日記

2020-11-21

「情緒を排除したい」と唐突に思った。

冷酷なまでに情緒を排除したい。私は感情的にすぎる。自分の感覚と感情に振り回されて地に足がついていない。あ、これは写真の話だからね。エモい写真とは対極の写真が撮りたい。それにはやはり冷酷なまでに事物を写し出す機材が必要なんだろうね。あなたの家で眠ってるライカ、中判機、高級コンパクトフィルムカメラ、私が有意義に使いますよ。

今日読んだ小説に「憮然」が4〜5回も出てきた。ぶぜん。多分作者は4〜5回すべてで使い方を間違えている。(そのように私には読めた)ムっとしたりカッとなった時に使う言葉ではないのに、そのような場面で使われていたのだ。

名だたる文学賞を獲るような人がこんなことでいいのかと思ってしまう。校正もどうなっているのか。それとももう、この誤用が誤用でなくなるような意味の更新がなされたのだろうか。私は憮然としてため息をついた。

自分だって知らず知らず間違った使い方をしているかもしれないのに、なぜこれほどまでに誤字や誤用にうるさいのか、私は今一度考えたほうが良さそうだ。

単に、気になってしまうということはある。目について「これはおかしいぞ」となる。「書く前に調べないのだろうか?」と疑問がわく。せっかくこれまで本を読み進めてきたのにこういう箇所を見つけると途端に気持ちが萎える。作者に対する信頼もゼロに近くなってしまう。

私には学歴コンプレックスがある。というより「学歴がない」。だから、私よりいい学歴を持ち、ちゃんとした立場の人たちにはしっかりしていてほしいのだ。よい大学を出たなら言葉なんか間違えないでほしい。頭のいい人たちにしてみれば、そんな小さなことを気にすることそのものが非効率で「頭がわるい」ということになるのかもしれないが、持たなかった者のひがみで、持っているならちゃんとしろ、と言いたいのだ。

ある席で、出身大学を聞かれ、私が大学を出ていないことを言ったとき、水を打ったようにしんと静まり返って、気まずそうに顔を伏せた男たちよ、あなたたちは一生、どうか一つも言葉を間違えないで生きてください。私はあの軽蔑を忘れません。「いまどきこんな人間がいるのか」という目を決して忘れません。

ばーか、ばーか。

カーテンと女の下着と秋の空、ときどきナプキン

2020-11-04

部屋のカーテンを探してもうずいぶん経つのだけど一向に見つからない。ヨーロッパのヴィンテージを扱うお店を教えてもらって、わ〜!商品が大量にある〜♪と思ったらほとんどがすでにSOLD OUTだった。買えるのは10種類ぐらいしかない。10種類の中に私がいいなと思うものはなかったし、このご時世だから新たに買い付けにも行けないんだろうね、マメにのぞいているけれど新商品もなさそう。

ほかのショップも似たようなもので、良さそうなのはすべてとっくに売り切れている。メルカリもさんざん。いいのがない。あっても一枚分しかない。一枚分買ってどうしろと。窓の半分しか覆えない。マリメッコやモリスなどは悪くはないけれど私のイメージとは合わない。日本のメーカーやカーテンを多数取り扱うサイトなどを見ても、なんでこんなにあるのに一個もないんだろう…と絶望的な気持ちになった。

ちょっとおしゃれっぽいサイトを見ても、作られた北欧風、昭和レトロ、ヴィンテージ風、そんなものばかり。うそ、おおげさ、まぎらわしい。そしてダサい。

ふつうに東京行って、たっか〜いインテリアショップに行けばいいんだと思う。けど今気軽に行ける感じじゃないし、実際に行ったとして「たっか〜い」と言って何も買わずに帰ってくる可能性大だよ。

