日記

2020-04-09

私の生活はというと、特に変わりなく平常運転なのだが、今日は帰宅してから着替えもせずに1時間半ほど眠ってしまっていた。知らず知らずのうちに疲れがたまっていたのだろうか。

世の中が大変な状況にあると、自分がまだ危機に直面しておらず普通に暮らしていられることに、うっすらと罪悪感のようなものを感じてしまう。震災の時もそうだった。「東北」「海沿い」というだけで全国の友人知人から心配のメールなどをもらったが、私の住まいは何の被害もなく震度も3〜4程度で、不便なことといえば丸一日停電したことぐらいだったので、「こちらは無事なのでご心配なく」と返事をしつつ、おかしな話だがそのことに多少の居心地の悪さも感じていた。少しは何かあったほうがよかったんじゃないか。そんな風に思う必要などないのだが「なんかすみません」という気持ちだった。無事な自分に何かできることがあるのか、正直よくわからない。当時も寄付とかはしたけれど、何かいいアイデアが浮かぶわけでもなく率先して行動するわけでもなかった。

その状況と同じだとは言わないまでも、ちょっと似ている気がする。相変わらず私にできることは少なそうだし、率先してあれこれ考えて工夫して実践している人すごいなあと思う。結局自分と周りの人のことぐらいしか考えられないという意味では、私も かのAソーリと似たようなものかもしれない。いや、全然ちがいました、すみません。

時代錯誤で貧乏くさい例の布マスクが来週から届き始めるらしい。いらねー。あれ、洗うとだいぶ縮むぜ? 厚いし寸足らずだしけっこう隙間できてフガフガするし、あんまりいいことないと思う。あんなものの配布に466億円もかかるそうで、つくづくこの国はお金の使い方が下手だね。調子のいい時は外面ばっかり良くて、本当に大変な時に国民を助けてくれない国とは一体何なのかね。税金かえして。マスクは必要な人にあげます。

埋蔵金おじさんのツイートがまた顰蹙をかっていた。あの人ずっとあれだけどな。私の中では埋蔵金とバス釣りの人、という印象なので、「ていねいな暮らし」っぽい文脈で語られると「???」と思ってしまう。時代の波に乗って、誰かの手柄に乗っかって、うまいことやってこれただけの人やん。運のいい詐欺師。言いすぎました。おわびします。

偉そうな人たちが揃いも揃ってバカだということがわかり、心底がっかりしている。 大した学歴のない私に言われたくないと思うけど、みなさんそれなりにいい大学出てるでしょうに、どうしてそんなにバカなの?? 悪事、隠し事、今までのやり方のまずさがあるから、それが露呈しないように(もうバレてるんだけど)「保身」を中心に据えたやり方になってしまうわけで、全くストレートじゃないんだよね。なんでそんなに回りくどくて無駄なのか。こうして色々なことが明るみに出てくると、自分が少数派であることを恥じなくてもいいような気がしてくる。「あれら」に比べたら自分はまだマシだと思えてくるよ。気分よく暮らせるようにマシなことを考えて行動しようね。

ぶーぶー言うとりますけども。あのねえ、私がこんなこと日記に書くようになったら終わりだってば!終わりなんだよ、終わりどきなんだよ。まったく違う新しい世界がこの先に控えているのは知ってるんだけど、本当に大丈夫かな。この船、もう沈みかかってるけど?

日記

2020-04-07

7都府県に緊急事態宣言が出された。アベソーリの会見は例のごとく聞き取りづらいしカンペだし美辞麗句っぽいの並べといて国民を助ける気なんかさらさらないのが丸わかりだし、なんだかなあもう。からっぽだ。からっぽ総理。

もしも自分が今、東京在住20歳の貧乏学生だったら、友達(少ないけど)集めて海行って「もう、みんなで死んじゃおっか!」なんて言っている気がしてならない。まあ死にはしないとしても、メッセージ性の強いTシャツを刷ったり、激しめのリストバンド作ったりしてるだろうなと思う。

いや、そんなに強くいられるかな。一人で暮らしていくのがまったく無理で、神奈川の親戚宅に身を寄せるか深夜バスでこっそり実家に帰ってしまう気もする。情けないけどそっちのほうがリアルだ。

今もあのままの感じで東京にいたら気が気じゃないと思う。気が気じゃない世界を生きている都会の人たち、ほんとうに大変だろうな。冷静に怒ったり暮らしを守ろうとしている人たちがちゃんと生きられるようにしてほしい。必要な人のところに必要なものがわたってほしい。どうか無事でいてください。

