるのかという不安、この町にいる意味、この国で大丈夫なのか、お金の心配、私はどこで何をして生きていくのがいいのか、などなど、
色んな気持ちに急かされて、糸が切れてしまった。
私のつらさを誰も完全にはわからないだろうと思う。だから私だけはわかってやる。思う存分泣かせてやるんだ。
そうしなきゃ、前なんか向けない。
切れた糸を結ぼう。結び目がいっぱいできたっていいよ、つながっていれば。
たまたまアルバム聴いてて今の気分にぴったり来た中村佳穂さんの「忘れっぽい天使」。このライブもいい。
ひとつ、ふたつ、まっぷたつ
2019-02-14見かけ倒しの映画はこれに決めなよ
2019-01-29キャストや題材やロケーションがよくて予告も最高(予告が最高)なのに本編が残念な映画を見てしまった。面白くなる要素が十分にありながら、ここまでつまらないものにできるのはある種の才能によるものかも、と嫌味の一つも言いたくなる。いい素材を活かせないのは料理長の責任だ。さほど長くはない映画が永遠のように感じられ、映画館では決して寝ない私が二、三度気を失ってしまった(周りからはいびきも聞こえていた)。予告編ではさんざん面白い雰囲気を出しておいて、蓋を開けてみればあれが全てだったことを知る。予告編を薄〜く引き伸ばしたものを見せられた感じ。あらゆる意味で本当にもったいなかった。(チケット代と時間もね💸)

私は見かけ倒しのものに厳しいかもしれない、、
内装とか雰囲気はオシャレっぽいのに掃除や気配りが行き届いてなくて味のしない肉料理を出すカフェとか。冷えてカチカチに硬くなったカスカスのワッフルを出すカフェとか。(同じ店です)まあ二度と行かないよって話なんだけどさ。
しかし映画がつまんないのは地味〜にショック!こないだ見たボヘミアン・ラプソディが超おもしろかっただけにショックがデカいぜ。。
ハチミツおいしいなあ🍯🐻
2019-01-11なんかね、やる気がなくなっちゃって。あ、あけましておめでとうございました🐗
2019-01-09タイトル通りなんですけど、新しい年を迎えたというのに、このブログをやる気が完全に失せてしまいました。「やらなきゃ」とすら思えなくなってしまって。
なぜなのか考えてみました。
間違った方向に進んでいたからです。
初心忘れるべからず。このブログの一番最初のエントリーを見てみましょうか。
はじめに
言いたいことも言えないこんな世の中で、私の中にたまっていく気持ちを爽やかにダラダラと吐き出す別の場所と手段が必要なんじゃないかと思い始めました。そこで、私がのびのび好き勝手にできる自分の名前(仮の名前だけど)を冠した自分だけの居場所を作り、私の視点で撮った写真や文章を発表したいという気持ちが芽生えていきました。大した影響力がないことは知っていますが、少数派の人たちがたまたまこの場所を発見し「なあんだ、こんなことを思うのは私だけじゃないんだ」とちょっぴり安心してもらえたら
誰かの顔色を伺ったり誰かを立てようとすればするほど言いたいことが言えなくなってしまったtwitterで、わたしの下書きツイートはたまる一方。そんな状況に業を煮やし、私は私の場所でやる!言う!少数派に寄り添う!と、ノリノリの文章で力強く誓ったあの日…
窓ぎわの猫ちゃん写真など癒しコンテンツも織り交ぜつつ、私が本当に書きたいシビアなことやデリケートな問題についてもぽつぽつ書いていくつもりでした。
ところが、私の下書きグセ、溜め込みグセはなかなかに手強く(そりゃそうです長年そうしてきたんだから)、このヌーヨークタイムズでも下書き保存されたままの非公開エントリーがわんさか、という状態。さらに昨年は(自分でも予定していなかったことなのですが)あちこち出歩く機会が増え、都会の喫茶店へ行ったり街をぶらぶらしたり色んな展示を見たりしました。そうなるとどうしても、見たものや食べたものを記事にしたいような、そうした方がいいような気がしてくる。それが人に求められているかはかなり微妙で、だってさあ、もっとうまいことやってる人いっぱいいるじゃん? ちゃんとそのジャンル(喫茶店とか食堂とかビルとか路上観察とか)が確立されてて、休みや給与の多くをそこに費やし、露出もして本も出してグッズも売れてるようなちゃんとしてる人たち。その人たちが書いたものなどを楽しめばよいわけで、私が後出しする意味がないっていうか、同じとこ行って同じような写真撮って誰にでも書ける感想をブログに載せたところで「別に」って言われちゃうと思うんですよ、沢尻エリカに。
って卑屈になりたくなるほど、このブログを続けていく意味を見つけられず、一時期「これは私のブログじゃ!私個人の記録としてやっていくわ!文句あっか!」と開き直ったりもしてみました。
でも何かスッとしない。気持ちよく開き直れもしない。
それはやっぱり、方向が間違っていたからです。
これね、ブログに限らないんですよ。なんかおかしい、なんかノれない、なんかぼーっとする、なんかモヤモヤする、なんか前みたいに笑えない…そういう「なんかわかんないけど違和感」っていう状態が続いたらあなたの生きる道はそれじゃないです。
本当は途中で何度か気づいて自分ツッコミしてたんです。
・別にさぁ、きれいに撮れた写真を選んで喫茶店を紹介したいわけじゃないんだよなあ。
(もっと時間をかけて沢山回ってうまく紹介している人がいる。書籍も沢山出ている。素敵な写真と詳しい情報が欲しい人はそっちを見る)
・私がどこ行って何を見たかなんて誰も興味ないよねぇ。
(大量の写真から選んで最低限の補正してブログ用に整えて配置して文章書いて…って何日かかるんだよ)
・内容が絞りきれてなくない?カテゴリ多すぎ。なんでもやろうとして失敗してる感じ。
・twitterに書けないことを書くのにtwitterで宣伝したら意味なくない?