なんかさ、本当にさ、私は妥協しないで生きられた試しがないよ。お金があればいいってわけでもないんだよな。無いものは無い。小さい頃から、本当に自分の気に入るものなんてなくて、妥協妥協妥協妥協で来てしまって(4回繰り返したくもなるわ)、なんかもう諦めすぎて、何が欲しいのかもわからなくなっちゃったよね。探し続けるしかないんだけどさ。

私のような人こそ「ないものは作ればいい!」(キリッ)って、作る人になればいいんだと思うよ。だけどこの体たらく。やる気は全く無いのであった。作る気はない。カーテンをテキスタイルから作るのなんて超超超めんどくさい。ゴブラン織りなんかもいいよね、でもそういうのどうすればいいのか考えるのすらめんどくさい。

だからさー

いい感じのやつ作って売っといてよ!!! 買うから!!!

と思うわけです。なんでこの世にこんなに大量〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜にカーテンが売られているのに、私が欲しいと思えるカーテンがないんですか????? どうなってるんですか!?!?!?!

あ、怒ってたらカーテンと関係ないこと思い出しちゃった、話題変わるけど書く。

ねえ下着!女の下着!

なんか今でこそシンプルでフラットな下着が出てきてるけど、一昔前は、というか私が若かった頃は、寄せて上げるだとか、レースがぴらぴら付いてたり、真ん中にリボンがついてたり、妙にいやらしかったり、色が可愛くなかったり、ワイヤーがしっかり入っていたり、分厚いパッドが入っていたり(即取る)。とにかく付け心地最悪、外せば「ハァ〜〜!」と開放感、そんなブラジャーばかりでしたよ。外すために着ける、っていう意味わかんない感じになっていたよね。当時の下着のCM集でも見ればわかると思うけど、とにもかくにも男目線を意識した下着が多すぎました。男ウケしてなんぼ。谷間見せつけてなんぼ。嫌だったな〜。いやらしくない下着っていうのもあったけど、それはもうスポーツブラとかTシャツブラ、カルバンクライン、ポップで派手な色柄物、おばちゃん用のくすんだピンクベージュのフルカップ…ぐらいだったよね。ナチュラル系のオーガニックコットンだとかスーピマ綿だとか肌触りがよくて寄せも上げもしないモテ無視の下着もそれなりにあったけど、それはもうね、なんていうか…白か生成りぐらいしかなくてパンツもデカパンだし、優しいけどフィット感はなくて、男目線をなるべく排除したいとは思いますが、あのう、そこまで行かれましても…という振り切ったのが多かったんですよね。自分がリラックスするためのものとしては良かったんだけど、全部それというわけにもいかないし。そうかと言ってセレブやモデル御用達の海外の高級下着はどうかというと、ほどよくエロくて生地上質でスルンとしてて仕立てもデザインも素敵だけれどバカみてぇに高いし微妙にサイズが合わない。あと無駄に透けてる!透けてるとこが多い!そこヒモなの!?とか。思い切って買ったところで普段使いできないし、たくさん持てればまだ良かったのだろうけどそうもいかず、レギュラーメンバーの中で浮きまくって結局タンスの肥やしになり、数年後泣きながら捨てることになるという、ね。

はぁ。。

もう、もう、もう! 「ちょうどいいな」っていうのが全然なかったよね!ないけどなんとかするしかなくて、ウンナナクールやツモリチサトに逃避できるうちはまあいいけど、年齢がそれを許さなくなってくると、さあどうしたもんかいのう状態でしたわ。

なんか本当にちょうどいいのがなかった。無いからその中でどうにか妥協するしかなかった。かわいいけれど着心地が悪くて少々子供っぽいなあというものを「着心地が悪くて少々子供っぽいなあ」と思いながら着用するしかなかった。レース邪魔だなあ縫い目痛いなあと思いながら我慢していた。こんなの全然好きじゃないな〜っていうものを、素肌の上にまとっていたのだった。

悲劇じゃん!!巣鴨の赤い下着のほうがまだマシだったかもね!!