こないだの日記でも書いた、干し餅を低温からじっくり揚げたやつにカレー粉(塩入り)をまぶしたやつが超うまい。売れる、と思う。

食べすぎるので小皿に盛った。

やらなければいけない作業があり、家で黙々とやる。単純作業は精神衛生によいと思う。BGMはtortoise。歌モノだと作業用BGMにならないのでこういうのがいい。というかtortoiseとかmogwaiとかbattlesに関してはもう好きすぎて、すっかり体に染み込んで私の血肉となってしまっている感がある。なぜ好きなのかうまく説明できないけれど、たまらなく好きである。(うまく説明できてない)またライブに行けるようになったら嬉しい。いつになるかわからないけど。その時を楽しみにしておこうと思う。

日記

2020-04-06

ゆうべ寝る前にアキ・カウリスマキの『過去のない男』を観た。

これは数ヶ月前にTSUTAYAの中古DVDワゴンの中から330円で救出したもので、買ってすぐ我が家のiMac(…10年ほど前のやつだ)のDVDスロットに入れてみたが、ジーコジーコ言いながら全く読み込まれる気配がない。挿入と排出を繰り返し、そのうち取り出せなくなくなったりしながら、数日後、また数日後と何度も出し入れしてみたがダメで、観れない映画を330円で買ってしまったナ…と思っていたシロモノである。

それが昨夜、「なんだか今日観れそうな気がする〜」と思い、スロットにインしてみたところ、すんなり再生が始まったというわけだ。

カウリスマキ作品はどれも嫌いになれない。彼の作品に通底している「愛さえあればなんとかなる(かもね)」という世界観にやさしく包みこまれるからだと思う。これを観て、誰も自分を否定する気にならないだろう。

当然のように他人を助ける善良な人々の慎ましい暮らし。ハンニバルと名付けられた優しい雌犬。イモを植え、次の年のことを考えて食べる分を決めること。寄り添い、待つこと。すぐそばにある幸せに気づくこと。

このタイミングでDVDが読み込まれたことも何か意味があるのかもしれないと思えるほどには、今の私にじゅうぶん沁みた。

まあ、国を動かしてる人たちの馬鹿さ加減には呆れますけれどもね。別に特別すごいことをやってほしいわけじゃないんだよ。余計なことやアホみたいなお金の使い方をせずに、ただ普通の感覚で、人の心が通ったことをしてほしい。生きるのに困ったことのない人たちが何を話し合ってもダメ。想像力がなさすぎる。こんなポンコツ政権を支持する人いまだに居るのかな。どうせ金に困らないジジイか自分で考えることをしない若者だけだろ。偉い人の後ろに隠れて死ぬまで安全に生きれたらいいね。

口が悪くなってしまったけど、これは私の日記だからいいんです。好きに書きます。

田舎にいるとまだ少し気持ちに余裕が持てるけど、都会の人たちは大変だね。助けになれること何かないかな。こっちもマスクはないけどトイレットペーパーなら有り余るほどに売られている。作れないものは買うよりしょうがないんだけど、自分で作れるものはどんどん作れるようになっておきたいな、と思う。もう少しあたたかくなったら母と土いじりしたいな。家庭菜園だけでご飯が食べられるようになったら、ずいぶん心強いだろう。

日記

2020-04-05

目覚ましなんかかけず、カーテンも閉めきって目が覚めるまで思う存分寝てやろう!と思っていたのに、8:00にぱちっと目が覚めてやんの。いつもと変わりないじゃん。なんだよ〜。

起きてしまったからには洗濯などをして、アップルパイ食べて(買ってきたやつ)コーヒー飲んで、写真のことをやって(毎日写真のことばっかり!)、そうこうしていたらお昼の時間になっちゃって、ラーメン作って食べて、昨日のオードリー聴きながらまた写真のことをやって、YouTubeで志村のコント見て笑ったりしてたら夕飯の時間になっちゃって、八宝菜作って食べてお風呂掃除して…

1日ってほんとに24時間あります??
どうも私のだけ短いような気がしてしまうんだな…

日課になっているTumblrへの写真アップ。ほぼ毎日20枚ぐらいアップしていて、もうすぐ二ヶ月になる。すごいことだ。たくさん反応があるわけではないけれど「いいね」とか「スキ!」は正直うれしい。

期待して買ったけどカタイ論文みたいな語り口で面白くないなあと思って放置していた本をふたたび読む。あれあれ、面白いじゃん。タイミングっていうのがあるな。前は私の受け入れ態勢ができてなかったんだと思う。

あなたの意識が変われば、欲しいものは目の前のテーブルに並びはじめる

突然思い立ってそんな言葉をノートに書きつける。最近スピってるからなあ。ははは。

寺尾紗穂さんの声が聴きたくなって新しいアルバムを聴く。タイトルになっているこの曲はPVもすてきです。水上から見る東京の風景に乗って澄みわたる紗穂さんの歌声が舞い、編曲を担当したキセルによる演奏、コーラスとも相まってなんだか胸が熱くなる。