・こんなことがしたくて始めたんだっけ??
ちーがーうーだーろー!ちがうだろーー!!私の中の豊田議員が叫びます。
もっと超個人的だけど、私にしか書けないことがある。私にしか見えていないらしいことが、日々生活していて沢山あるなあと感じるんです。
一年間違った方向でブログを続けてきてしまいましたが、それなりに楽しくもあったし、みなさんに読んでもらえてうれしかったです。どこへ行って何を食べた、みたいなことこそSNSでライトにやるべきだと思います。このブログでは私にしか書けないことを書いていきたいです。田舎の片隅で、むしゃくしゃしたら山奥でリコーダー吹くしかないような人にこそ届けたい。届くかわかんないけど。私はこの田舎を出たくてたまらなかった中学生の頃の自分に届けたいよ。
なので、今後twitterでは更新のお知らせをたま〜〜〜にしかしません。
ブログはできるだけ毎日その日のライブ感を大切に書いていく所存です。毎日見たい人はブックマークなりリーダーに登録するなりして見てください。面白かったらじゃんじゃんシェア&宣伝お願いします。このブログは私がちまちま組んだ孤独なwordpressゆえ、新規で見にきてくれる人あんまり居ないと思うので。
可愛い私に旅をさせよ
2018-12-31ずっと自己肯定感に乏しく、自己卑下っぽい物言いもさんざんしてきた私ですが、ときどき自分のことを「大切な誰か」のように感じることがあって、「◯◯してあげたい」とか「◯◯を見せてやりたい」みたいな気持ちになったりします。
みんなが紅白歌合戦を見ているであろうこの時、(本当は私も見たいけど)テレビのない静かな部屋で来年の星占いなんかをぼーっと見ていて、「2019年から7年ほどをかけて(中略)壮大な旅にでかけていくことになっています…」の記述にさしかかった瞬間、くわーっと胸が熱くなって、涙がぽろりとこぼれたから舟歌を歌い出さなきゃいけないネ。
まあそもそも人生は壮大な旅なんだろうけど、私のこれまでの旅は、平坦で似たような道を安全運転しているようでいて、突然自分で脱線させて大事故を起こして中断せざるをえなくなったり、また一からやり直そうとしても恐れや不安に行く手を阻まれたり目的地を見失ったり、あまりいい旅とは言えませんでした。とぎれとぎれで弱々しくて、これが私の太い一本の人生だ!と胸を張って言うことができなかったんですよね。だけど今年は、壮大な旅の始まりの小さな入り口の鍵のようなものをなんとか見つけることができたような気がしていて、ああ、ここから7年かけてやっていくんだ、やってもいいんだ、広がっていけるかもしれないんだ、と思うとこみ上げてくるものを止めることができないのです。そこから湧き上がってきた言葉がこちらになります。
「いろんな場所に私を連れて行きたい」
たくさん旅行に行きたいワ💛 ということではありません。
可愛い子には旅をさせよ、ですよ。
自分にいろんな景色を見せてやりたい、なんでもやらせてみたい、遠くまで連れていきたい、という気持ち。
私は私の人生をがんばる!というよりは、「私(という人)にいろんなことを経験させてやりたい!」という思いかたが私には合っている気がします。
自分のことをどうもいまいち愛せないという人も、◯◯さん(あなたの名前)を楽しませてあげたいとか、◯◯さんをここに連れて行ってあげたい、みたいに考えるとちょっと楽になるかもしれません。
めまぐるしい変化の時代、ガタついた体に鞭打ちながら軽やかに渡っていきたいです🏄
2019年、写真の展示、やります。
新しい年が素晴らしい一年になりますよう、ヌーヨークタイムズ読者様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます🎍