だんだん世界的にちょうどよさげなやつが出てきたのってほんとここ数年って感覚なんだけど。子供っぽくもなくセクシーすぎもせずちょうどいい、シンプルだけどおしゃれっぽい、それでいて着心地も肌触りもよくて締め付けない、っていうやつ。価格も安すぎず高すぎず。おばちゃんは泣いています。若い頃の自分に着せてあげたかったよ。

時代もあるんだろうね。それはわかる。私たちは男性の目を意識させられていたんだ、ずっと。意識しなければいけないと思わされていたんだ。下乳にワイヤーのあとくっきりつけて、私たちはどんな未来を描いていたのかな。

外すための下着。そんなもんクソだったね。あらやだ、怒ると口が悪くなっていけませんわね。おほほ。

怒りついでにもう一個。

生理用品。ちょっと前、無印○品がシンプルなやつ出して話題になってたけど、そういうのもさあ、遅ぇぇぇぇぇぇぇぇよ!!ってなりませんでした?? 逆になんで今!?って感じだった。それで、中身がアレでしょー?? アレだよ!? いつの時代??? 機能的にもっといいものにできなかったんでしょうか。見た目問題はどうにでもなるやん、パッケージなんだからさ。それをシンプルにする流れはいいと思うし(私はあの感じ好きじゃないけど)、でもそれやるなら今までの流れのキラキラしたやつも残しといてほしいわけですよ(私はその感じも好きじゃないけど)。地味/派手両極じゃなくて中くらいのもあってほしい。いろんなのがあって選べる時代がいいわけじゃん。で、私はね、まずは中身が大事だと思ってるんですよ! 中身あってのパッケージなの! 中身の機能性あってのシンプルなパッケージなんですよ! わかりますか? わかってください!!!

中身がポンコツでパッケージがいい商品なんて目も当てられないんですよ! 天然素材で肌触りがよくてなおかつ機能的であってほしいんですよ! それでちょっと割高になってもいいのよ! 無理なお願いなんですかね! できませんかね!!!

血圧上がってるわ絶対

(布ナプキン、タンポン、カップ等については、私が異常なほど血で手が汚れるのが嫌いなのと異物挿入が苦手なので選択肢としては無しです)

なんか、ずーっと我慢してたのかもね。欲しいものがなさすぎて。こういう人が新商品開発チームに入ればいいんだと思うよ。ごめんね、そういう職業選択しなくて。

いや、でもね、こんなのは私だけなのか、とも思っていたわけですよ。世の中にこんなにたくさん商品があるのに私の気に入るものが見つからないということは、私がこんなものを求めていることが異常なのだろうか…とうつむいてしまっていた。もっとガッツがあったらよかったね。若い頃にもっとガッツがあって、まっすぐで、図々しかったら、声を上げて開発できたかもしれない。なんか、ごめんね、みんな。

ふぅ

いい時代になったよ。いい時代だよ!

コロナで大変なんていってる暇ないよ。下向いてる場合じゃないよ。激動だよ。世の中どんどんよくなってるじゃん。ほんとだよ。みんな気づいたほうがいいよ。ずっと楽になってるし、もっと楽になっていくよ。

ただ、カーテン業界もうちょっと頑張ってください!!!

私が欲しいと思えて30万とかしないやつ!お願いします!! 作れないなら海外から見つけてきてください!!

黄色っぽいオレンジっぽい暖色系の柄物のカーテンを探しています。 60〜70年代ぐらいのモダンなデザインで幾何学模様や木か花のモチーフを希望!ぺらぺらしてなくてある程度厚みのあるやつ! 私があきらめてウッドブラインドとか買っちゃう前に、どうにかうまく見つかりますように!!