新しくなるために、これまでを見直して膿を出し、軽くなるために、今この状況があるのだと感じている。私はもっと色々なところへ行きたい。だから今はじっと耐える。想像の世界でなら、どこへでも行ける。時間ならたっぷりあるんだ。文句も言い飽きた。国には期待しない。そもそも私は人や何かに期待していなかった。自分があればじゅうぶんだ。後回しにしていたことを、今こそ始めよう。

日記

2020-04-04

体調わろし。(コロナではない)

コロナではない、と自分の身の潔白をアピールしなくてはいけないムードだ。

過去の観光写真をアップするのに「これは○年前の写真です」と書いて、今は出歩いてませんよアピールをしたり。

体調わるいアピールだって別にしなくていいんだけど、これは私の日記だから、いいのだ。今日は一日体調がわるい。今もわるい。例のやつで腰痛がひどい(自分だけには何のことかわかる)。がまんしてやり過ごすしか対処法がない。明日は使い物になっているとよいが。

おわり。寝る。

日記

2020-04-04

おやつの時間、職場のお姉さんが出先で買ってきてくれた浅草焼のおやき(今川焼きのこと)を食べた。やさしい日の光が斜めに差し込んでくる夕暮れどきにお客さんや営業さんと和やかに世間話などをしていると、この平和が一体いつまで続くのだろうという気持ちになってくる。

お姉さん、マスクを手作りしようと手芸店に行ってみたけれど、マスク用の生地も細いゴムも、白いミシン糸までなかったらしい。ミシン糸がないってよっぽどだなあ。いつ買えるかわからないし国もあてにできないときたら、じゃあ自分でマスクを作ろうという人たちが手芸店に行くのは当然の流れ。しかしミシン糸までなくなるとは大変なことだ。私もそろそろマスク問題を考えなくてはいけないと思う。使い捨てマスクにかぶせて使うカバーがいいかも。これなら作るのも簡単だしゴムも買わなくていい。ミシン糸なら家にあるし。お姉さんにもこんなのがありますよ、と教えておいた。

帰宅早々、母が「干し餅揚げたのあるよ」と言う。

冬に、知り合いの大工さんから干し餅用のお餅をたくさんもらい、2階のベランダに吊るしておいたものだ。とはいえこの冬は暖冬で、からからに乾燥させ寒風によって凍らなければおいしい干し餅にはならないのだが、雨が降ったり寒くなりきらなかったりして、うまいこと「しゃわしゃわ」の干し餅にならなかったのだ。大工さんも「加減が難しいんだ。失敗すれば、食えねぇぐらいカチカチさなってまるよ」と言っていたとおり、我が家の干し餅は歯が立たないくらいカチカチになってしまっていた。どうするかねぇと協議した結果、油で揚げてしてしまおうということになった。

干し餅はなるべく小さく割る。油が冷たいうちから入れて、くっつかないようにじっくりと揚げて、冷めるとサクサクのおかきになる。そのままでも餅の甘みがあってうまいのだが、なんとなくカレー粉(塩の入った「S&B料理用カレー」)をまぶしてみる。これはこれは…止まらないうまさ。もともとは米とカレーである。合わないわけがないのだ。

揚げたてに、甘めのめんつゆか出汁醤油をさっとからめて、塩の入っていないカレー粉をまぶすのもいいかもしれない。単純に塩と好みのスパイスとかチーズ味とかいろいろ楽しめそう。カロリーのことさえ気にしなければ。

何か大変な出来事が起こった時、人の本質があぶり出されてしまう気がする。慌ててパニックになる人、誰かや何かのせいにする人、自分のことしか考えない人、情報に振り回される人、噂を撒き散らす人、自棄になる人、事態を受け入れて対策を考える人、工夫する人、明るい歌を歌う人、揚げ干し餅の食べ方を考える人。

日記

2020-04-02

母の付き添いで朝から病院。駐車場はまあまあ満車だったが、待合席にいる人数はいつもの7~8割ぐらいに見える。そのくせ1時間40分ほど待たされた。予約してるのにな。血液検査の結果、白血球の数値がちょっとだけアレなので抗がん剤投与はお休みしてみましょう、となる。診察だけ、薬なし。

抗がん剤投与後は一週間ぐらい手がしびれたり冷たいものを触れなかったり体調がすぐれないらしいので、母はそれが無くなったことで嬉しいような寂しいような微妙な顔をしている。

車に戻ってすぐ、おやつを食べようとしたので、「ああ、つらい治療がなくなってうれしかったんだな」とわかる。治療の大切さもわかっているけれど、シンドイのはやっぱり嫌だよね。