断捨れ

2020-10-31

こんなこと、コロナの自粛期間中にやればよかったんだと思うよ。断捨離。洋服はうまくいったんです。でも本がさ、本が片付かないの全然。断捨れない。片付けが進まない人あるあるの、途中で本読みこんじゃうっていうやつも頻繁に起こってまー、何日やってるんでしょう。

あらかた仕分けは済んだはずだが、そこから進まない。普通は雑誌なんかしばらくしたら全部捨てちゃっていいのかもしれないけど、私は普通ではないのでなかなか捨てられない。時間の経過とともに情報価値がなくなるものぐらいだよ、捨てられるのは。

しかも謎なのは、本の断捨離中にもかかわらず、また古本を購入したことなのだ。この人どうなってるの?

昔、旺文社から出ていた『ホテルガイド』という文庫判のガイドブック…95年発行(初出は91年刊のようだ)…北海道版…なぜ…今…これを…買うのか……

バンドの追っかけをしていた(といっても大したものではない)若かりし頃、時刻表を見て乗り継ぎを考えたり、ホテルガイドを手に泊まる宿を検討するのが楽しかった。まだ十代だったと思うが、一人で札幌へ行った時、事前にガイドブックでチェックしてあった駅からそう遠くない大通り沿いの古い喫茶店へおそるおそる入ってみたことがあった。記憶があいまいでぼんやりしているのだが、間口はそう広くなく、しかし奥はそこそこ広いようにも見え、全体的に薄暗いのだが通りからの日も差し込み、重厚な古さを感じさせつつ活気もあったような気がする。午前中か昼前後か、サラリーマン風の男性客が多く、新鮮な騒々しさがあって、私はそこで何を飲み食いしたのか全く覚えてはいないが、雰囲気に圧倒され小さくなりながらもその空間に身を浸すことに喜びを感じていた。カルチャーショックといってもいいと思う。大人になるかならないかの不安定な時期に、一人で遠くへ出かけ、古い喫茶店に腰を下ろしている。この時のことが、私が古い喫茶店好きになるきっかけだったのではないか、という思いがずっとあった。場所もはっきりしないし、その店があったと思しき通りもすっかりきれいになってしまっていて、名前すら覚えていない店のことを何かの折に思い出しては当時のガイドブックを探すことを地味にやっていたのだ。

「ホテルガイド」という本が、淡々と同じフォーマットでホテルの外観写真と料金、室内設備を載せているガイドブックだということはわかっていたが、その途中途中に観光名所や地域の飲食店なども織り込まれていなかったか?そこにあの喫茶店が載っていたのではないか?という思いが消えず、確かめてみなくてはと思っていた。しかし90年代のホテルガイドなど今や情報としては何の価値もないわけで、中古市場に出回るほどのものでもない。ブックオフへ行った際などに探してみても見かけることはなかった。それが、先日ふとホテルガイドのことを思い出し、ダメ元で検索してみたらamazonに何冊か出品されていたのである。誰かの不用品が役に立つこともある。

というわけで断捨離中にもかかわらず注文してしまいました。

届いて、ドキドキしながら開いてみると、無表情なほど果てしなく淡々とホテル情報が載っていて、申し訳程度に味気ない地図も挿入されていました。それだけです。

それだけでした。

観光名所、近郊情報一切なし。ホテル自体も、今はなき味のあるホテルが載っているというわけでもなく、今も残っていそうな大型有名ホテルがほとんど。写真だって2cm四方の小さな外観写真が一枚ずつあるだけ。こんなんだったかなあ。。記憶っておそろしい。

(買ってすぐですが、もはや何のうま味もないので手放そうと思います)

というわけで振り出しに戻りました。当時見たのは、ホテルガイドとは別の情報誌かガイドブックだったんだろうなあ。確かにもっとガチャっとした、写真がたくさん載った本だったような気もする。

札幌の古い喫茶店が載っている当時のガイドブックや情報誌をお持ちで、譲ってもいいよという方、着払いでお送りいただければ幸いです。メールアドレスは右側👉のブロックのどこかに記載しております。よろしくお願いいたします。

って断捨離すすまねぇ〜〜!!

痩せようと思う

2020-10-21

さっきたまたまこれを見たんですね。われらが(誰らだよ)MONYPETZJNKMNの新しいMV。

んで冒頭、MONYを見てさあ(この髪白っぽい人ね)、MONYを見てさあ、「ちょっとちょっと!なんか雰囲気変わった??超かっこよくなってない??どしたどした??なんなのその鋭い色気は!!」と、どってんびっくりしてしまったわけです。

こ、こ、これは……MONY痩せたな!!!

プヨってるとこが可愛い〜😻 みたいに思ってたけど、痩せただけで人ってこんなにキリッとギラつけるものなんだな、と。もう何年もプヨってしまっているワタクシ、雑誌やテレビでどんなスリムな可愛い子ちゃんを見ても「痩せよう」などとは本気で思わず、ダイエットは明日から〜♪なんてお菓子食べちゃったりしてた、ただのクソブタだったんですけど、今日、痩せたMONYを見て「痩せたいな」と心から思いました。

余計な脂肪ってノイズなんですよね。体についたノイズ。それが取り除かれるとコアな部分が残る気がしてて。ダイエット成功者に共通する、あの、なんか、、なんていうんだろうな、シリアスな眼差しっていうかな、シャープさっていうかな、言葉が出てこないんだけどさ、素の強さみたいな、なんともいえない凛々しい表情になるんだよね。んで、どの人からもにじみ出るのが強烈なセクシーさ!

これ、欲しいでしょう。欲しいと思いましたよ、MONYを見て。

安心安全な太ったおばちゃんからの卒業を目指す!!年度末まで(5ヶ月間)に目標マイナス8キロ!!(どんだけ太っているのかと)

あれ、なんかマジでやる気になってきたぞ。食事と運動の計画立てよ。

自分でも驚くほど、突然「生き方を変えたい」欲が出てきて、こんまり流の片付け術で洋服は4分の1ぐらいに減らしてしまったし(まだ減らせそう)、本や雑誌の仕分けや処分はかなり厄介だけれど、いま真っ最中。夜型から朝型へシフトすることを考え始めたり、思想抜きにしたヴィーガンへの興味(動物性のものを使わずに植物性のものだけでおいしく料理できたら面白いかも、という実験的な興味)が出てきたり、部屋をもっと快適に自分の気に入るように作り変えたいなーとか(してこなかったんです…)、とにかく全身で変化したがっているようで。これに私も「まあ付き合うよ」というわけなのです。

春までにはすべての環境を整えてすっきりしていたいな。つねに身軽でいることがいちばんの自由って気がする。こういうの連動してるよなー。ほんと、溜め込みすぎました。自粛期間中にやればよかったんだろうけど(やった人多いんだろうな)、まあやらなかった自分を責めないよ。人それぞれタイミングっていうのがあるから。

というわけで、ダイエットは明日から!笑

カメラと写真、ときどき景勝地

2020-10-06

欲しいカメラがなくて困っている。いや、欲しいカメラがないこともないんだ。だけど中古価格がやたら上がっていてムカついている。ふだん撮る分には、今あるカメラや借りもののカメラで十分な気もしていて、実は特に困ってもいないのだが「ちょっとは困れよ」という気もしてくるし、なんだかなあ。

今年に入り、「自分の作品」ってやつを持ちたいよなあと思っていて、でもどうしたもんかわかんなくて、ウンウン唸って、唸っているうちにコロナが来て、望遠ズームでホームタウンを撮ったりして、つねにカメラ持ち歩いてる状態でなんでもかんでもシャッター押すってことをやってみたりもしたけれど、そのうち酷使していたカメラが壊れ、今に至っていて、古いデジタル一眼とフィルムカメラで海や砂浜は木を好んで撮っているというわけで。