私はただ道中運転をして一緒に待合席で待っているだけなんだけど、病院の日はぐったりと疲れてしまう。午後から仕事に出るつもりで昼ごはんを食べたあと、40分ほど長い昼寝をしてしまった。

見るからにつやつや、ぱんぱんでおいしそうな大根を買って帰ったら母が「あらおいしそう」といろいろ調理をしてくれた。切り干し大根みたいなやつ(干してない)、大根とたまごをおでんみたいに煮たの。ただ千切りにしただけの生の大根に好みのドレッシングをさっとかけただけでもおいしい。大根のフルコース。買ってよかった。

夜ぼーっとtwitterを見ていたら、大館でコロナ感染者が出たという。20代の医師で、少し前まで弘前市に住んでいたようだ。中国でコロナが流行りだした頃「時間の問題だろうな」と思っていたが、本当になってしまった。“布マスク2枚” で大喜利していたことを後になって「あの頃はまだマシだった」などと思い出すことになるのだろうか。ただただ怖い。母にうつさないようにしなくてはと、それだけを考える。これ以上苦しいことがあると、この人はきっと耐えられないから。

下書きだけが人生だ

2020-04-02

ずいぶんとこのブログを書かないでいたせいで、文章を書ききることが難しくなってしまった。書きたいことがないわけではないのに。

なので、みなさんの目にはほとんど更新されていないように見えていると思うんですけど、実はずーっと前からいくつもの「下書き」が私の目だけには見えています。

それらの下書きは、今の自分が読んでも「ククク、面白いやんけ」と思えるものなのだけど、いかんせん話題がフレッシュじゃない。タイミングを逃してしまった文章というのは、煮ても焼いても食えぬものである。落ちた鮮度は戻らない。

とも言い切れない。

日記は古くなっても面白いと思う。私は人の日記を読むのが好きである。だから、自分の日記も捨てないでとっておく。しかるべき時がきたら、煮るなり焼くなりしてみなさんにお見せできるかもしれません。私のやっていることは、生きているうちにほとんど価値が見出せないようなことかもしれないなあ、とぼんやり思うことがある。今撮っている写真だって、ひとびとに感動を呼び起こさせるようなものでないことは、自分がよくわかっている。それでも、私の目が見て「これは撮っておかなければならない」と思った小さなもの、街、店、通り、暮らしなど、途方もない時が経てば誰かが懐かしんだり面白がってくれるかもしれない。

未来の人に向けているつもりでもないのだが、消えてしまうもの、消えそうなもの、誰も目を向けないようなものを私は撮りたい。一方で、感動的な風景、光と影の派手なコントラスト、大写しになった子供の笑い顔、ハッとするようなハプニング、味のある職人のしわしわの手のアップなど、自分では撮らない類の写真、多くの人々が喜ぶだろう感動的写真、そういうものを私も撮らなければいけない、撮れるようにならなければいけないと勝手な強迫観念におそわれ、そのくせ心の底では興味がないので努力する気にもなれず、「努力をしない者=悪」という罪悪感に苛まれいて、ここ最近の気分は最悪だった。

私はそもそも人物を撮るのが苦手だ。と言いつつ撮ってみればそこそこうまく撮れることも知っている。だけど、撮れるのと撮るのとでは話が違う。私は、ポートレートがやりたくて写真をやっているのではない。

こんなことを言うのは少々気が重いのだが、関心のないことにはカメラを向ける気になれないし、面と向かって人物を撮る時のなんともいえない居心地の悪さに私は耐えられない(隠し撮りでいいならいくらでも撮りたい)。友人知人を撮るのは好きなのだが、遊びながら撮った楽しげな写真であっても見返すのが怖くて長いこと放置してしまったりもする。我ながら訳がわからないが、どうしようもない。

あ、ほら、話がどんどんずれてきちゃった。ほんとに文章を書ききれなくなってるんですよ。全然まとまらない。いや困った。これも下書き行きかな。

まあ、たぶん、ぐじゃぐじゃ言ってないで何でもやってみればいいんだと思うんですよ。うるせーな、黙ってやれよ、てことだと思う。わかる。でもさあ、もう若くない人が何にでも手を出して今さら新しいことを習得してどうすんの、って気持ちもある。向き不向きってあるし。もうさんざん、こんな調子で生きてきてしまったのだ。いまさら苦手を克服して「できる!」って勘違いしたってその山を登って極めた人たちはすでに沢山いる。だったら、あれこれ手を広げるよりも小さいながらも今まで集めてきたもの、「すでにある材料」を使ってそれを存分に活かせることをしたほうがきっといい。今あるものだけで、じゅうぶん動けるはずなのだ。ただし、手を抜かずにやりきること。

おっ、書ききれたじゃないか。見苦しいほどの悪文だけど。

(この文章は2020年3月27日の下書きに加筆したものである)