撮るものが変わってきた気はしている。

そこに意識的になれないところが私だよなあと呆れてしまうんだけど、感覚としてはっきりと違うな、というのがわかってきた。例えば、初めて訪れた能代市を歩いていても、歩き慣れた弘前の飲屋街を歩いても、以前ほど楽しめない自分がいることに気づいてしまった。

それよりも、自然が作り出したもののほうに興味を惹かれる。惹かれるっていう生半可なものじゃないんだよな、なんていうか、恐れ入りました!って感じなんだよね。ちょっと気を失う感じ。そういう凄み。「立ち尽くす」って言葉の意味を説明する画像に使えるんじゃないかっていう見事な立ち尽し方で、私は大自然を前に立ち尽してしまうのだ。

自然なんか誰が撮っても同じだろうってバカにしてきた。こないだいわゆる景勝地にも行ったんですよ。んで、インスタに投稿してみたんすよ。位置情報もタグもつけて。すると、他の人が撮ったその場所の写真がわーっと出てくるわけだけど、それ見てたらなんか、やっぱり他の人が撮った写真とは違うんだよね。ぜんぜん派手さがなくて笑ってしまうけど、やっぱり私は演出とか過剰さが嫌いなんだよね。誰が撮っても同じってわけじゃない。似たような写真はあるかもしれないけど、機材や現像の違いもあるんだけど、なんていうのかな、向き合い方が違う気がしたんですよ。私にとっては明らかにただの「観光」ではないんだな、と。もっとありのままの、深いところを見ようとしている気がする。その場所を訪れるのは一度や二度じゃだめで、何度も足を運んでこそ見えてくるものがありそうだな、と感じる。

自分でも出口が見えず手探りで今書いてるんだけどさ。

あとやっぱりフィルムの方が写真的だなーと、どうしても感じてしまう。中判機にも興味あるし。デジタルだと際限なく枚数撮れるしやり直せるけど、なんか弱い気がする。なんなんだろうな、ペラいっていうか芯が細いっていうか、脆いっていうか。いや、そんなこともないのよ実際。デジタルでも骨太な作品は作れる。これは私の問題で、私の意識と、向き合い方の問題なんだよ。

うーん、まあ、よくわかんないや。よくわかんなくなっちゃった。

寒くなってきましたね。もう10月だなんて本当に信じられないよ。

深浦町/大岩海岸

景勝地。この日は気まぐれな天気で、表情がくるくる変わった。私には、自然がいちばん恐ろしくいちばん美しい。階段の昇り降りで即座に筋肉痛になった。情けなし。

三脚持ち歩いて撮ることを始めようかな。今、なんとなくそう思った。

日記

2020-10-02

さむ…と思ってお布団はいったら早々に寝てしまったらしい。午前3時。最近こういうことが多いのは、ここ最近の「早朝」への興味のせいかもしれない。

なんと

書こうとしたことを忘れてしまった、、

はい思い出しました。

とにかく「今年」がおかしいのであって、我慢して乗り切ればまた以前と同じような世界が待っていると信じている人が結構いそうだけど、そんなことはないのになあ、元に戻ることはそんなに良くもないんだけどなあと思ってしまう。

わたしたちは変化の真っ只中にいて、もう後戻りなんてできないのに。

より不安になる人と、楽になった人がいるような気がしてる。わたしはいま気分的にとても楽です。

とか言ってられるのも今のうちなのかな…

いや、言い切る。いまとても楽です。

どんどんやろう。大丈夫、持ってないから減ることもない。はい、どんどん!

日記

2020-09-30

頭が冴える時、というのがたまーーーにあって、どうも今その時らしいのだが、いつもこのぐらい回転してくれればいいのにね。

なんだか色々考え事が進み、手書きが追いつかないほどノートに書き込みをした。多分明日の私はボンクラなので、これを見ても「はあ?」ってなると思うけど

維持するには毎日毎日気が進まなくても考えたり学んだり書いたりすればいいんだよね。わかってるんだけど。眠いよね。

疲れてると、なーんかごろごろしてYouTubeでASMR動画なんか見ちゃって、いつの間にか寝てしまう。日が変わる前に寝ちゃうから起きたら4時とかで、それはそれで楽しくて、そのまま起きて何か読んだり考え事したり書いたりすることもあるけど、結局6時半ごろまた眠たくなってきて寝て、8時に起きていつも通り支度して出かけるってことになって、なんだかなあ、もうちょっと時間をうまく使えないもんかね。

眠くなるやつ

私が好きなASMR動画って、基本的に顔出さない/しゃべらない/途中に広告が入らない/最低40分ぐらいの長い動画、ってことになってるんだけど、この方の動画は顔出しでずっとしゃべってるけど気にならない。

ASMR動画ばっかり見てたらおすすめに上がってきた動画で、そもそも「Reiki」っていうのがなんだかよくわからないけど、自分の顔の近くで手をひらひらされているような気分になれて気持ちがいいです。わりとすぐ眠くなっちゃう。

さて寝よ。

日記

2020-09-24

芸大の学祭に来ている。学生が集まっておしゃべりしたり、絵を広げて何か言い合うような場なのだろう、テーブルが連なる学食風の空間で、私はずっと画集を見ている。古い日本の画家らしいが全く知らなかった。モチーフは和風だがヒエロニムス・ボスの絵に似ている。十数年前にやめたタバコを吸ってしまう。向かい側の長テーブルに父の姿が見えたので知らんぷりをした。

芸大を出て歩いていると、歩道の真ん中に黒いリュックが落ちていた。半分口が開いていて中に葉書のようなものが見える。太い筆ペンで力強く書かれた宛名には、親戚の男の子の名前が書かれてあった。さっき芸大受験や学費のことなど、学生たちにしつこく質問していた子だ(ちなみに学費は全部で2000万弱らしい)。道端に半分開いたリュックを放り出したまま忘れてしまうなんてことがあるだろうか…と奇異に感じないではなかったが、とにかく家まで届けなくてはと思う。途中、不自然に冠水しているところがあり、おじさんが首まで水に浸かって「おーい」と助けを求めていた(あとで、ふざけていただけだったとわかる。立ち上がると水はせいぜい膝のところまでしかなかった)。この先も道路が冠水しているため、まっすぐ歩いて通り抜けられないことを知る。右側にゆるくカーブした道を行くと先が大きくふくらみ、そこに駅が見えた。小さな駅前広場ではひとびとが、局所的に大雨が降っているポイントでずぶ濡れになりながら笑顔で記念写真を撮っていた。私はそれを撮影しようと思ったが、カメラを出すのに手間取ってやめた。そばに、とても大きなポプラの木があり思わず見上げる。晴れているのに、ところどころ雨がさーっと直線的に降っている箇所があり、そこだけがガラスのように鋭くきらめいている。ここにずっといてもしかたがないので電車に乗ることにする。えーと…、大きな路線図も何もなく、手書きで駅名が記された紙が6枚ほど貼られている。どれも知らない駅名ばかり。八幡山まで行くにはどうすればいいのか。まあ適当なところで降りて考えようと思い、いちばん近い「紙魚」行きの切符を買うことにする。紙魚駅前の映画館ではいま貴重な映画が3本上映中だとチラシが貼ってある。どんな映画なのだろう…とぼーっとしていたら、どうやら切符売り場の並び方を間違えていたらしい。苦笑いで他の人に先をゆずる。なんとか無事に切符を買ったところで「リュックの持ち主がいる親戚宅に連絡しておいたほうがいいな」と気がつき、電話をしようとスマホを取り出す。電話帳の「ヒサコさん(リュックを落とした男子の母親)」の名前を確認したところで目が覚めた。

9月24日 朝6時